2012年8月アーカイブ

私は、311の東北での震災後、いまのこの時代の為に、何が出来るだろうとずっと思っていました。
震災や原発事故で苦しい想いをしている人達も含め、様々な混乱と混沌の中で必死にもがき苦しんでいる人達に向けて、何を伝えられるのだろう、何ができるのだろうと、ずっと考えていました。

私自身、2年前に体調を崩したのをきっかけに、入退院を繰り返し、一時期、絶望の淵に立たされたことがありました。

腎臓へカテーテルを通す二泊三日程度の入院ですむような簡単な手術の後。
麻酔から覚めた途端地獄を見ました。
そして、「もう歩けないから」「最悪、寝たきりかもしれない」と言われました。

どうしようもない怒りや悲しみ、憎しみに明け暮れました。

でも、ある瞬間、「生きてるんだからそれで良いんだ。それで十分なんだ。」って身体全体で感じ、その途端に、憎しみや悲しみが一気に洗い流され、今まで感じたことのない幸福感に満ちあふれ、力がよみがえってきました。

そして、1年半という闘病生活を乗り越え、今、自由に動けるまでになりました。

この想い。
この願いを、誰かに伝えたい。
今、一番、苦しんでいる人達に向けて、生かされた命の力を還元していきたい。
そう思っていました。

入江富美子監督の最新映画『天から見れば』の映画の情報を見た人達から聞いた時、「この映画こそが、今の時代に必要なことが詰まっているのではないか」と思い始めました。
先日、いのち☆つながる広場日野で試写会を開いた時、その想いが確信に変わりました。

今、この時を生きるすべての人に。
今、この時を一緒に歩んでいきたい皆さんに。
生きる力を伝えたいのです。
乗り越えていく力を伝えたいのです。

明日へ歩み続ける為に、今という時を愛と共に生き続ける。

その大切さを伝えたいのです。

10月8日。
今回の実行委員長の長谷川さんの元で、この願いが実現します。

午前中は、ママさんタイムといって、お子さん連れでも一緒に安心してご覧頂けるようにいたします。
午後は、私の講演会と、会場の皆様と今の想いを分かちあう為の交流会の時間を設けます。

皆様、是非、足を運んでください。
周りの人にお伝えください。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

詳細案内 ↓
2012年10月8日(月・祝)
いのちj☆つながる広場 日野 主催イベント
日本画家 南正文
ドキュメンタリー映画『天から見れば』自主上映会
~禍福一如( かふくいちにょ)の教え~

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8/11~8/19まで、お盆休みで9連休でした。
有休とかを使って飛び石を埋めてだけど。

病気になる前は、連休なんてあると仕事が遅れるので、気になって気になって。
精神的に休めなくなるほど苦々しく思っていたけど、今の部署は、のんびりやらせてくれているので、何とも優雅です(笑)
大きな病気になってよかったことの一つかもしれません。
でも、なんだかんだと、連休は忙しく。
毎日、何かしらやっていたので、充実した日々でもありました。
自分に向けての休みも出来たし。
本当によかった~。

18日は、『うまれる』上映会。
八王子の友人とドライブしながら行ってきました。
近い所に住んでいながら、ずっと、忙しくなかなか逢えなかった友人で、前から「お茶しよー」って言っていて。
偶然のような、必然のような縁で、一緒に行くことになったのです。

「うまれる」自体は二度目の鑑賞だけど、池川先生の講演を聞けたり、コクーンのミニライブを聴けたりで、余計に感動し、胸に響くものがあり。
その友人ともじっくりとお茶したり食事したりして、シェアもしてきて、楽しい時間を過ごせました。
なんだかんだいって、ずっとゆっくり話したかった友人だったので、貴重な時間で、大切な時間になりました。
映画のことや講演のことや音楽のことも含め、自分のことや相手のことなど、お互いに深い想いに浸れてとてもよかったです。

