自分のことの最近のブログ記事

40歳になりました。
既に沢山のお祝いのメッセージなど頂いております。
ありがとうございます。
後で、じっくりとお返事させて頂きますね。

20歳までは、「障がい」という言葉に振り回され、自分って誰なんだろうと悶々とする日々を送り。
20歳になった時、漠然と「こんな自分は、もうすぐこの世からいなくなるんだろうな」って思っていて。
それから既に20年近くも長く生きることが出来て。

大変なことも沢山あり、駆け抜けてきたって印象がやっぱり強く。
特に30代は、本当に何倍ものスピードで突っ走ってきた気がします。
10年が20年、30年も一気に流れ去ったようなそんな感じです。

そして、30代最後は、急転直下の出来事が起き、生きるのか死ぬのかって思う様な毎日を過ごしていました。
2年前の今日は、15日ぶりに重湯を口にした時で。
1年前の今日は、再入院、再手術だと大騒ぎしていた時で。
今年になり、やっと落ち着いて、誕生日のこの大切な日をじっくりとゆっくりと過ごすことができています。

実のところ、こうやって何も考えずに過ごせる誕生日が来るなんて、全く思っていませんでした。
この2年に起きたことを考えると、過去に、そして、今という時に「YES!」と、しっかりと抱きしめて、はっきりと言える日が来るとは思ってもいませんでした。
今のこの気持ちに不思議な感覚もしています。
でも、これも現実なんでしょうね。
先日、地元で開催した講演の時に、そのことを確信しました。
話していて、「これで、よかったんだ」と。
今が「幸せ」なんだと。
そう自分の想いを確認する事もできました。

やっぱり、こういう経験を乗り越えられたのも。
今、ここに生きていられるのも。
見えない力に引っ張られるようにサポートされて来たんだろうなってそう思う。
全ては、今のここに来られるように、導かれて来たんだろうなってそう思う。

悲しいこと、辛いこと、沢山あったのは確かで、今でも大変なことも沢山あるのだけど。でも、そのひとつひとつが、今の自分をつくったピース(欠片)となっているわけで。
そのピースの1つ1つそれぞれに意味があり、役割があり、その一つでも欠けていたら、今の自分はいなかったわけで。

私だから、出会えたこと。
私だから、体験できたこと。
私だから、感じられたこと。
私だから、出来たこと。
私だから、思えたこと。

人も物も出来事もその全てが。
その一つひとつが、大切な宝であるわけで。

その一つひとつを、大切に感じて、今を生きていきたいと、改めて強く思うのです。

これからの10年。
これからの20年。
これからの30年。

何がどうなっているかわからないのだけど。
自分自身も周りもどうなっているかわからないのだけど。

今までに感じてきた想いがあるから。
今までに歩んできた道があるから。

これからも、きっと、大丈夫なんだとそう思う。

誰でもなく。
どんな誰でもなく。

世界のどんな唯一の自分であるように。
自分が自分で有り続けるように。

この身体で。
この想いで。
少しでも、歩んで行けたらとそう思います。
誰かの想いに寄り添えるように、歩んで行けたらと思うのです。

今まで、繋がってくれた数え切れない皆様に。
そして、これから繋がってくれる数え切れない皆様に。

この生かされてきた命。
少しでも還元していきたいと思うのです。
この歩んできた小さな足跡を。
全てを明日に繋ぐために、生きていきたいと思うのです。

本当に、今という時に。
その全てに感謝しています。

本当にありがとうございます。


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日付が変わって昨日。
10月5日は、大腿骨頸部骨折記念日でした(笑)
こういう言い方をすると、親は苦笑いしますが。。。。汗

第二の生誕祭ともいうのかな。

2年前の昨日、手術中の事故。
そのまま、長期入院となりました。
全ての治療が終えたのは、結局、1年半もかかり、今でも、以前の6~7割程度ぐらいにしかなっていない。
多分、これ以上は無理だと思っているし、人工肛門とかもあるので、このまま、仲良く生きていくしかないのだけど。
でも、あの時から比べたら、雲泥の差。
随分と楽になりました。

