2012年4月アーカイブ

仕事

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昨日からゴールデンウィークに突入して二日目。
いやー、まったり中です(笑)

毎年、この時期は年度初めの受注生産真っ盛りで、納期対応に追われて休めることがなかったけど、5月6日までフルでお休みなので、毎日、まったり状態で過ごせそうです。

GWに入る前。
社長との定例面談がありました。

会社での、今までのこと、これからのことを話し合う場です。
社長との距離が近い100名前後の企業ならではの行事かもしれません。

身体の事とかも色々と気遣ってくれました。

社長の一言。

「前の職場は、色々と技術的な事とか多かったから、今の職場は物足りなくないか?」

病気で倒れる前は、設計にいました。
会社でいえば、ある意味、最前線の様な職場。
毎日、1分、1秒との闘い。
残業は当たり前。
しかも、1μm単位という1mm以下の世界とのにらめっこです。
神経休まるところがありませんでした。

それだけ心身衰弱してもおかしくなかった職場でした。
でも、それなりにやり甲斐があって、それなりに責任があって。
専門の技術職でクリエーターでという内容は、やっぱり好きな仕事でした。
そのつもりで、学生の時は勉強もしてきたし。

でも、今は、品質管理の仕事。
しかも、WordやEXCELが使えれば、何とかなるような仕事だけ。
もちろん、今は、慣らし運転の時ですし、今年度から責任ある役目の主担当になったので、それなりにやり甲斐はある仕事になってきました。

仕事があるだけマシだし、居場所があるだけマシ。

そう思う反面、前の職場の方が良かったなって思うこともしばしばで、最初の頃は、思い出す度にゲッソリしそうで、肩身の狭い気持ちで一杯になることもありました。

今は、そういう気持ちから少しずつ脱して、今の様な縁の下の仕事こそ大切で責任を負う仕事だと思うし、品質管理こそ、ものづくりをメインとする会社にとっては要でもあるので、それだけ大事な仕事だと思っています。

社長のこの一言は、そんな私の心の揺れをくみ取ってくれたんでしょうね。

「今は、身体を慣らすのが精一杯です。それに、半年も病気で会社には戻れず、もう、社会復帰はもうダメかなって思っていたので、仕事があるだけ、ありがたいし、幸せです」なんて、私が応えたら、社長とその近くにいた専務は笑って「病気は仕方ないことだろ?会社としては、貴方はいて欲しい人なのだから。逆に今までムリさせてきたんじゃないかって心配しているし、何かムリな事があったら必ず言うようにしてください。」と言ってくれました。

やっぱり、この会社に就職してよかったのだと、改めて思いました。
もう15年にもなるけどね。
大学卒の時は就職難で、しかも、障がいを持っているから、雇ってもらえるところがなかったし。

そんな中、2つから「うちに来ないか」って言ってくれて。
その2つの会社の1つでした。
もう1つは、それこそ万という社員を抱えている会社だったけど、通勤が大変だったことと直感的な理由でこちらを選んだ。

その直感が良かったのだと、今は、思っている。

これからどうなるかなんてわからないし、また、以前のように大変な仕事がある部署になるのかもしれないけど、どんな小さな仕事でも、どんな些細な仕事でも、ムダなものはないし、責任があることだし。
そう心に刻みつけて、一つひとつ歩んでいきたいってそう感じます。

今、こうやって過ごせること、その全てが感謝ですね。
そう思います。
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4月に入り、4月1日のビックイベントが終わり。
今は日常をじっくりと送っています。

4月から会社の仕事の始まりの時間と終わりの時間が通常に戻りました。
3月までは、身体の事もあって、1時間ずつ短縮されていたけど、通常時間に戻してみました。

やっぱり、疲れますわ(笑)
体力、かなり落ちています。
以前の半分も体力がないかも。
仕事が終わったら、へろへろで家に帰ってきています。

前は、仕事終わりに新宿まで行ったりしていたけど、ウソみたい。
あり得ないわ(笑)
でも、やっと、日常を過ごせる様になってきたっていう証拠でもあるし、嬉しかったり。。。。

