命を生きて

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3月11日のあの瞬間。
私は、自宅の居間にいました。

ちょうど、長期入院あけ一ヶ月目の日でした。

台所では、母が仕事をし、玄関では、新しく手すりと段を作るために、工事のおじさんが仕事をしていました。

突然、ゆっくりとした揺れ。
地震に対しては、あまり、驚いたりする人間ではないので、「いつものことかな」と様子を見ていました。
寝っ転がった状態。
退院はできたけど、まだ、自由に動けるような状態ではなく、多少、母の手助けが必要な状態でした。

なかなか収まらない揺れ。
さらに大きくなる。

家が軋む音が大きくなるにつれ、窓から見える電線や建物が揺れている。

さすがに怖かったです。
ぞっとしました。

幸いにして、私も両親も家族も親戚も無事でした。
父は、朝方に帰れたし、福島に親戚も、自宅が全壊した家が1件、半壊も1件。
でも、何とか無事でした。

それからテレビやラジオを次の日の朝方まで付けっぱなしで。
眠れるような状態ではなかったです。

原発の第一報が入った瞬間、チェルノブイリを思い出しました。
次の日、水素爆発が起き、もしかしたら、最終的には日本はこうなる運命だったのかと、その瞬間、思いました。

今回だけでなく、いつもだけど、震災などの災害が起きたりするといつも思うのは、自分の様な障がいを持った人間は、どうなってしまうのだろうという不安。
あの時は、本当に動けず、天井を見るだけしかできなかったので、さすがに息が詰まるような不安で、震えていました。

テレビとかで、震災の特集を見ると、生きるって希望でもあるけど,残酷でもあるなってそう感じてしまいます。

生き残った命。
これをどう最後まで生かしていくか。

今の世の中って、これほど、大変で、辛いことはないのかもって、どうしても思ってしまいます。

でも、生きているし、生かされているし。

亡くなっていった人たちの為にも、このいのちを大切に感じて、生きていかないとってそう思います。

だけど・・・。

自分のできることって、ちっぽけで。
動けない身だと、さらに、何ができるのだろうって、どうしても、考え込んでしまう。

今なお、大変な想いをしている被災者も含め、本当に今の時代を苦しんでいる人に対して、頑張れとか、励ましとか、どう見えて、どう感じてしまうのだろうと、思ってしまう。
容易く、笑顔になりますように、幸せになりますようにって祈ることが、どこまで、相手にとって、プラスになっていくんだろうって思ってしまう。

でも・・・。

それでも、本当に相手のことを想い、祈り、自分のできることを精一杯して、今をしっかり生き、この命に、全ての命に感謝するしかないのかなって。。。。そう思うのです。

「全は個にして 個は全なり、個は孤にあらず」

全ては、自分で有り。
自分は、全てで有る。

その事を胸に刻んで、今という時を大切に生き、時を歩んでいく。。。。それが、全ての基本であり、大切な想いなのだとそう感じます。

全ての命に。
今ある命も、今亡い命も、これから産まれる命も。

その全てに、感謝を込めて、祈りを捧げて、これからを生きていきたいとそう思います。

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このページは、Nipopoが2012年3月11日 23:41に書いたブログ記事です。

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