でも、あの時は、本当に、明日どうなるかもわかっていないし、恨み辛みで頭がいっぱいで、今のことすら考える余裕もなく、悶々とした時間を過ごしていたなって思います。

あの頃の日記を読み返すと、自分で書いた日記なのに、「どんなに辛かったのだろ」と胸が詰まるような想いがします。

https://be-smile-presents.team-soranoyakusoku.jp/to_sky_of_hope/2010/10/post-94.html

あの地獄のような日々から抜け出せて、ほんとによかったと思う。

「生きているだけで良いんだ。寝たきりでもどんな形でもまずは生きよう。それでいいんだ」

っていう想いが頭の中にフッと沸いたのと同時に、何とも言えない幸福感に満たされた瞬間かあり、そこから全てが好転していった。
自分の今を全て受け止め、丸々愛せた瞬間なのだと思う。
その瞬間から全ての歯車が一気に回り始めたことには変わりなかった。

これが奇跡なのか、それとも、はじめから予定されていたことなのかよくわからないけど。

でも。

なにも悪いことは起きないんだ。
全て必要あるからこそ、そこにあるんだ。

と、心底思えたし、腹の底に落ちたような気がします。

この大切な気づきを得るために、あの時があった。
そして、それを伝えるために、今がある。

10月8日。

そのことも含め、どこまで話せるか、どこまで伝えられるかわからないけど。
今、できるだけのことを精一杯、伝えられたらと思っています。

まだ、お席があります。
是非とも、ご来場ください。

そして、明日を共に生きるために。
皆さんと共に、その"生きる力"を分かち合えたらと思います。

10/8 『天から見れば』上映会+武市にぽぽ講演会
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私は、311の東北での震災後、いまのこの時代の為に、何が出来るだろうとずっと思っていました。
震災や原発事故で苦しい想いをしている人達も含め、様々な混乱と混沌の中で必死にもがき苦しんでいる人達に向けて、何を伝えられるのだろう、何ができるのだろうと、ずっと考えていました。

私自身、2年前に体調を崩したのをきっかけに、入退院を繰り返し、一時期、絶望の淵に立たされたことがありました。

腎臓へカテーテルを通す二泊三日程度の入院ですむような簡単な手術の後。
麻酔から覚めた途端地獄を見ました。
そして、「もう歩けないから」「最悪、寝たきりかもしれない」と言われました。

どうしようもない怒りや悲しみ、憎しみに明け暮れました。

でも、ある瞬間、「生きてるんだからそれで良いんだ。それで十分なんだ。」って身体全体で感じ、その途端に、憎しみや悲しみが一気に洗い流され、今まで感じたことのない幸福感に満ちあふれ、力がよみがえってきました。

そして、1年半という闘病生活を乗り越え、今、自由に動けるまでになりました。

この想い。
この願いを、誰かに伝えたい。
今、一番、苦しんでいる人達に向けて、生かされた命の力を還元していきたい。
そう思っていました。

入江富美子監督の最新映画『天から見れば』の映画の情報を見た人達から聞いた時、「この映画こそが、今の時代に必要なことが詰まっているのではないか」と思い始めました。
先日、いのち☆つながる広場日野で試写会を開いた時、その想いが確信に変わりました。

今、この時を生きるすべての人に。
今、この時を一緒に歩んでいきたい皆さんに。
生きる力を伝えたいのです。
乗り越えていく力を伝えたいのです。

明日へ歩み続ける為に、今という時を愛と共に生き続ける。

その大切さを伝えたいのです。

10月8日。
今回の実行委員長の長谷川さんの元で、この願いが実現します。

午前中は、ママさんタイムといって、お子さん連れでも一緒に安心してご覧頂けるようにいたします。
午後は、私の講演会と、会場の皆様と今の想いを分かちあう為の交流会の時間を設けます。

皆様、是非、足を運んでください。
周りの人にお伝えください。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

詳細案内 ↓
2012年10月8日(月・祝)
いのちj☆つながる広場 日野 主催イベント
日本画家 南正文
ドキュメンタリー映画『天から見れば』自主上映会
~禍福一如( かふくいちにょ)の教え~

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仕事

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昨日からゴールデンウィークに突入して二日目。
いやー、まったり中です(笑)