土日は、友人ともちょくちょく逢うようにもなりました。

4月1日のスタッフとも、後日、逢って話したりもした。
イベントを通して、今の気持ちの分かち合い。

今更ながら出逢うべきして出逢った仲間たちと最高のイベントを創造るために走り抜けたんだなってそう感じた。

やってよかった。
出逢ってよかった。
繋がれてよかった。
そして生きていてよかった。

最高の一日でした。


先日は、友人と八王子駅で待ち合わせて、一緒に食事。
2年ぶりに逢いました。

入院中は勿論のこと、長期入院から退院した後も、外に出るのも辛かったから、逢いたくても逢えない日が続いていたから。
こうやって、友人とあって、友人と話して、友人と笑ったりして、友人と食事して、友人と一緒にいられる日が訪れるなんて、本当に考えられなかったけど。
そんな当たり前のことが出来なかった日々が、今、また出来る様になって。。。。幸せな気持ちと感謝の想いが溢れてきます。

食事後は、天気も良かったので、私の運転で近場をドライブ。
津久井湖まで足を伸ばしました。
もう、桜の時期から遅くなってしまったかなぁって思ったけど、一番の見頃で、満開状態。

こんな季節なので、道路も駐車場も大賑わい。
いくつかの駐車場を覗いてみたけど、どこも満車状態で、空き待ちで1~2時間ぐらいかかりそう。
なので、止まる事も無く、湖を一周しただけでした。
でも、車の中から見える桜満開の優しい風景に、友人と一緒に大はしゃぎ。
春らしい景色と空気を味わいました。

いや~、楽しかったです☆

一つ心残りは、桜の写真とか撮れなかったこと。
私は、ずっと、ハンドルを握っていたので・・・汗
運転手だから仕方ないんだけど・・・。
でも、目には焼き付けたので、良しとしよう(笑)

ん?
よそ見運転は危ないから辞めましょう(笑)

という春らしい日常も過ごせています。
そんな「日常」が、幸せいっぱいです。
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4月1日 いのち☆つながる広場日野イベント。
『1/4の奇跡』上映会+山元加津子講演会。
~いのちはみんなつながっている~


でも山元加津子さんがお話しされていましたが、この日は、もう一つ、大事な日でもありました。

『白雪姫プロジェクト』
shirayukihime_banner.jpg

病気や事故のために、意識が無く、回復の見込みが少ないと思われてきた「植物状態」と言われる人たちが世界に何十万人もいるといわれています。 その方たちは、これまで、ベッドで長い間寝たままの生活を送ってこられました。

けれど、意識を取り戻し、食べる、思いを伝えるなどの生活行動を取り戻すための方法があることがわかってきました。

白雪姫プロジェクトは、回復の方法や、それにつながる意思伝達の方法、口から食事をとること、リハビリの方法、介護の方法などの情報を集め広めるプロジェクトです。

私たちは、「誰もが思いを持っていて、回復する可能性がある」ということが当たり前になっていく世界をめざします。

白雪姫は王子さまの愛によって、目覚めることができました。
白雪姫プロジェクトはそんな愛でいっぱいのプロジェクトです。

・・・・・・『白雪姫プロジェクト』サイト主旨より

意識障害に陥ってしまう事例ばかりでなく、医学の世界の常識って、結構、偏っている所が多くあるように思う。
勿論、全ての全てではないし、立派な先生方もいるのだけど、「常識」に囚われてしまい、見捨てられている患者さんって沢山いるように感じます。

