病気の最近のブログ記事

私は、311の東北での震災後、いまのこの時代の為に、何が出来るだろうとずっと思っていました。
震災や原発事故で苦しい想いをしている人達も含め、様々な混乱と混沌の中で必死にもがき苦しんでいる人達に向けて、何を伝えられるのだろう、何ができるのだろうと、ずっと考えていました。

私自身、2年前に体調を崩したのをきっかけに、入退院を繰り返し、一時期、絶望の淵に立たされたことがありました。

腎臓へカテーテルを通す二泊三日程度の入院ですむような簡単な手術の後。
麻酔から覚めた途端地獄を見ました。
そして、「もう歩けないから」「最悪、寝たきりかもしれない」と言われました。

どうしようもない怒りや悲しみ、憎しみに明け暮れました。

でも、ある瞬間、「生きてるんだからそれで良いんだ。それで十分なんだ。」って身体全体で感じ、その途端に、憎しみや悲しみが一気に洗い流され、今まで感じたことのない幸福感に満ちあふれ、力がよみがえってきました。

そして、1年半という闘病生活を乗り越え、今、自由に動けるまでになりました。

この想い。
この願いを、誰かに伝えたい。
今、一番、苦しんでいる人達に向けて、生かされた命の力を還元していきたい。
そう思っていました。

入江富美子監督の最新映画『天から見れば』の映画の情報を見た人達から聞いた時、「この映画こそが、今の時代に必要なことが詰まっているのではないか」と思い始めました。
先日、いのち☆つながる広場日野で試写会を開いた時、その想いが確信に変わりました。

今、この時を生きるすべての人に。
今、この時を一緒に歩んでいきたい皆さんに。
生きる力を伝えたいのです。
乗り越えていく力を伝えたいのです。

明日へ歩み続ける為に、今という時を愛と共に生き続ける。

その大切さを伝えたいのです。

10月8日。
今回の実行委員長の長谷川さんの元で、この願いが実現します。

午前中は、ママさんタイムといって、お子さん連れでも一緒に安心してご覧頂けるようにいたします。
午後は、私の講演会と、会場の皆様と今の想いを分かちあう為の交流会の時間を設けます。

皆様、是非、足を運んでください。
周りの人にお伝えください。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

詳細案内 ↓
2012年10月8日(月・祝)
いのちj☆つながる広場 日野 主催イベント
日本画家 南正文
ドキュメンタリー映画『天から見れば』自主上映会
~禍福一如( かふくいちにょ)の教え~

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もう、10月ですね。
なんか1年が過ぎるのが、やたらと早い気がする。
別にこれと言ってやることが沢山あって忙しくてしているわけではないんだけど。
今は、1日、1日を生きていくのがやっとなのか、とても、早く感じてしまっているのだと思う。

去年の10月。
今思うと、生涯、こんな事が一変に起きるのかっていうぐらい大変だった月でした。
一気に色んな事が起き、無我夢中。
何が起きたのかわからず、対処するのが精一杯。
そんな感じでした。

9月半ばに悪化した腎臓にカテーテルを入れるために10/4に再入院。
10/5に手術。
入院する期間も2泊3日で終わるっていう簡単なものだったのに・・・。

手術が終わって麻酔が切れると、右足付け根に何とも言えない激痛。
悲鳴とも怒鳴り声とも言えない言葉を発した自分。

手術中、なかなか通らない入らないカテーテルに焦り、麻酔で意識がなくなっている私の体位を無理に変える。
その為に、付け根に負荷がかかり過ぎた。
右足大腿骨頚部を骨折。
ほとんど粉砕骨折に近かった。
絶対安静状態。
そのまま、ICU行き。

このままでは、足が腐り落ちるかも知れないと、整形外科の医師に言われる。
10/7。
偶然にもたまたま開いていた手術室に直行。
一か八かで、骨をつなぎ止めるための再手術。
ボルト数本をガンガンいれて、何とか成功。

なんとかつなぎ止めたが、今後、再生するかわからない状況。
今後、寝たきり、もしくは、どんなに良くても、車いす生活になることを覚悟するように言われる。
社会復帰は絶望的かもしれない。。。明日、どうなるかわからない不安な毎日を過ごす。

絶対安静で動かせない身体。
寝返りも身体を起こすことも出来ない。
次第に、食欲が激減する。

内蔵の動きまでもおかしな状態になる。
たぶん、今までも病気を抱えていたのだろうけど、絶対安静の為、悪化させたのだろう。
10/14の朝方、お腹が異常なまで膨れ上がる。
そして、腸閉塞。
もう少しで破裂しかかっている可能性大と言われ、10/15の夜、緊急手術。
腸は破裂寸前までになっていて、大量出血。
しかも、癒着などが激しく、大手術となる。

どうしようもない状況に陥ったが、予定よりも違う方法で、何とか、人工肛門を付けて難を逃れる。

これにより、何とか生き延びられた。

だけど、10月中は、生きている心地がしなかったのも事実。
そして、不安や恨みなど、ネガティブな様々な感情が渦巻いていたのも事実。

自暴自棄になっていてもおかしくなかったなって、今更ながら思う。


人工肛門の手術の後、麻酔から覚めたとき、何とも言えない、開放感の様な感覚は今でも覚えている

それまで、家族や事故を起こした担当医にどうしようもない怒りの様な気持ちをぶつけて泣いたことはあったけど、それぐらいで、表には感情を出さなかった。
でも、内心「なんで、私がこんな目に遭わないとならないのだろう」と、何とも言えない憎悪との葛藤が酷かったのは確かだった。