毎年、この時期は年度初めの受注生産真っ盛りで、納期対応に追われて休めることがなかったけど、5月6日までフルでお休みなので、毎日、まったり状態で過ごせそうです。

GWに入る前。
社長との定例面談がありました。

会社での、今までのこと、これからのことを話し合う場です。
社長との距離が近い100名前後の企業ならではの行事かもしれません。

身体の事とかも色々と気遣ってくれました。

社長の一言。

「前の職場は、色々と技術的な事とか多かったから、今の職場は物足りなくないか?」

病気で倒れる前は、設計にいました。
会社でいえば、ある意味、最前線の様な職場。
毎日、1分、1秒との闘い。
残業は当たり前。
しかも、1μm単位という1mm以下の世界とのにらめっこです。
神経休まるところがありませんでした。

それだけ心身衰弱してもおかしくなかった職場でした。
でも、それなりにやり甲斐があって、それなりに責任があって。
専門の技術職でクリエーターでという内容は、やっぱり好きな仕事でした。
そのつもりで、学生の時は勉強もしてきたし。

でも、今は、品質管理の仕事。
しかも、WordやEXCELが使えれば、何とかなるような仕事だけ。
もちろん、今は、慣らし運転の時ですし、今年度から責任ある役目の主担当になったので、それなりにやり甲斐はある仕事になってきました。

仕事があるだけマシだし、居場所があるだけマシ。

そう思う反面、前の職場の方が良かったなって思うこともしばしばで、最初の頃は、思い出す度にゲッソリしそうで、肩身の狭い気持ちで一杯になることもありました。

今は、そういう気持ちから少しずつ脱して、今の様な縁の下の仕事こそ大切で責任を負う仕事だと思うし、品質管理こそ、ものづくりをメインとする会社にとっては要でもあるので、それだけ大事な仕事だと思っています。

社長のこの一言は、そんな私の心の揺れをくみ取ってくれたんでしょうね。

「今は、身体を慣らすのが精一杯です。それに、半年も病気で会社には戻れず、もう、社会復帰はもうダメかなって思っていたので、仕事があるだけ、ありがたいし、幸せです」なんて、私が応えたら、社長とその近くにいた専務は笑って「病気は仕方ないことだろ?会社としては、貴方はいて欲しい人なのだから。逆に今までムリさせてきたんじゃないかって心配しているし、何かムリな事があったら必ず言うようにしてください。」と言ってくれました。

やっぱり、この会社に就職してよかったのだと、改めて思いました。
もう15年にもなるけどね。
大学卒の時は就職難で、しかも、障がいを持っているから、雇ってもらえるところがなかったし。

そんな中、2つから「うちに来ないか」って言ってくれて。
その2つの会社の1つでした。
もう1つは、それこそ万という社員を抱えている会社だったけど、通勤が大変だったことと直感的な理由でこちらを選んだ。

その直感が良かったのだと、今は、思っている。

これからどうなるかなんてわからないし、また、以前のように大変な仕事がある部署になるのかもしれないけど、どんな小さな仕事でも、どんな些細な仕事でも、ムダなものはないし、責任があることだし。
そう心に刻みつけて、一つひとつ歩んでいきたいってそう感じます。

今、こうやって過ごせること、その全てが感謝ですね。
そう思います。
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3月11日のあの瞬間。
私は、自宅の居間にいました。

ちょうど、長期入院あけ一ヶ月目の日でした。

台所では、母が仕事をし、玄関では、新しく手すりと段を作るために、工事のおじさんが仕事をしていました。

突然、ゆっくりとした揺れ。
地震に対しては、あまり、驚いたりする人間ではないので、「いつものことかな」と様子を見ていました。
寝っ転がった状態。
退院はできたけど、まだ、自由に動けるような状態ではなく、多少、母の手助けが必要な状態でした。