一昨年に長期入院したとき、「君はもう、歩けない」とさんざん言われた。
確かに当時の骨折の写真を見たら、ひどい有様で、もうムリだと思われても仕方ないのかもしれないけど、でも、そこで治療も何も放棄されたら、患者にとって、これほどの苦痛は無いように思う。
結局、私の場合、ダメは承知で、手術をお願いし、結果、歩けるようになったのだけど、今となっては、この時に諦めていたらどうなっていたのだろうとそう思う。
そして、その願いを受け止めてくれた主治医や病院関係者の方々には、今は、感謝の言葉を言っても言い切れない程、あふれ出てくる。

あくまで、患者にとって、何が最適か、患者は何を望んでいるかをちゃんと受け止めて欲しい。
勿論、危険な事も多々あるだろうし、一か八かのカケのような事も多くあるのかもしれないけど、そこで全てを諦めないで欲しいとそう思う。

誰もが、人として最後まで生きていきたいし、生きていたい。
コミュニケーションにしても何にしても、人として産まれた以上、最後まで、人として、あるがままで生き、輝きたい。
その為にも、その一人ひとりの意思をくみ取れる医学の世界であって欲しいし、そうなるためにも、『白雪姫プロジェクト』を応援したいとそう思います。
トップページ、右サイドに応援バナーを貼り付けました。

誰もが、共に手を取り合って生きていけますように。
そう願わずにはいられません。

関連記事 → 「信じる」という生きる力を伝えたくて



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4月1日 いのち☆つながる広場日野イベント。
『1/4の奇跡』上映会+山元加津子講演会。
~いのちはみんなつながっている~

無事に終了しました。
山元加津子さんと小林さんは、もちろんのこと、飛び入りで来てくれた入江監督と娘さん。
そして、ハートオブミラクルの三浦さん。

そして、何よりも、足を運んできてくださった沢山のお客様。
沢山のスタッフ。
沢山の目には見えない形で関わってくれた皆様。
助けてくれた皆様。
支えてくださった皆様。

その一人ひとりに感謝の1日でした。
本当にありがとうございました。

上映会も講演会も、会場内があったかく、優しい空気に包まれていました。
涙涙で、多くの人が感動してくれました。
会場後ろから見ていて、その空気がじんじんと感じられ、感動で鳥肌が立つような想いがしました。

会場から出てくるお客様の笑顔。
そして、やりきったというスタッフの笑顔。
その一つひとつが、今でも鮮明に思い出されます。

色々と、配慮が足りないことなど、様々な反省点はあるのですが、皆さんの笑顔を見ていると、やって良かったと安堵の想いでいっぱいです。

年度初めの春うららかな1日。
全ての人にとっての新たな門出になったかなと、そんなことを思っています。

皆さま、本当にありがとうございました。
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昨日のイベント。
私自身にとっても、新たな一歩目が踏み出せました。
1年半の闘病生活から、昨日、やっと抜け出せたような気がします。

スタッフのひとりに、「入院中、お見舞いに何度か行ったけど、本当に"もうダメだな"って思ってしまったよ。でも、こうやっていつもと変わりない君を見られて嬉しかった」と言われました。
私自身も、闘病中や何度もダメかもしれないと思ってしまっていたことも多々あったけど、皆の応援のお陰で、こうやって乗り越えられました。
とても、感謝しています。

色々とあった大変な1年半だったけど、このどの瞬間も、必然だったのだろうと思うし、ここまでこられたのも、必要だったからあった大切な出来事の一つひとつに過ぎなかったと思っています。。

イベントの最後には、スタッフから花束まで頂きました。
加津子さんから手渡された時には、驚きと一緒に、「ここまでこれて良かった」と改めて思った瞬間でした。
本当にありがとうございました。

そして、昨日は、スタッフからもう1つのサプライズもありました。
今の私をつくりえるキッカケになった恩師との再会。

小学校に上がるとき、私は、普通学級に行く事に決めていました。
普通に学校にいって、普通に友人をつくり、普通に勉強をし、普通に成長していきたいと。
今では、当たり前の話になりつつある障がい者の普通学級への進学だけど、昔は、障害者は養護学校(今で言う特別支援学校)が通例で、そういう選択自体がありえない時代でもありました。