ところが、人工肛門の手術から帰ってきて全身麻酔から目覚めた時、「これで良かったんだ」っていう言葉が急に心の中に浮かび、憎悪から解放せれたような。
フッと心が軽くなった感じがしました。

さすがに10月中は、何度となくゆれ戻しでネガティブな気持ちとポジティブな気持ちを激しく行ったり来たりしていた。
けど、11月に差し掛かると、次第にフラットになっていった。

フラットになった後は、いい方向へ一気に事が進んでいった。

一生寝たきりかもしれないって言われていたのに。。。。

付けられていた様々な管がはずれ。
寝返りができるようになり。
上半身を起こすことが出来るようになり。
リクライニング式車いす(寝た様な状態に出来る車いす)へ乗れるようになり。
全身浴できるようになり。
リクライニング式車いすではなく普通の車いすでも座れるようになり。
車椅子を自分で動かせるようになり。
立ち上がることが出来るようになり。
歩く訓練ができるようになり。
歩行器移動ができるようになり。
杖であるけるようになり。
自立行動ができるようになり。

2月11日に退院。

やっぱり、治りたい、動けるようになりたい、っていう本人の気持ちは大切なんだって、そう思う。
そして、その気持ちに応え、諦めずに支え続けてくれる周りのサポートがあるから、ここまでやってこれたんだろうなって、そう思う。
歩みが遅くても、何年かかったとしても、諦めない心。
その気持ち。
本人、そして、周り次第で、奇跡って起こせるのかもしれない。
そう思うのです

医療事故でこうなったせいもあってか、看護師さんや担当医に何度となく、「恨んでませんか」って言われる。
でも、「恨んでない」ってはっきり言ってきた。
恨むぐらいなら、そのエネルギーを治す方に変えていきたいし、そのエネルギーがあるなら、治ることも可能だと思っていたから。

医療事故ってなると、色々と裁判沙汰になるけど、そんなことをしたところで、前の自分が帰ってくるわけではないし、そんな過去の事にしがみついていても、何もならない。
だったら、前に行きたいって思うのです。
だから、事故とも思っていない。

でも、そう思っていられるのも、周りのサポートがあったからなんだろうなって思う。
事故を起こした主治医は春に他の病院に移動になったけど、それまで投げ出さず、逃げ出さず、親身になってしっかりケアーしてくれた。
関わってくれた他のお医者さんや看護師さんやその他病院関係者の皆さんには、大切にしてもらった。
そして、今も、一番に気にかけてくれている。
そんな中で、恨んだり、訴えたりする気持ちなんて、私には到底出来ないなって思う。
本当にありがたい。


でも、身体の方が気持ちに追いつかず。
やっぱり、無理があるせいか、11月に再手術になりそうです。
人工肛門の状態が最悪な状況になりました。

人工肛門を作る時、普通、内臓の位置や筋肉の位置など、色々と計算しながら手術する。
でも、私の場合、緊急で、しかも、当初、人工肛門を付けようと計画していた箇所の腸は破裂していたから、作ることが出来ず。
急遽、別の場所に作ったというのもあって、やっぱり、維持するのは無理だったみたいです。
酷い時には、腸そのものが20cm近く身体から飛び出してしまっています。

こんな状態なので、再度、作り直すことになりました。


私の場合、手術はかなりハイリスクです。
麻酔をかけるまえに気管に管を突っ込んで、直接、肺に空気を送るのですが、頸椎が曲がっているので、管を挿しづらく、人工呼吸をはじめるつけるまでに2時間近くかかる。
そして、内臓の位置がかなりおかしく、密集していて、癒着も激しい。
前に破裂していた腸が今どうなっているかわからない。
など、色々とハイリスクをかかえているので、普通よりもかなり難しい手術。

怖いっていえば怖い。
不安っていえば不安。

だけど、このまま行けば、本当に寝たきりになるし。
同じところでジタバタするよりか、危険があったとしても、少しでも前に進めるのなら進みたい。

その気持ちのみで、再度、手術を受けます。
ここまでくると、藁にすがる気持ちに近いかな。。。

今年も10/20の誕生日のプレゼントが手術後最初に口にする重湯かなって思っていたけど(笑)
今年は誕生日の前後に手術日や手術方針など決定しそうです。

最近、10月って色々と忙しいことが多いけど、今年も慌ただしく過ぎ去りそうです。


病気になる前から、私は走り過ぎだって言われていたけど。
病気になっても走っているような気がする。

じっと待つ事が嫌いなんでしょうね。
じっと待って事が過ぎ去っていくぐらいなら、自分で道を切り開きたいってそう思ってしまう。
怖くても、不安でも、前に進むことしか頭にない。

でも、誰かがやってくれるなんて待っていても、最後に切り開くのは自分なのだから。
少しずつでも、立ち止まりながらでも、歩み続けていかないとならないんだってそう思って生きているのです。
どうせ死ぬなら、やることやってから死にたいって思うのです。

こういう性分なんだろうね。
死ななきゃ治らないと思う(笑)
でも、それならそれで、自分は、この性分をとことんまで生かして生きていたい。
そう思う。

孤独な生きもの KOKIA

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11日、無事に退院しました。
今、寝た切りだった頃が嘘のような日々を送っています。

10月4日~2月11日までの130日間の入院生活。
2泊3日が129泊130日になるなんて、夢にも思わなかったし、めっちゃ長かった...(笑)
その前の9月半ばにも8日間だけ入院しただけでも気が滅入りそうだったのに、今、思えば、すっげー楽だったかも...汗

