2012年5月アーカイブ

京都で車の暴走事故が起きてからなのか。
又は、どこかの市長さんのチルドレンたちが変な教育条例案をつくって騒がせたからなのか。

最近、障害をテーマにした記事など、色々と目にする事が多くなった様な気がします。
どれを読んでも思うのだけど、他と違う事がどうしてここまで人を色々な形で苦しめ追い詰めてしまうのだろうと感じてしまいます。

見た目がわかる部分での違いもそうだけど、発達障害のような目に見えない部分での違いもまた、誤解という形で、見た目の違い以上に大変な状況があるのかもしれません。
勿論、障害を持つ持たないに限らず、ほとんどの人がどこかしら「他と同じであること」を願っているのかなって思うし、そうでなければならないと感じながら生きているのかもしれません。

一つでも「違うこと」「劣っていること」があっても悪い事、いけないことの様に取り扱われる。
全てが「一般化」され、あたかも全てがそうであるかの様に扱われ、そこからはみ出たらいけないと言われる。
そんな世界に生きているんだとそう思いますし、本人自身もそうであると、どこかしら感じて生きてしまっているように感じます。

昔ほどではなくなったとは思うけど、今でも、障害を持つと、本人も、そしてその家族や関係者も世間の目というものが痛いほど、苦しめてしまう現実があります。
勿論、実際に何があったわけでもなく、意識的にではないのかもしれないけど、どこかしらそんな空気に包まれてしまっているのは確かだと思う。

私が小さい時もやはりそうでした。
人前に出ること、目立つことは避けていたし、迷惑をかけること、ましてや、学校でいじめにあうことすら、タブーの様に扱われていました。

 いじめにあう=迷惑をかける

だったから。
いじめた本人よりもいじめられた本人の方が風当たりが悪くなってしまうことも多くありました。

親戚の間でさえも、やはり、風当たりが悪い事もあります。
血が繋がっていたとしても、その血縁の中で障害を持った人がいるということは、親戚全員に迷惑をかけるのではないかという雰囲気にさせてしまうのです。
これも、実際にそういうことがあるわけでもないにしてもです。

だから、私も、そして家族も、大変な想いをしてきたし、隠れて生きて来たという所も多くあったように思います。
道の真ん中を堂々と歩けるようになったのは、つい最近です。
自分の障害について、話せるようになったのも、つい最近です。

ただ、私の家族は、障害に対して、前向きに捉えていた所もあったので、マシな方でしょうね。
追い詰められた挙げ句に一家心中なんて、ざらにあります。
新聞に載っている記事なんて、一例でしかありません。

それが現実だと思います。

5月24日の朝日新聞の朝刊に載っていた稲川淳二さんのインタビュー記事。
胸に迫るモノがありました。
手をかける前に我に返って良かったと思うし、さぞかし、苦しい思いを持って生きていたのだろうと感じます。

稲川淳二_障害者が生きる_small.jpg
記事は、こちらで読めます→コピー記事「( インタビュー) 障害者が生きる タレント・稲川淳二さん」
元記事(全文閲覧は有料です)→「最低の父でした」障害者の親・稲川淳二さんに聞く

誰もが違っていて良いんだ。
違いが宝なんだ。
その違いをお互いが認めあえ、許し合えることが素晴らしいんだ。
誰もが共に生きられる世界を創っていこう。

こんな世界なんて、夢みたいな話なのかもしれません。
遠い世界なのかもしれません。

でも、誰もがこう思える世界を創りたいのです。
その為には、どんな法律を作ったとしても変わらないと思う。
意識そのものを180度変えるには、法律ではかわらないと感じます。

こういうことが、現実に起きていること。
辛い思いを持っている人が、身近にいるっていうこと。

そのことを誰もが意識し、誰もが自分のこととして、考えないとならないと思います。

そして、「差別は被差別者の意識からも産まれる」というのも確かで、本人や家族達の心からも「違う事への劣等感」を手放していかないとならないと感じます。
心に傷があると、なかなか出来ないことだと思うし、どうして抱え込んでしまいがちなのだけど。
でも、本当に今を変えるなら、必要不可欠な事だと思うし、もし、傷があるのなら傷があるで「傷がある」と正々堂々と言ってしまうこともある意味、必要なのだと思うのです。

違っていていいのです。
差があっていいのです。

違うこと、差があることが、悪いわけでもなく、問題があるわけでもなく。
その違いや差を認められないことが問題なのです。
悪いことだと、問題だと思ってしまうことが、おかしいのです。

同じでなくていいのです。
同じにしなくていいのです。

「障がいを生涯かけて生きる。それが私の役目であり、それが生きる目的。」


私が講演でいつも使っている決意の言葉。

そのことをちゃんと伝えられる自分でありたいし、そういう自分になりたいと、最近、さらに強く感じているこの頃です。


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