だから、門前払いは当たり前で、教育委員会やら学校からは、色々と条件を付けられて拒否されていく日々でした。

その条件の中に「何事もなく問題なく幼稚園に通うこと」、とありました。
早速、近くの幼稚園に受け入れてくれないかと、あっちこっちに頼み込んでいました。
が、やっぱり、門前払い。
聞く耳さえももってくれませんでした。

「もうだめかもしれない」と家族で途方にくれる日々を送っていました。
その時、近所に住んでいた方が、声をかけてくれたのです。
「私が勤めている幼稚園に一度、いらっしゃい。」

全ての始まりでした。

東京都日野市で一番古い由緒正しい日野台幼稚園でした。
キリスト教会が隣接されており、そこの牧師さんで、園長先生でもある方。
そして、「日野市心身障害者を守る会」の理事でもあり、「希望の家」という障がい者施設の創立者のひとりでもあり、日本中を周り障がい者、障がい児を取り巻く環境を変え、「障がいをもっていても、そのままの命こそが大切な存在。」と山元加津子さんと同じことを何十年と伝え続けていた人でもありました。

その方の尽力を借り、「希望の家」と日野台幼稚園に在籍しました。

そして、重度障害者へのリハビリテーションとして、当時、最先端をいっていた府中にある多摩療育園も同じく紹介してくれました。
週2~3回、電車で通う日々でした。
それまで、都心まで某大学病院に通っていたのですが、薬と検査だけしかなく、治療やリハビリなどとはほど遠いありさまで、"君はその病院で人間としての扱いを全く受けていない"とはじめて憤慨してくれたのもこの方でした。
歩けなかった私、歩けないと思っていた私が歩けるようになったのも、この方のおかげでした。

2つの幼稚園に通い、リハビリに通い、様々な訓練を毎日行いと、とても、大変で辛い日々でしたが、その全てがキッカケになり、教育委員会と学校が出してきていた全ての条件をクリヤー。
了承が得られ、私は、近くの市立の小学校の普通学級に入学することが出来ました。

この園長先生に出逢わなかったら、今の私は決してなかったと思う。
この方がいてくれたからこそ、今の自分は、生きてこられたのかもと思うぐらいの恩師でした。

昨日は、その園長先生の奥様と娘さん2人(この2人も障害者です)が来場してくれました。
私は、全く知りませんでした。
休憩中、同時字幕(要約筆記)のチームが心配で見に行った時、スタッフから呼ばれてロビーにいったら、その方がいました。
サプライズでした。
本当にビックリしました。

その方が目の前にいたときは、10秒ぐらい停止してしまいました。
「そうそう。元気でいてくれてよかった。」って優しく言ってくれて、とても、嬉しくて、なかなか言葉が出てきませんでした。

私は、産まれた瞬間から、愛を受け取ってきたんだってそう思う。
両親からもそうだし、私を救い上げてくれた園長先生やそのご家族からもそうだし。
今、イベントなどで一緒にやっている仲間たちからもそうだし。

この身体であっても、大変な時であっても、全て愛で、守られていたんだって改めて感じました。

この愛があったからこそ、一昨年からの激動の1年半も、くぐり抜けられる力と勇気を忘れずに持って生きてこられたのだと思う。

あの時、あの瞬間。
あの出会いがなかったら、自分はいなかった。
大変な時も、その全てで、私を良い風に導いてくれていた。
今のこの瞬間を笑いあえるように、幸せになるために。
ちゃんと準備され用意されていたんだと。

そう改めて想い


そして、この命を大切に繋ぎ、紡ぎ、この命そのものを大切に伝えて行こうと改めて思った一日でした。

本当感謝しています。
全ての日々に。
全ての時に。
全ての人に。
ありがとう。

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