でも何年も入院している人もいるわけだから、それに比べたらずっと幸せですよね。

自分の家に帰れる幸せ。
家族と居られる幸せ。
帰れる所がある幸せ。

こうやって家な帰れるなんて、最初の頃は考えも及びませんでした。

10月。
最初の手術の麻酔から覚めたら右足の激痛。
すぐにレントゲンを撮ったらポッキリと折れた大腿骨の付け根。
次の日、骨折した所にボルトを埋め込む。
それでも、壊死する可能性もあり、そうでなくても歩く事は愚か、起きて車イスに乗ることも難しいと言われ、絶対安静の元、寝かされ続けた。
憤りと不安と怒りなど様々な想いの中、見えるのは天井と窓に映る空しかない世界。

それなのに、どんどん悪化していく身体。
食べる事すらもできなくなり、日増しに身体に繋がる管が増えていき、挙げ句の果てには激痛で始まった腸閉塞。
大腸が死にかけ、緊急手術と共に増設された人工肛門(ストマ) 。

ストマ増設の麻酔から覚めた時に感じた喜びと同時に、何かに吹っ切れたかのように落ち着き始めた精神。
嵐のように吹き荒れていた心の中のモヤモヤや想いを、これで良かったんだと昇華し、全てを手放し、山の頂上から野へ降りていった時に見えた時の開放感。

そんな悟りのような境地に至ったのと同時に一気に開き始めた回復への道。

誕生日の日から始まった流動食を皮きりに次々に与えられるリハビリの宿題をこなしていき、日増しに身体を動かせる範囲も広がり、不可能とさえ言われた車イスに乗ることも歩くことも出来るようになっていく。

そして、無理だと思っていた自宅で過ごす年末年始が実現。
それと共に退院の目処が立ち、退院に向けてのリハビリが始まり、色々と相談、調整、検討してもらった結果、退院日決定。

2月11日、無事、退院することができました。
今では、車椅子移動も出来るし、以前使っていた杖を使って歩けてます。

130日間、今まで歩んできた道も含め、命のこと、生きること、病気のこと、障がいのこと、医療のこと、支えあうこと、繋がること、出会うこと...、Twitterやmixiやブログなどでも書いてきたけど、書いても書ききれないし、語っても語り尽くせない程の色んなこと。
それを実体験として感じることができ、それよりもなによりも、たくさんの人と繋がり、支えられて生きてきて、これからも生きていくんだなぁってそんな深い感謝の気持ちがいっぱい溢れてくる日々を送ってきたように感じます。

前にも書いたけど、本当に神様の贈り物だったと思う。
これからもこの贈り物を大切に生かして生きていきたいと感じます。

入院中、お見舞いに来てくれたり、メールやメッセージをくれた皆さん。
祈ってくれた皆さん。応援してくれた皆さん。心配してくれた皆さん。

お医者さんや看護師さん、ヘルパーさん、ソーシャルワーカーさんやクラークさんや事務の皆さんや介護ショップの方、その他、陰から支えてくれた病院関係者の皆さん。

何度もお見舞いにきてくれたり、連絡してくれたりした会社の皆さん。

そして、毎日、看病に来てくれ、私の愚痴とかも聞いてくれた両親。

本当にありがとうごさいました。

まだ、自宅療養の身で、周辺の散歩や通院以外では出られる状態ではなく、社会復帰までは、もう一踏ん張りも二踏ん張りもしないとならないです。
退院後、急に体調を崩して、あまり芳しくなく、鬱っぽくなってしまっていたり。
この先のことも難題山積みで不安も沢山あります。
道半ばという感じで、これからも沢山の人に支えられて生きていかないとならない身ですが、皆さん、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

こんな私ですが、長い目でお付き合いください。

自宅での生活が始まったけど、すぐに飽きると思うんで、自宅まで遊びに来てくださいませ~(笑)
八王子駅からバスが出ているので、よろしくで~す♪
マジ、大歓迎で~す☆(笑)

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上の写真は、退院の時に、病棟の看護師さんから頂いた寄せ書きです。
左側は看護師さんたちの写真。
右側はリハビリで病棟を歩いていたときの写真。
一番若い看護師さんが「一枚撮らせてください!」と撮ってくれました。
何時もの杖を使って歩き始めたばかりの頃なので、笑顔が思いっきり引きつってるけど(笑)
明日へ歩んでいくような後ろ姿でちょっとお気に入りです。

寄せ書きも「看護のあり方を考えさせられた」とか、「逆に元気をもらった」とか、「笑顔で接してくれた」とか、感謝の言葉が書いてあり、とても有り難く、とても嬉しく。
そして、一人ひとりの言葉がこれからの自分への応援となって、とても胸に染み入ります。

思い返すと走馬灯のように色々とあった130日の入院生活を乗り切れたのも、時には家族のように献身的に支えてくれた看護師さんがいたからこそ。
その恩返しのためにも、困難だとしても、これからも前向きに、一歩一歩、歩み生き続けていかないとって思ってます。

本当にありがとうごさいました。


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入院生活も4ヶ月目に入りました。
4日に病院に戻りました。
年末年始は家に帰れたので良かったけど、流石に長いっすね。(笑)

最近になって、主担当の看護師さんと話す機会があって、骨折前に何をやってきたかを話しました。いつになく熱く語ってしまった(笑)

会社に通っている傍ら、余暇は、啓発関係のボランティアをしていたこと。みんなと共に生きるために、そして、今、精神的に落ち込んでいる人たちに 向けて、生きて欲しいと願ってイベントを開催したり、自分でも講演をしたりしてきたこと。そのために、東京中を、関東中を飛び回っていたこと。満員電車も 平気で1キロ2キロなんて平気で歩いていたこと。色々と話ました。

思いっきり驚かれたし、最初は、信じてもらえなかったけど(笑)仕方ないよねぇ。「動かすな」って絶対安静で寝たきりしか見たことないし、杖でシャンシャン歩いているのを見たことがあるのは、主治医ぐらいだし。