「うまれる」や「ゆずり葉」や「天から見れば」など。
最近、こういうドキュメンタリー映画を見る度に思ったりすることがあります。

人生色々だけど、一つひとつが、既に予定されていたことなのかもしれないし、空の向こうで約束されてきたことなのかもしれないし。
自分の事として振り返ってみると、「あ~、そういうことか」と因果関係が見えてきて、納得いくことが多いなって、今更ながら思ったり。
大変だったことも多かったけど、すべて今に繋がっているし、その一つが欠けても、今は成り立たないのだし。
そう思うと、その1ページ1ページが愛おしく思えてくる。

そして、その1つでも2つでも、周りに還元していけたらなぁって思うのです。
生かされてきた命だものね。
大切に、後に繋げて行きたいって。。。そんなことを思うし、連休中、そんなことをずっと、考える毎日だったなぁって感じます。


20日から仕事が始まり、通常業務。
いきなりハイペースな仕事量で、かなり、バテた(笑)
でも、そのせいか、テンションがあがってしまい、眠れなく。
この日記を書いてしまってます。

元のリズムに戻れるかなぁ、、、戻らないとなぁ、、、(笑)
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前から書こうと思っていたこと。
さくっと書いてみます。

「インクルーシブ教育」で特別支援はどう変わるの?(Benesse教育情報サイト)

私、昔から言ってきたことがあります。
前にもブログで書いて、障がいを持っている人、ご本人から色々と言われましたが。。。。

でも、改めて言います。

今までのような特別支援学校は、必要無い。

キツイ言葉ですが、日本のこの制度は、「障がい者の教育を支援する」という表向きは善意的に見えますが、その善意という名を借りた障がい者の隔離政策だと思っています。

もし、隔離ではないというのであれば、なんで今まで、

「障がい者は原則として特別支援学校、並びに学級に入学させる」

なんていう方針が出てくるのでしょうか?
何をどこで学ぶかは、あくまで、個々が選択し、それぞれがそれぞれであるべきなのに、なんで、さも当たり前のように、障がいの有無によって、学ぶ場所を指定されないとならないのでしょう。
しかも、医学的な内容まで事細かく指摘され、その人達を障がい者とする、とまで位置づけまで行っているのです。

私が幼稚園、小学校に進学するときも、さんざん「養護学校(今でいう特別支援学校のこと)へ」と薦められました。
親も私もそれを拒否。
最終的には、当時住んでいた市にある障がい者団体などの力を借り、何とか普通学級へ進学できました。
でも、もし、その支援がなかったら、私も養護学校へ行かされていたでしょう。

先進国で、障がい者を原則として特別支援学校、並びに学級に入学させるなんて方針を打ち出しているのは、私が知る限り、日本だけです。
先進国では、自閉症や重複障がい(幾つかの障がいが重なっていること)など、特別な環境や技術がないとならない場合を除き、インクルーシブ教育(障がい 者を普通学級へ入学させて一緒に教育させること。または、一緒に教育が受けられるように支援すること。)が積極的に行われています。

例えば、アメリカは、2000年の時点で、一部の保守的な州を除き、普通学級への入学は50%を超えています。
なぜ、そこまで積極的なのか。
アメリカ憲法そのものが、性別や人種や障がいなどによって、区分け、隔たりを許しておらず、皆、同じ場所で、同じ権利を得、同じ教育を受けることを保証しているからです。
だから、ケネディー大統領以降、法律として積極的に教育現場を改善し、インクルーシブ教育を推し進めてきました。

これと同じように、イギリス、フランス、イタリアなど、他の先進国も同じように特別支援学校の様な施設を減らし、普通学級への入学を増やしていっています。
イタリアは、普通学級への進学率は100%近かったと記憶しています。

勿論、知的障がいなど学習困難な場合もあります。
その時も、障がい者本人や家族の意向をくみ取った上で、普通学級への進学を望むのであれば、リソースルームなどといった補完教育やカウンセリングを併せて行うことで、推し進めています。
そういう意味での支援学校、学級は必要だと思います。