なかなか収まらない揺れ。
さらに大きくなる。

家が軋む音が大きくなるにつれ、窓から見える電線や建物が揺れている。

さすがに怖かったです。
ぞっとしました。

幸いにして、私も両親も家族も親戚も無事でした。
父は、朝方に帰れたし、福島に親戚も、自宅が全壊した家が1件、半壊も1件。
でも、何とか無事でした。

それからテレビやラジオを次の日の朝方まで付けっぱなしで。
眠れるような状態ではなかったです。

原発の第一報が入った瞬間、チェルノブイリを思い出しました。
次の日、水素爆発が起き、もしかしたら、最終的には日本はこうなる運命だったのかと、その瞬間、思いました。

今回だけでなく、いつもだけど、震災などの災害が起きたりするといつも思うのは、自分の様な障がいを持った人間は、どうなってしまうのだろうという不安。
あの時は、本当に動けず、天井を見るだけしかできなかったので、さすがに息が詰まるような不安で、震えていました。

テレビとかで、震災の特集を見ると、生きるって希望でもあるけど,残酷でもあるなってそう感じてしまいます。

生き残った命。
これをどう最後まで生かしていくか。

今の世の中って、これほど、大変で、辛いことはないのかもって、どうしても思ってしまいます。

でも、生きているし、生かされているし。

亡くなっていった人たちの為にも、このいのちを大切に感じて、生きていかないとってそう思います。

だけど・・・。

自分のできることって、ちっぽけで。
動けない身だと、さらに、何ができるのだろうって、どうしても、考え込んでしまう。

今なお、大変な想いをしている被災者も含め、本当に今の時代を苦しんでいる人に対して、頑張れとか、励ましとか、どう見えて、どう感じてしまうのだろうと、思ってしまう。
容易く、笑顔になりますように、幸せになりますようにって祈ることが、どこまで、相手にとって、プラスになっていくんだろうって思ってしまう。

でも・・・。

それでも、本当に相手のことを想い、祈り、自分のできることを精一杯して、今をしっかり生き、この命に、全ての命に感謝するしかないのかなって。。。。そう思うのです。

「全は個にして 個は全なり、個は孤にあらず」

全ては、自分で有り。
自分は、全てで有る。

その事を胸に刻んで、今という時を大切に生き、時を歩んでいく。。。。それが、全ての基本であり、大切な想いなのだとそう感じます。

全ての命に。
今ある命も、今亡い命も、これから産まれる命も。

その全てに、感謝を込めて、祈りを捧げて、これからを生きていきたいとそう思います。
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3月10日は、東京大空襲のあった日。
そして、3月11日は、東日本大震災の日。

この土日は、命について深く考えられる大切な日になりますね。
皆様、いかがお過ごしでしょうか?

5日~8日まで、入院していました。
一昨年に入れたボルトを抜くために。
6日に手術を受けました。
この2年間で、何回目の入院と手術なんだろう。。
我ながら、すごい2年間だわ。。。

特に、痛いとかいう事はなかったので、本当は、今年の後半ぐらいにって思っていたのだけど、整形外科の先生が春から北海道の系列の病院に転勤になってしまうので、自分の事を良く知っている先生にやってもらった方が良いということで、前倒しになりました。

一昨年の10月始め。
足にボルトを埋める事になったのは、手術中の事故。
手術中の体位変更の時に、無理に動かしたため、右足付け根、大腿頸部を粉砕しました。
骨形成不全症という元々あった病気もあったので、当時の診察では、骨折部は二度と接合しないだろうと言われてしまいました。
最悪、右足が壊死、切断の可能性も有りと。
どうなるかわからないけど、やるだけやってみようと試みた接合手術。
その時に埋め込んだボルトが80mmと75mmの2本。

今回は、その手術後に入院した病棟に入りました。

いや・・・全然、覚えてない(笑)
担当になってくれる看護師さんがそろって「お久しぶりですね。覚えていますか?」って言われるんだけど、見事な程に空白状態でして。。。。汗

あの時は、何が起きたのかわからず、受け止められない現実と、事故を起こした担当医に対する恨みと、そのせいもあったのか、手術後直後から食欲がなくなり、腸閉塞のための激痛で。。。。まともな神経じゃなかったし。。。ねぇ。。。

ということで、はじめて入った病棟のようで新鮮でした(笑)