骨折前と後でのこのギャップ。

前の日記を読んでくれればわかるけど、骨折した原因が原因なので看護師さんに「悔しかったり恨んだりしてませんか?」と心配されました。

私は「恨みや怒りのエネルギーがあるなら治すエネルギーに変えたい」って返事しました。焦りも含めてそういうエネルギーって病気を治すどころか病気を促進させるだけだから。

過去に起きたことをめげていても仕方ないからね。最初の頃はネガティブな想いが確かにあったけど、そんな想いは出し切ったら、とっとと受け止めて手放した方が自分にとっても気が楽だし、新たな生きるエネルギーに変換できると思うしね。

結局、「今」と言う時をどうやって捉えて、自分として「今」をどう生きていくか。周りに不平不満ばかりを言うことよりも、そのことの方が大切だと思うし、今までもそう生きてきたし、これからもそうやって生きていきたいと思う。

年末年始の一時帰宅の状態を今、色々と洗っていますが、基本的に良好で、だいぶ、ゴール地点が見え始めてきました。

退院も少し早まりそう。上手くいけば、今月末かなぁ。でも、焦りたくないし、一時帰宅で見えてきた問題点も色々とあるので、少しずつ歩んでいきたいと思います。

一時期は、起き上がるのも何時になるかわからなかったし、動けても車椅子がやっとだと言われていた頃が嘘のようです。

主治医や病院関係者には「よく頑張りましたね。あなたの頑張りの結果ですよ」って言われるけど、ここまで頑張れた原因はそんな自分を支えてくれる周りの環境のお陰だと感じています。

毎日来てくれ、私の憎まれ口も聴いてくれる(笑)家族もそうだし、主治医の皆さんやリハビリの先生やソーシャルワーカーの方や看護師の皆さんやそ の後ろで控えてくれる病院関係者の皆さん。そして、たくさんの励ましやメッセージを送ってくれたり、お見舞いに来てくれたり、温かい目で見守ってくれる友 人たち。なかなか仕事ができない身体なのに、毎週、お見舞いに来てくれたり、復帰するまで待っていてくれる勤め先の会社の皆さん。今の支えがなかったら、 頑張る意欲もなかったって感じます。

でも、実際にゴール地点が見え始めると、嬉しいのもあるけど、守られた環境から外に出ること怖さや今後の事への不安、それに入り混じって切なさや 寂しさもあって、複雑な感じがしますね。あまりに入院生活が長いとこうなってしまうんですかね。最初の頃は、病院にいるだけでも凹みそうだったのに。

でも、長くいる場所ではないし、支えてくれる方々の想いに応える為にも、恩返しするためにも、以前よりも元気な姿で退院して、社会復帰しないといけないって感じています。
しっかり生きないと。
しっかり歩まないと。

あと、少し。
頑張っていきま~す♪
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皆さま。
あけましておめでとうおめでとうございます♪

いやぁ...。
あけましたね(笑)

毎年、年末年始は、「来年の今頃は、自分は何をしているのだろう。無事に年を越せるのかな。」って思うことが多いのだけど、去年の今頃、こんな状態で年を越すなんて夢にも思いませんでした。

一時期は、年を越せないんじゃないかって思っていたのが正直なところでした。本当にそう思ってました。

でも、今、こうやって2011年を迎えることが出来たなんて、夢のようです。しかも、病院ではなく、自宅で家族といられるなんて。

おせち料理を食べました。お雑煮、美味しい~。お餅は、残ってしまうので、今はまだ止めていますが。
カニが美味しいっす。
豚の角煮、最高っす。
数の子、美味いっす。

で も、一昨日は、食べ過ぎたらしく、昨日は、お腹が痙攣起こして大変だったけど(笑)病院では準常食っていって、消化のいいのを選んでしか食べさせてもらっ てないので、急に美味しいものをたくさん食べたから、お腹がびっくりしたみたいです(笑)激辛のカレーを何杯もおかわりしちゃったし...。今は、おかげさま で調子が戻ってきました。

年末年始のテレビは最近面白くなく、見ないのですが、今年は家族と久しぶりに見てます。この時期にあるようなお馬鹿な番組をゲラゲラ笑ってみています。意外に面白い。笑うとお腹の傷とかまだ痛いんだけどね。でも、痛みをこらえながら、ゲラゲラと久しぶりに笑ってます。

去年の今頃は、年末年始もなく、イベントの準備をずっとやっていたように思います。今思うとその頃から少しずつ体調が悪かったなぁって思い出します。

30年以上の今まで走り抜いていた体調がココに来て一気に牙を向き始めていたんですね。年始いきなりの精神的なダメージも重なり、ボロボロでした。

でも、大きなイベントや自分の講演を数多く抱え、身体に鞭打ってやっていました。

誰のせいでもなく自分が選んだことなんで仕方ないんだけどね。やっぱり、身体の声をしっかり聴かないとダメですね。

他人の幸せも大事だけど、その他人の幸せのためにも自分の幸せをしっかり考えないとって、本当に反省することばかりです。他人に幸せを応援するためにも自分がそれ以上に幸せいっぱいでないと伝わる想いも伝わらないとそう感じます。

9 月から、病気が悪化。倒れて、色々とあって、長期入院となりました。始めは、悔しかったし、恨んだし、自分の不甲斐なさを責めたけど、今は、これで良かっ たんだって感じられるようになりました。良い機会になったし、こんな機会がなければ感じられなかったこともたくさんあったし、そのことにより、これからの 自分の立ち位置も見えてきたように思います。