私は、この日本の障がい者教育のやり方そのものが、障がい者と健常者を、遠くわけ隔てる元凶だと思っています。
両者がわかり合えない元凶だと思っています。

小さい頃から、別々の部屋、別々の施設で暮らすから、いつまでたっても、誤解や偏見が絶えないのです。

健常者は障がい者を知らず。
同じように、障がい者は健常者を知らないのです。

一緒に暮らす術も、助け合う術も何もしらないのです。
だから、ますます、両者の間が開いていく。

これは、障がい者の権利としてだけではないです。
障がい者としての最大の義務でもあると思います。

そう。
社会の一員として、障がい者が生きていくための義務です。

前にあげた発達障がい者が起こした事件も、防げたかもしれないと思っていますし、障がい者の就職率の低さなども、これらのせいではないかと思っています。
だからこそ、このわけ隔てた教育のやり方そのものを見直していくべきだと、ずっと、思っていました。

小さい頃から隔離してしまうことで、社会の一員だという体現的に自覚さえ出来ず、自分自身の存在価値もわからず。
その為、実際に社会に出たとき、混乱してしまうのです。
だから、ますます、引きこもってしまう。

フランスでは、インクルーシブ教育により、障がい者全体の学力が向上し、障がい者に対する偏見や差別も減り、就職率もアップしたとの事例があるそうです。

日本でも、戦前は、障がい者も健常者も小学校から一緒に学んでいました。
勿論、いじめもあったそうですが、障がいを持った子がお漏らしをしたら、冷やかしながらも誰かが助けていたそうです。
でも、戦後、養護学校というものが出来るようになり、障がい者は動物園のオリの中の動物を見るかのように、好奇の目に曝されたそうです。

戦後、養護学校への進学を推し進めていく国に抵抗し、普通学級へ入学させることという運動は、昔から存在していました。
ある家族もそうやって子どもを普通学級へ進学させました。
でも、そうやって普通学級へ入学した障がい児が、周りからの好奇の目に絶えずさらされ、苦しみ続け、最後には自殺した人達もいました。

だからといって、このまま、隔てたままで良いとは思えません。
障がい者も社会の一員だとするならば、小さいころから、体験させていくことが必要だと感じます。

隔てるから尚更、事態が悪化していくのです。
好奇の目ではなく、一緒に暮らしている仲間として向かい入れる準備をさせるには、小さい頃から体験として、学んでいく必要があると思います。

日本においても、やっと、中央教育審議会が「見直すべき」と結論を出し、文科省への報告書が出されました。
この動きは、喜ばしいことです。

でも、まだまだ、一歩目だと感じます。

色々な問題があると思います。
でも、これも、すべてをひっくり返してでも、取り組むべき課題だと感じます。

100人に1人は何らかの障がいを持って産まれてきています。
後期障がいを含めれば、全国民の5%前後が障がい者です。
これから高齢化や医療技術の発達でますます増えていくでしょう。

そして、今、盛んに言われている発達障がいも含めれば、もっと、増えます。
数字的にはその10倍近くになるのではないかとも言われています。

今、隣にいる人が障がいをもっているかもしれない。
なのに、こういう隔たり、区分けが、今更必要なのでしょうか?

前に書いた様に、自殺した障がい者がいるのと同じに、普通学級へ入学した障がい者のすべてが、プラスになったかといえば、そうでないと思う。

でも、私は、心から幸せだったと感じています。
そこから学んだことは、大切な宝だと感じています。
いじめや差別も沢山あった。
私は骨の折れやすい病気なので、友達とぶつかればすぐに入院でした。
でも、今となっては、それらすべての経験が今の自分のすべてを形成してくれました。
共に生きる楽しさも苦しさも知ることができました。
助け合うことの大切さも知ることも出来ました。
だから、とても、ありがたい経験をさせてくれたと、心底思っています。