今回は、かなり元気な状態での入院だったので、暇で暇で。
こういう入院もあるんだなってそんな風に思ったり。

順調な状態で、6日の手術を迎えました。

部分麻酔でOKですよ、って言われていたけど、結局、全身麻酔になり、いつものように大変だったそうで、手術は15分で終わるような簡単なものだったのだけど、麻酔関係で2時間ぐらいかかってしまって、結局、2時間ちょっと手術室に入っていました。

全身麻酔は、寝てしまえるので、楽ではあるんだけど、導入時は何度味わっても気持ち悪いですね。
周りの人の声や存在がどんどん遠ざかっていく恐怖にも似た感覚。
覚醒時は、「すっきりした」さわやかな感じがして、良いんだけど。

ということで、何とか無事に終わって、6日の術後と7日の午前中はベット上安静。
7日の午後から歩きはじめ、夕方には病棟一週して、看護師さんをビックリさせました(笑)
前に入ったときは、寝たきり絶対安静再起不能状態だったから、看護師さんはその時の私しか知らないし。。。そのビックリする姿を見ると結構快感です(唯一の楽しみ)。

7日から始まった食事も美味しく頂けたし、手術後の痛みも薬を使わずでも過ごせるほどで特に問題なく、ちょっと微熱があったぐらいで感染症の問題もなく。
いや、、、点滴や心拍計、動脈血酸素飽和度の計測器は、元気な時は、ほんとジャマだわね。
動きづらいし、付けただけで、まるで重病人だし。
尿管ドレーン(尿を排出して袋に貯める管)は術後問題なしで、つけなくて済んだけど。
ということで8日の朝に検査して問題なし。
点滴など全て外れ、昼食後、退院となりました。
抜いたボルトはもらってきました。
思っていた以上にでかかったけど。
2年間、私の足を守ってくれたボルトですから、ある意味、大切なお守りです。

入院期間が短くて良かった。
もう、それが一番でした。

事故そのものが、1泊2日で退院出来る簡単な手術中に起きたので、また、何かあって何ヶ月も、、、なんて怖いなぁ、、、って思ってしまっていたり。。。そういう恐怖があったりし、日が近づくにつれて、胸のあたりがわさわさしていたけど。
でも、何でも無くて、ほんと、良かったです。

入院期間中に、沢山の「いいね」やコメント。
本当にありがとうございました。
入院中、そのコメントや「いいね」の数々がとても励みになりました。
退院の時のコメント。
ほんと、退院できて良かったなって反芻も出来たし、喜びも倍増でした。
皆さんのおかげです。
ありがとうございました。

これで、22日に無事に抜糸できれば、事故関係の治療は全て終了。
それまで感染症とかが怖いので、無理しないで安静でいきます。
ボルトが抜けた分、大穴が空いている状態なので、それが埋まるまで、怖いしね。
人工肛門と右足が曲がらないのは、大切に抱きしめて、一緒に生きていかないといけない話だし、
これらは、ゆっくりと付き合って、仲良くやっていきたいとそう思います。

やっと、次のステップに立てたような感じです。
生かされた命。
新たに与えられた自分への役割。
その全てをしっかり噛み締めながら、少しずつ、前に歩んで行きたいと思います。

ほんと、よかった!
ほんと、ありがとう!
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寒かったり、暖かだったり。
寒暖の差が激しい日が続きますね。
でも、三寒四温とは良く言ったもので、日増しに春が近づいてきているような気がします。

4月1日の地元での山元加津子さんの講演イベントに向けて、仲間たちと色々と準備しているけど、やっぱり、楽しいです(笑)

色んな事が起きるから大変だけど、でも、それもどれも醍醐味だったりするわけで。
この快感は、イベントを一から創り上げた人にしかわからない気持ちなんだろうなってそう思う。
来てくれるお客さんのためにイベントをするんだけど、でも、やっぱり、自分が楽しむためにイベントをつくっているんだろうな。
人から見たら、本末転倒に見えるかもしれないけど、でも、それで良いのだと思います。自分が楽しめないイベントは、誰が来ても楽しめないので。
だから、自分が一番、楽しんでいきたいと思いながら、準備していっています。
どんな日になるかな・・・ワクワクします!