今回の自分の体調のことで、皆さまには、色々とご心配をかけることばかりでごめんなさい。そして、こんな自分を支えて見守ってくれて本当にありがとうございます。

前 にも書いたと思うけど、今回、神様から頂いたその大切な機会を生かすためにも、今年は次のステップアップのための充電期間にしたいって思う。勿論、引きこ もるという意味ではなく、出来ることがあれば、皆さまの想いを応援していきたいし、出来ることがあれば、関わっていきたいと思うけど、あくまで、自分のた めを一番に考えて、自分の時間を大事にし、もう一度、自分を見直していくための時間に費やしていきたいと思います。

まぁ、まずは、この身 体を思うように動くようにしないとね(笑)どうにもこうにも、まだまだ動けないし、不便なことばかりだし。どこまで前に近い形まで戻れるかわからないけ ど、少しずつ、焦らず、自分のメンテナンス期間だと思って、大切に過ごしていきたいと思います。長い旅路。しっかり生きていきます。せっかく生きることを 選んだのだからしっかり生きていかないとね。



世の中も、目に見える形にしろ、目に見えない形にしろ、今、過渡期に入り、大きなうねりの中、大変なことばかり。笑うことも多いけど、泣くことも多いかもしれません。

感受性の強い人ほど、その波をもろに食らってしまいがちです。波を食らうと振り子のように同調し身体もそうだけど、心も大きく揺さぶられます。私ももしかしたら、知らず知らずにその波を食らったのかもしれません。

そんな時だからこそ、しっかり立って自分自身の胸の内に立ち返って、胸に湧き上がる波をしっかり見つめながら、共に分かち合い、共に手を取り合って生きていきたいと思います。

皆さまの元に、心に、幸せと希望と愛の花が咲き乱れる年でありますように。1日でも1秒でも多く笑顔で溢れる時が訪れますように。一人でも多くの人が生きることを選べますように。

いつも、自分を誰かを応援できる自分でありますように。


今年一年、共に歩んでいけることを嬉しく思います。

本当にありがとう。
そしてよろしくね。




さてと...、年賀状とかどうにかしなきゃ(笑)
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只今、自宅にいます。

前の日記でも書いたように、年末年始は自宅で過ごす事が出来ています。
今の身体の状況で自宅でどこまで生活出来るか、今後のリハビリや治療方針を見極めるためもあり、特別処置に近い形で病院がオーケーを出してくれました。

26日の午後に自宅に帰り、29日に一旦病院に戻りました。
そして一泊だけして、今日の午前中に自宅に帰り、4日午後まで自宅に過ごします。

本当は26日からぶっ続けで帰れる予定だったんだけど、法律の規定上、ダメなことがわかり、こんな形になりました。


1日目は、自宅の中はパニックでした(笑)
ほとんど、両親に頼ってでしか生活ができないし、要領が解らず四苦八苦でした。
でも、やっと、慣れてきて、スムーズに事を運べるようになりました。

以前は出来たけど、出来なくなってしまった事が多すぎです(笑)
いや...。
ここまで不便かっていうぐらい、本当に大変です。
今は、ほとんど両親の手を借りているし、両親の手を借りてもできない事が多いし。
両親も歳なんで、手を借りずともやれるようにしないと、今後、大変です。


人工肛門のメンテナンスはもちろんのこと、日常生活のほとんどを、今まで、自分の力だけでやれていたんだよね...。
手足が不自由でなく動くって、幸せなことなんだなって思う。
そ して、この日常生活の全てを出来るようになるまで、練習を積み重ねてきた昔の自分の頑張りを誇りに思うし、それを支えてくれた両親の存在や骨の折れやすい 病気なんで、どうしても、守りに入ってしまう所を「骨折を怖がるな」と猛特訓を推し進めてくれた昔、担当してくれた主治医の方々には感謝の想いでいっぱい です。


本当に泣きながらやっていたもんなぁ。
自分の足で移動するために、歩く訓練や立つ訓練、階段の登り下りなど様々。
日常生活が自分で出来るようにと色々とやりました。

その成果もあって、上半身は丈夫なので、こんな身になってもさほど苦労なくリハビリが進むので、先生方も驚いているけど、自宅に帰ると様々な問題が出てくるので、来年からは、一つひとつ乗り越えていかないとって思ってます。
頑張らないと。

まぁ、大変なことは多いけど、自宅はやっぱり良いですね。
気を遣わなくてもゆっくりしてられるし。

昨日、病院に戻った途端に激痛で具合が悪かったけど、自宅に帰ったら落ち着きました。
やっぱり精神から来ている気がする。
病院では、なんだかんだと気が張ってるんだと思う。

4日までの間ですが、気を休めるため、そして、来年の長い道のりを乗り越えるため、家族とのんびりしたいと思います。

皆さんも、良いお年を~♪
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今宵は、クリスマスイブですね。
皆さんは、どのように過ごすのでしょうか?
テレビに映る街のきらめき。
綺麗ですね。

さて、明日のクリスマスに向けて、ちょっと早いクリスマスプレゼントがありました。


前にTwitterとかで、つぶやきましたが、一時帰宅(一時退院?)出来ることになりました。
さっき、主治医からも許可が出たので、おおよそ、オーケーだと思います。
多分、一時帰宅日は、26日ぐらいになります。
家で過ごせるのは、来年の3日ぐらいまでかな?

