和訳:息子グレゴリーとのiPhone使用誓約書 (Gregory's iPhone Contract)
http://in-the-eyes-of-etranger.blogspot.jp/2013/01/iphone.html
色々と賛否あるらしいけど、私は、これぐらいのことはすべきだと思う。親として。
子を本当に思うならば。
ソニーのPSPとか任天堂のDSのような携帯型ゲーム機が流行りだした頃、近くにいる親との会話らしい会話は一切無く、お店の待合室やベンチ、そして、歩きながら、子どもはゲームに夢中になっている姿とか良く見かけました。
親との会話ってないのかしら?
家ではどうしているのかしら?
って人事ながら心配になってしまう事が多かったです。
私の小さいころもゲームウォッチとか流行りました。
でも、買ってくれませんでした。
パソコンは1台あったけど、ゲームとかのソフトは年に一回、誕生日に買ってくれるだけ。
後は、ひたすら、自分でプログラムを組んで、打ち込んでいた。
しかも、パソコンの前に座るのは、1日に1~2時間とかの制限付き。
テレビとかも同じでした。
その時は、辛かったし、周りは持っているけど、自分は、持っていないモノが多くて、悲しかったけど、今思うと、これも愛なんだなって思う。
パソコンとかできない間に、勉強したり、本を読んだりできたのだし。
外に出て遊んだりもした。
それだけ、想像力も、体力もついてきた。
今、その時の経験が役立っていることも多いように思う。
なんでもかんでも与えれば良いだけの子育ては、結局、受け身オンリーの思考しか持ち合わせていなく、マニュアル通りのことしかできない、コミュニケーションがうまくいかない人間が育ってしまうように思います。
機械の冷たさよりも、人の温かさを知る時期を逃してはならないと思います。