と言いつつ・・。
今という現実に引き戻され、明日から、また、入院です(笑)

一昨年、別の手術中に骨折した右足の付け根に埋め込んだボルトを抜く手術です。
2本あるのだけど1本のみ。
最初は、抜く予定はなかったのだけど、予想に反して骨の成長が良好な状況で、逆に良好過ぎで、ジャマになってきたという感じなのです。
6日に手術。
8日か9日には退院してきます。

今回の手術は、今までに比べたら楽な方で、日帰りでも出来る内容なのですが、骨形成不全という元々持っている病気の事もあり、慎重に進めましょうということで、入院になりました。
もう少し先でも良いな、、、まだ、人工肛門の方も落ち着いてないし、、、って思っていたのだけど、整形外科の先生は北海道の系列病院に転勤になってしまうとのことで、前倒しされてしまいました。

小さかった頃は、骨折で年に2回入院したりもしたけどね。
入院とか慣れてきたとは思うのだけど、やっぱり、入院や手術は面倒です(笑)

正直なところ。

最後にしたい・・・最後に出来なかったとしても、しばらくは無しにしたい・・。
それに、二泊三日の入院のつもりが、五ヶ月間入院していた経験があるので、さすがに怖い気持ちもあります。

でも、今、この道を通らないとならないんですね。
私にとって、必然で用意された道なのだし。

思う通りにならない事ばかりで、嫌な思いを沢山しているのも事実だけど。
これもどれも意味があるんだと、そう信じて生きたいとそう思います。
過去のことに囚われても仕方ないことだし、今しかないんだし。
未来のことなんて、どうなるかわからないんだし。

そこに揺さぶられず、今を受け止めて生きる。

まだまだ、その境地にはほど遠い自分がいたりもする。
でも、この2年間の濃い日々を思ったら、そのことを受け止められる自分が少しずつ出来上がってきているのも確かだし。
どんな事があっても、前に進む自信が出来たのは、確かだし。

だから、良い日に向かうための道だと信じて、歩んでいきたい。

多分、今のこの私の状態も、ここに産まれた役割の一つなんだろうなって思う。
その役割を果たすために生き、生かされているんだと感じる。

だから、どんなことになっても笑って迎えようと、、、そう思います。

<お知らせ>
2012/4/1 東京都日野市 『1/4の奇跡』上映会+山元加津子さん講演会~いのちはみんなつながっている~
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久しぶりの日記です(笑)

2月11日。
震災から11ヶ月。

そして、去年の今日。
長期入院から解放され、退院した日でもありました。
入院した当初は、どうなるかと思っていて、このまま、退院出来ないんじゃないかって思っていたし、退院出来ないかもって言われていたから、無事に退院出来たことは、奇跡的だったし、退院にこぎ着けたことが、満足というか、自分としてもやりきったという開放感がありました。

大雪の中、寒い思いをしながら、退院したのを覚えている(笑)
久しぶりの外の空気が、素敵すぎて。
こんなに外の空気が美味しいんだって、感じた瞬間でした。

あの時は、まだまだの状況で、やっとこさという状態で退院していたので、動くこともままならない状況だったけど。
こうやって1年が経って、あの頃よりもかなり元気になったし、あの頃よりも身体が軽いし。
そういう事でも、1年という時間が経ったんだなって実感出来てきます。

退院後も、腸が飛び出してその後のケアーなども色々と大変だったし、結局、去年末、悪化させて、再入院、再手術となってしまったけど。
でも、そんな怒濤の様な1年が過ぎたこと。
自分でも、誇りのようなものを感じるし、自信みたいなものを感じています。

そして、入院時も含めて、退院後も色々とサポートしてくれたり、助けてくれたりしてくれた、家族や病院関係者や友人や会社の方や、多くの人たちに囲まれてきて、本当に感謝の言葉を言っても言い切れないぐらいの想いがあります。

本当にありがとうございます。

本来なら、今年の今日ぐらいには、あっちこっちに出歩けるようになっているだろうとは思っていたけど(笑)
でも、ゆっくりゆっくりと、そんな無理ない歩幅で一年が経ったことも、神様の計らいなのかなってそう感じています。