10月。
退院は何時になるかもわからず。

歩けなくなる。
車椅子に乗れるようになるかわからない。
骨が壊死するかも。

などと言われ、腎臓や人工肛門と色々と積み重なり、一時期は、絶望的でした。
でも、今では、前に近い形まで歩けるかもしれないと、希望的観測が次々と出てくるようになりました。
車椅子はもちろんのこと、歩く練習をしまくっています。

そして、今回の一時帰宅の許可。。。自分で言うのもなんだけど素晴らし過ぎです(笑)

さっき、主治医(例のきれいな女医さん、笑)がオーケーを言いに来た時、今までにないぐらいの満面な笑顔だったので、ちょっと面白かったです(良い意味で。今まで、事が事だけに、気むずかしい顔をすることが多かったので)。
リハビリの先生も「ここまで来て良かった」と言ってくれたり、看護師の婦長さんも「不屈の精神でやりましたね」と言ってくれたり。
病院側の方々も、嬉しく思ってくれているんだなぁって感じています。

絶望的に感じていた時は、何もかも嫌になってしまいそうだけど、前の日記で書いたように全ての想いを手放せた時、急に好転していったので、やっぱり、心と身体は、しっかり結びついているんだと改めて思います。


友人が、斉藤一人さんの言葉をまとめて、毎朝、メルマガにして送ってくれるのですが、今日の朝は、こんな言葉でした。

「小さな幸せを数えだしたら大きな安心が手に入った。手があって幸せ、足があって幸せ、今日があって幸せ。   ひとり

自分のないものを数えると不幸になります。
自分があるものを数えると心が豊かになって幸せになります。
目があって幸せ、手があって幸せ、足があって幸せ、命があって幸せ、ご飯が食べられて幸せ。ほら、これだけ幸せになった。」



本当に、そうだなって、この3ヶ月にもなる入院生活で、一番深く気が付かされた事でした。
前からわかっていたと思っていたけど、がむしゃらに動いていた時は、すっかり、忘れていました。
そんな大事な事を気付くために必然的にあった入院であり、そのことをわかったから、好転しはじめたのだと感じます。

そして、何度も書くようだけど、たくさんの人の繋がり、仲間の大切さを改めて、感じて止みません。

神さまは、いるのだと思う。
絶望の淵に立たされると、見失ってしまうけど、どこかで見守ってくれているんだと感じます。

クリスマスイブは、独り孤独に死を選ぶ人が多くいると聞きます。
世の中には、いろんな人がいて、今尚、苦しみと悲しみの中に浸りきっている人たちもいる事を知っています。
そんな人たちに「生きろ」は言わないし、生きていれば良いことがあるなんて、軽々しく言うことは、私にはできません。

ただ、そんな人も、誰でも、決して独りではないし、生きる選択肢を、必ず持っているはずだし、そのことを少しでも覚えていて欲しいと感じます。

人工肛門をつける時、私は、最初、拒否しました。
絶望的に感じて。
でも、そんな時に浮かんだイメージが、仲間たちとおしゃべりをし、笑いあっている自分の姿でした。
その時、急に安堵感が訪れ、「大丈夫」と思い、生きる選択肢を選びました。
あの時に浮かんだ多くの仲間たちの姿がなかったら、生きる選択肢を選ばなかったと思います。

これからどうなるかわからないし、ゴールはまだ遠い先にあるけど、あの時、生きる選択肢を選んで良かったと思います。

そのことを、しっかり感じながら、年末年始、家族とゆっくり過ごしたいと思います。
来年、再入院後の社会復帰へ向けての歩みのために・・・。


みんなにありがとう。
命にありがとう。
そして、生かしてくれてありがとう。

本当にありがとう。


まだ、早いのですが、全ての人たちに。
全ての魂に。

Happy Merry Christmas~☆

沢山の幸せがあなたの胸の中に見つかりますように...。

KOKIA 祈り

歌詞

KOKIA ぬくもり

歌詞
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もう12月ですね~。
病院生活も3ヶ月目に突入です。

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12月末には、退院出来るかなぁって思ったけど、やっぱり甘かった(笑)

Twitter で書いたけど、クリスマス、年末年始は、病院で過ごすことになりました。うちの両親は、一時退院させると意気込んでるけど、そんな簡単な状態ではないし、 変に退院して、悪化させても仕方ないしなので、私は、病院側に任せたいと思ってます。先日、内科、泌尿器科などあっちこっちの担当者でしっかりと話し合っ てくれた結果だし、信頼しようと思ってます。
まぁ、年末年始を病院で過ごすなんてそうはないし、貴重な経験だということで(笑)、いろんなことを感じながら過ごしてみます。

部屋が変わったり、食事がちょっとだけ制限かかったり、リハビリの内容がハードになったりしました。緊急外来からの患者さんの入退院が激しく入れ替わって、 看護師さんの人手が足りないみたいで、ちと、ほったらかしになっていますけど(笑)、まぁ、ここまで良くしてくれているし、ありがたいことだなぁって思っ ています。

さすがに携帯とテレビと本では飽きてきたので(笑)、最近、ノートパソコンを持ち込みました。まだ、完全に起き上がれないので、キーを打ちづらいですね...。疲れてしまうので、昼間の短期間だけ、立ち上げています。
去 年の12月に買ったノート...って言っても一時期流行ったネットブックなんだけど。しかも、リリースしてすぐのWin7。当日は、講演会やイベントで動画や パワーポイントなどのプレゼンデータを写せればいいや程度で買ったのだけど、意外に快適でして。もちろん、それなりに動作は遅いけど苦にならない程度。主 要なソフトは何とか動いてくれるし、当日も良い買い物したなとご満悦だったけど、改めて、買って良かったっていう感じ。大きさも小さくて手狭な病室には手 頃だし、こんな時のために買ったのかしら?なんて思ってしまいます。

体調は、行ったり来たりですね。ここ数日、腎臓とか調子がいまいちで、点滴が短期間で再開したり、抗生物質を処方してもらったりしています。検査結果は悪い結果になっていないので、大丈夫ですが。しっかりと付き合っていかないとなぁって思ってます。

