2つの出来事(311と911に寄せて)

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昨日の夜、入院する前に買いだめしていた「地球が静止する日」という映画のDVDを見た。

ある日、宇宙を司り、その代表だと名乗る使者が現れる。
その使者は、地球の危機的状況を人間に伝えに来ていた。
しかし、地球に来て知ったこととは、この地球の危機的状況を作り出したのは、人間そのものだということ。
何時の時代でも野蛮で成長するも変わることも否定してしまっているようにしか見えない人間。
地球という存在にとって、人間という生きものは、お荷物でしかない。
そんな人間を抹殺し消してしまうことで、かけがえのない奇跡の星「地球」を守ろうと決断する。
しかし、ある科学者と子どもに出逢い、残虐にしか見えない人間のもう一面の姿・・・心に愛や慈しみや希望に溢れる姿を見る。
「人間は必ず生まれ変われる」
その宇宙から来た使者はその人間の姿と言葉を信じ、それに応える為に、人間を抹殺する兵器を止めようと動き出す。

今、この世界で起きている事を思うと、色々とダブって見えて、ドキッとする内容だった。


10年前、アメリカニューヨーク市マンハッタンにあるワールド・トレード・センターに2機の飛行機が衝突した。
半年前、日本の三陸沖で発生した地震は、東日本を襲い、津波や原発事故を引き起こした。

それから、世界で、そして、日本で未だに出口の見えない途方も無く長い旅が続いている。
その旅の先がどうなっているかなんて想像も出来ないけど、それに向けて変わったところも多くあれば、未だに、変わらないところも多くあるように思う。


命について。
繋がりについて。
愛について。

色々と考えさせられる2つの出来事。

10年前の出来事は、自分にとっても大きな出来事で、「共に生きる」こととは何なのかを追い求め始めた瞬間でもあり、あれからそのことを伝える事をいつも考えていた。
そして、半年前の出来事はそのことをもう一度反芻するがごとく、改めて見つめ直すキッカケになった。


2つの出来事は、人間という生き方の積み重ねが形となって現実化したのだと思う。
どこぞの議員が「必然的」と言ったらしいけど、遺族に配慮が有るか無いかは別として、本当のことを言っているように聞こえる。
テロと地震という風に形は違えど、そこから生み出されたことは、今までの人間という生き方がそのまま反映した結果なのだと、私も思う。

2つの出来事から生み出されたこと。
憎しみや悲しみや絶望といった形もあれば、愛や希望や慈しみという形もある。
そのどちらも、人間の中に同居し持ち合わせていた心であり、その見えなかった心の部分が、形となってはっきりと見えるようになったのだと思う。


これから先、自分として何が出来るのだろう。
昨日の夜見た映画じゃないけど、この2つの出来事が、自分たちに向けての警告でもありメッセージだとするなら、その事に応えなければならないと思う。
地球という星の上で、共に歩んでいくこと、共に生きることを、もう一度、選ぶなら、どうすべきなのか。どう在るべきなのか。
途方も無く、難しいことだと思うし、自分にとっての永遠のテーマだけど、この障がいを持って産まれて来たことそのものが自分の生き方とするならば、その永遠のテーマに対し、答えを見つけ、応えていかないとならないとそう思うのです。

イメージが現実化するサイクルがかなり早くなってきた。
だからこそ、いつも、心に愛を感じながら生きていきたい。
そして、地球が静止する前に、人間として、やれることはやっていきたいと誓う。

亡くなっていった人々の為にも、今を生きる人々の為にも、これから産まれる人々の為にも。
そして、自分の為にも。。。

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このページは、Nipopoが2011年9月11日 15:35に書いたブログ記事です。

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