思い通りになったこともあれば、思い通りにならないことも沢山あり。
どれもこれもその沢山の積み重ねがあるからこそ、今があるのだけど。

そんな毎日、毎時のどれもが、見たことの無いような明日の幸せに向かっていくことへの準備なんだと、明日、笑っていられるための課程なんだと、そう心から信じて、これからも、生きていきたいとそう思う。

過去も未来も、今あることも、今いることも、その全ては自分を支え、助けてくれているんだ。
そう信じて、ゆっくりゆっくり、風のような時間を、これからも生きていきます。

今まで、面倒をかけっぱなしでお返しが出来ていないけど、皆さん、本当にありがとう。
そして、これからも色々と面倒をかけるけど、どうぞ、よろしくお願いします。
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年が明けて、もう1週間。
早いんだよね~(笑)

5日より、職場復帰しました。
まだ、机に座っているのがやっとで、余裕ないけど。
でも、木曜日と金曜日と仕事してきました。
何とかやれそうかなって、そんな風に思っています。

三日連休でよかった。
もう、やっぱり、バテバテでして(笑)
明日ものんびりやります。

年賀状。
自分から書かなかったけど、沢山の人から頂きました。
頂いた分は、お返しもしました。
こうやって、つながって、気にかけてくれる人がいること。
ありがたいなってそう思います。

まだ、痛かったりするけど、日増しに動いても苦にならなくなってきて。
精神的にはかなり楽で、もう少し経てば、今後のこととかも考える余裕が出来てくるかなってそう思います。

年が明けてから、相変わらず、世の中は騒がしいけど。
あれもどれもなんて出来るわけなく。
そして、不安を抱えても身動きが取れず。
雨が降るように、風が吹くように、雲が流れるように、朝、日が昇り、夜、日が沈むように。
日々、しっかりと踏みしめながら、淡々とやれることをやるしかないのかなって。
そう思います。
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あけましておめでとうございます。
2012年があけましたね。

毎年、年末年始になると「来年の今頃は何をやっているんだろう」って常に思うのですが、去年、一昨年ほど、予想を大きく覆す程の事が自分の身にも周りにも降りかかり、無事に年を越せる事自体、奇跡なんじゃないだろうかって思う様になりました。
二十歳前後や学生だった頃・・・自分自身に対し希薄さを感じていて、「来年は死んでるかも」とか「死んでてもかまわない」なんて思っていたりもす るけど、意外に、こういう事ってあり得る話であり、そう自分の心に刻みつけて置く事も、今を生きている事への有り難みを知るという意味で大事なんじゃない かなって、今更ながら思っています。

だから、「あけましておめでとう」もそうだけど「あけてくれてありがとう」でも良いのかなって感じている今日、この頃です。

元旦初っぱなから、あちこちで中規模の地震が起きているし、今年も波乱が起きそうな予感。
スピリチュアルな世界では、アセンションの年だのマヤ歴がどうのだの言われていたりもするしね。

だからこそ、「来年には・・」なんて遠い先の事ではなく、今日、一日、今、一時を深く刻み付ける様に、自分として周りにも自分にも影響を及ぼせる人間として、しっかりと生きていきたいとそう思っています。
アセンションの話も「アセンションが起きる年だからしっかり身構える」という受動的な話ではなく「1人1人が一時一時を動いて行くことによってアセンションを起こす年」という能動的な話だと私は思っているしね。

この1日、自分1人の想いや行動こそ大事にして、今を愛おしく笑って生きていられるよう生きていきたい。
そして、そう思えることこそ、ありがたいと感謝して生きていきたい。

結局、来年の今頃なんて、その一日一日の積み重ねでしかないのだから。
そういう毎日を生きていれば、来年の今頃もきっと笑っていられるし、無事に年を越せるんだと、信じて生きていきたい。

今年に限らず、毎年、言っていることかもしれないけど。
そんなことを、いつになく感じて、思って、生きていける1年でありたいです。

そして、その想いが周りにも共鳴し拡がっていけば良いなってそう思っています。
皆さんにも幸多い笑顔の日々がありますように、今を共に歩んで行けたら、私は幸せです。
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