リハビリは、今までは、筋力や機能維持がメインでしたが、今は車椅子に乗ること、移動すること、歩くことなど、退院後に向けての運動が多くなり、結構、大変になりました。終わったあと、ヘロヘロになります(笑)
あと、お見舞いに来てくれる友人たちも多く、本当にありがたいなぁって感じます。写真は、その時のものです。私、やっぱり病人ですね...(笑)まぁ、リハビリ以外は寝たきりなんで仕方ないですね。

こうやって来てくれる友人と話していると、元気をもらいますね。写真を撮った当日、少し凹み気味だったのだけど、友人と話していたら、元気になりました。こういう時って、友人や仲間の存在の大切さや有り難みが身に染みます。

もちろん、実際に病院に来てくれる方だけでなく、メッセージやメール、コメントをくれるだけでも、とても、嬉しいですよ!mixiなどを通して繋がっているなぁって感じられて、独りじゃない、支えてくれる人たちがたくさんいるんだって、励みになります。

やはり、たまに前に進めなくなるんじゃないかって凹んでしまうこともあるけど、みんながいることを感じながら、生きています。前に進めなかったら、みんなを感じながら、ゆっくり休んでいます。だから、みんなの存在が嬉しく思います。

本当にありがとう。

道のりはまだまだ長いし、めげてしまいそうだけど、ゆっくりやっていきますね。

読んでくれてありがとう。また、報告しますね♪

明日は、朝食抜きで検査だぁ~(笑)

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毎日、励ましのメールやコメント、メールなど頂いています。こうやって気にかけてくれる友人たちや知り合いがいてくれるなんて、ありがたい。本当にありがとう。

今日は友人たちがお見舞に来てくれました。素敵な手作りの写真集を持ってきてくれたり、本を頂いたり、マッサージをしてくれたり。

先日も別の友人やご夫婦がお見舞に来てくれました。一足早いクリスマスプレゼントや甘いものに餓えている私を知ってくれて美味しいお土産をくれました。

会社の上司も様子を見に毎週きてくれています。会社の人とあまり話したりしたことはないんだけど、ゆっくり話したりしています。

なんだか恐縮するばかりですが、こうやって人と逢ったり話したりしていると、一人じゃないんだなぁって思います。

限りある時間を誰かのために割いて、行動に移すこと。会いに来てくれること。当たり前に思ってしまう行動も本当はとても大切なことだし、なかなかできないことなのかもしれません。だからこそ、とても、感謝して止まないし、こんなに嬉しいことはないって思うのです。

誰かが悲しんだり苦しんでいたりしたら、ただ、ただ、こうやって寄り添うこと。それだけでも生きる意味や大切さや力を感じられるもんなんだなって思うのです。それだけでも安心感が違うのです。

正直な話、入院生活初期の頃の体調も精神も不安定だった頃は人とも会いたくなかったけど、そんな時でも気にかけてメールなど入れてくれる仲間がいて、そのことがどれだけ、安心感を得たことか。力になったことか。その力は計り知れないように思っています。


みんなのおかげもあってか、リハビリも順調に進んでいます。ここ一週間で飛躍的に進んできて前は筋肉や骨の機能維持ぐらいだったものが、車椅子に乗ったり、立ち上がる訓練が始まったりしています。

人 の力を借りてなんで、自力でできるようになるまでは、まだまだだし、車椅子に乗るにも数人がかりで乗るだけだし、自分で動かしたりは出来ていないんです が、車椅子に乗るのは12月になってからと言われていたので、かなりとんとん拍子で進んでいます。(しかも、車椅子どころか、立つ練習や歩く一歩前まで始 めている、笑)

もちろん、自分の力で動いたりするのはまだまだだし、1日の8~9割寝たきりなのは変わらないのですが、先が見えてきたのは確かで、良い形で退院することも夢ではない感じになりました。

退 院は早くても今年末が来年頭かな。退院した後もすぐに動けるわけではない。まだまた、やることは山とあり、乗り越えないとならないことも沢山あり。骨折、 腎臓、人工肛門。さっきも体調のあることで凹んだりしましたし(笑)。たまには立ち止まりつつ、へこんだりしつつ、愚痴もを言いつつ(笑)、ゆっくりじっ くりとやっていきたいと思います。


前の日記にも書いたけど、前はがむしゃらに生きすぎていたなって思う。親友に「生き急ぐんじゃ ないよ」って叱られたこともあるけど、まさにその生き方でした。でかいことばかりを考えて、絶えず前ばかりを見て全速力で駆け回っていた。自分のことを省 みることは勿論のこと、身近なことや周りや足元のことを見ることもしていなかったようにも思う。

得体の知れないようなことを追いかけ、得体のしれないことに追われていた。星の王子様じゃないけど、大切なことってすでに周りにそろっているのに、何かをがむしゃらに探していたようにも思う。

イ ベントを企画し、イベントに参加し、何かを伝え、何かを得ること。勿論、そのことは大事なことなんだけど、そうしないといけないって思っている自分もいま した。何か大きなことを人よりも沢山しないと、自分と言う価値がなくなってしまい、仲間も何もかも目の前から消えてしまうんじゃないかって恐怖や恐れにも 似た感情を抱いていたことも事実。

でも、実際はそうでないことを、この入院生活で痛感しました。手放せたんですね。そういう脅迫概念を。 そしたら、身も心も楽になった感じ。安定して逆に治りも早くなったのかもしれません。(実際、ここ一、二週間の骨折部位のつき具合が主治医がびっくりする ほど飛躍的に向上したみたいです。今まで全く変化無しだったので。)