障がいの程度は、100人いれば100通りあるので、かなり難しい問題だと思うけど。
でも、障がい者も健常者もそこから逃げていたのでは、何も改善しないと思うのです。
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姉刺殺の被告に求刑上回る懲役20年の判決(2012年7月30日21時34分 読売新聞)

 昨年7月、自宅を訪ねてきた姉(当時46歳)を包丁で刺殺したとして殺人罪に問われた大阪市平野区の無職大東一広被告(42)の裁判員裁判の判決が30日、大阪地裁であった。

 

 河原俊也裁判長は、大東被告が広汎性発達障害の一つである「アスペルガー症候群」だと認定。「社会内にこの障害に対応できる受け皿が用意されていない現状では、再犯の恐れが強く心配される」として求刑(懲役16年)を上回る懲役20年を言い渡した。

 大東被告は同月の逮捕後、大阪地検の精神鑑定で、この障害があると診断された。地検は刑事責任能力に問題はないとして昨年11月に起訴。公判で大東被告は罪を認め、弁護側は、犯行には障害が影響したと主張。保護観察付きの執行猶予判決を求めた。

 判決で河原裁判長は「約30年間、自宅に引きこもっていた被告の自立を促した姉に恨みを募らせた」などと動機を認定。障害の犯行への影響を認めたが、「量刑で大きく考慮することは相当でない」として量刑面の弁護側の主張を退けた。

 一方で、障害に対応できる受け皿が社会に整っていないとの認識を示し、「十分な反省のないまま社会復帰すれば、同様の犯行に及ぶことが心配される」と指摘。量刑判断に社会秩序の維持の観点も重要として「殺人罪の有期懲役刑の上限で処すべきだ」と述べた。

 ◆アスペルガー症候群◆ 生まれつきの脳機能障害が原因とされる。著しい言葉の遅れや知的障害は見られないが、対人関係の構築や感情のコントロールが苦手とされ、周囲から理解されにくい面がある。

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この記事、かなり、考えさせられました。

ここには書いていないけど、生き残った家族でさえ受け入れを拒否したそうです。

ネット上では、英断だったという意見と、こんな判決が人権違反であってはならないっていう意見と色々ですね。
色々と意見があって当然だし、両者の意見とも正しいように思います。

山本譲司さんの本「累犯障害者」という本を読むとニュースには絶対にならない一面を読むことができます。
再犯の恐れがあるなしの問題以前に、刑務所が行き場のない障害者の最後のセーフティーネットになっている現実も実際にあり、わざと犯罪を犯して、刑務所に入る人も後を絶たないそうです。

じゃ、そういう施設を増やしていけばいいのか。
確かにそうなのですが、それすらできないって知っていますか?

先日、ある上映会の席。監督さんとの質疑応答の時間で、お客さんのひとりが手をあげ突然「近くに障害者施設が出来ようとしたら、反対運動がおきた」と話していました。
途端、会場がどよめきました。監督も慌てて聞き返していました。

実は、これ実際にある話なのです。
要は、施設ができると不審者が増え犯罪が増える、時価が下がる、という、「えっ?」と耳を疑ってしまう言葉が、どこかしら出てくるそうです。
そして、それが大きくなり反対運動となる。

随分昔にNNNドキュメント『ふるさと東京を離れて』というのを見てびっくりしたのだけど、一時期、都では、反対運動をはじめとした地元の理解不足や時価 の高騰などにより、施設を増やすことが出来ず、苦肉の策として秋田に施設を建設し、身寄りのない障害者をその施設に送ることをしていました。
今でも秋田には東京都管轄の施設が点在しているそうです。

あまりに理解がなさ過ぎなのです。

勿論、犯罪は犯罪として裁かれるべきだとは思うけど、社会に受け皿さえあれば、いくらでも防げる犯罪が沢山あるのです。
障がいがあるなしにかかわらず、たった一つの「違い」から社会から弾かれてしまう人が沢山いるのです。

だから、司法が悪いとか、法律がどうのではなく、社会全体が起こした事件なんだということを自覚した方が良いと思うのです。
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