この身体があって生きて、仲間がいる時点ですでに足りているんです ね。がむしゃらに探さなくても。自分や繋がりを愛を持ってちゃんと感じて、思い続けていれば消えることなんて決してないんですね。何か色んなことを勘違い していたし、思い込んでいたし、入院して大きな気づきを得られたって思いました。そして、改めて自分の立ち位置を感じ、改めて生きる意味を見つけられたよ うに思います。
今は、美味しいものを食べ、誰かとゆっくりお茶したりのんびりとやりたい。自分の部屋で自分の大切なものに囲まれて、大切な家族のもと、自分のベッドで眠りたい。なんか、そんな些細なことが今の夢だし、こんな当たり前のことが愛おしく、大事なことなんだなって感じます。

入院して感じることって、今までにない大きな宝物です。まだまだ感じることが多そうだし、大事な時間だとそう思うこの頃です。 最初の頃は、被害妄想のように思ってしまっていたこともあるけど、入院して良かったって、なんか、そんなことを思えるようになりました。


そんな気づきができたこと。みんなに、今に、本当にありがとう。
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16日。

朝は普通に起きて、何事もありませんでした。
しかし、トイレに入ったとたん、お腹の中が嵐のようになり、激痛。
1時間、トイレにこもりっきり。
その後、何とか脱出。
寝ていれば嵐が収まるだろうと、そもそもの判断したのが間違いでした。

会社を休んで、寝ていても、痛い。
ずっと痛い。
トイレに1分おきに行くような始末。
でも何も出ない。

お昼過ぎ、さすがに白旗。
まずは、行きつけの病院の救急外来に連絡。
しかし・・・・泌尿器科の先生たち、全員が学会中で不在(学会と患者のどちらが大事なんだ、笑)
なので近くの救急外来のある病院を探すが、どれもこれも、断られる。
仕方なく、救急車を呼ぶ。

その時もトイレの中から出られず、何とかドアを空けた先に救急隊員。
いや、、、マジで天使に見えた(笑)
もう足腰立たない状態だったので、何とかストレッチャーまで背負って運んでもらい乗車。
そしたら、なんか安心したのか、少し気分が和らぐ。
母親は気が動転して、何をしゃべっているのかよくわかんない状態なので、細々と状況を説明。
一度断られた行きつけの病院に連絡を入れ、説明した内容で根気よく説得してくれて強引に搬送してくれました。

救急車なんて何年ぶりだろう・・・。
たぶん、会社へ行く途中、私の運転する車に後ろから追突された時以来か。。。
その前は、小さい頃、頭から落っこちた時。

病院についたら真っ先にICUに連れられる。
片っ端からいろんな装置を付けられ、レントゲンなど色々と検査。
一通り検査が終わった頃、担当医が学会から真っ先に帰ってきてくれて対応。
急激な腎臓や膀胱の状態変化は無いけど、痛みがひどいようなので、ということでHCUに移動。
そのまま緊急入院処置となりました。

入院生活1週間・・・。
携帯のできない環境で、こっそりと書き綴った日記にも書いてきたけど、長いようで短いようで。。。
関係者の方、規則違反をしてすいません。
いかんせん、寝たきりにさせられていたので、携帯だけが唯一の安定剤になっていたので。
骨形成不全という骨の折れやすい病気を持っていたので、骨折しては大変とベットから動くことを完全に禁止されてました。
トイレに行くにも必ず看護師を呼ぶように義務付け。

一週間の間、可能性のあることを人体に負荷のかからない順番でやっていったけど、結局、ダメで。
やはり、腎臓の腫れを取るために、10月の頭に予定していたカテーテル挿入を前倒しでやることに。
でも、これも失敗に終わり、10月4日に再入院して全身麻酔で再度、行うことになりました。

今は、薬で蹴散らしています。
要は、排尿異常なので、むくみ、だるさ、痛みなど大変だし、トイレの数も多い状態だけど、治るためにもなんとか乗り切らないとってそう思う。

結局、失敗に終わったんだけど、怒りとかそういうネガティブな感情があまり起きてない。
残念だなっては思うけど、なんか、変に受け止めている自分がいます。
今の痛みとかも、辛いのは確かだけど、仕方ないかって、、なんか、そんな変に冷静でいます。
その代わりに、有り難くも家族の方があたふたとしているけど(笑)

担当医も色々と悩んでくれて、土日祝返上して、他の患者さんよりも私の方を先に見に来てくれていたと聞いたし、色々と策を講じても改善せず、途 中、「ダメだったかな・・・」ってぼそっと嘆いているのを聞くと、それだけ考えてくれていたんだってそう思いたい(本当は患者のそばでそんな嘆きは言って はいけないんだろうけど)

入院してみると色々と見えてくるなって思う。
特にあるのが、身体が動くということもそうだけど、人という存在。
人の中で生きているんだなって、、、生かされているんだなって、そう思う。

それに、担当医にも言われたけど、「あなたは我慢しすぎです」と。
はい。
たぶん、自分の一番、悪いところですね。
白旗を揚げない。
ヘルプを出さない。
逃げない。
だから、余計に悪化させる。
何につけても、自分で解決しようとするクセ。
白旗を揚げれば見えてくることもあるのに、それをしない。
どうにかしないとなぁって思う。

それに医療の現場って、本当、大変だと思う。
24時間、休み無し。
次から次へと仕事をこなていく。
医療の問題とか、色々と言われているけど、この垣根の一部を見ていたら、看護する側も看護される側も、倖せで優しい医療を創ることは並大抵なことではないなってそう感じる。

体調は不安定だけど、頭の中は幾分元気なんで、考えること豊富なんで(笑)、思いついたら、書いてみたいと思います。
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2012年8月

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