オストメイト(人工肛門)の最近のブログ記事

12月18日。
無事に退院して、自宅に帰ってきました。
術後2~3週間程度は入院とは聞いていたので、ほぼ予定通りか少し早くに帰れました。
今は、ホッとして、なんだか気が抜けたようになっています。
入院疲れっていうのがあるらしいけど、それでしょうね。
本当にホッとしました。

去年10月につくった人工肛門(ストーマ)の調子が悪く、ストーマと一緒に腸が20センチ近くも脱出している状態になっていました。
痛みも日増しに酷くなり、動くのもやっと。
半年近く、手術を待たされましたが、やっと、やろうと主治医が言ってくれました。

本当なら11月29日に入院開始、12月1日に手術だったのだけど、病院から連絡がはいり、早まりました。

11月26日に前倒しで入院開始。
朝の10時に受け付け。

去年10月から2月まで入院していた病棟なので、私の状況をしっかり把握してくれている看護師さんがほとんど。
そういう点ではかなり気楽でした。

「大変でしたね・・・」
「今回こそ、うまくいきますよ」
「大丈夫。安心して下さい。頑張りましょう」
って言ってくれて、ホッとする。

「元気でした~??」ってクラークさん(看護師ではなく事務方の人)にいきなり言われた時には笑ったけど(笑)
周りの看護師さんと爆笑。
元気じゃないから再入院したんだしねぇ、、、汗

入院開始すぐから、いきなり手術に向けての準備が急ピッチに始まる。
点滴が開始したり、食事も重湯などの流動食になったり。
全てが駆け足で過ぎていきました。
手術前日は下剤2リッターは、さすがにきつかった・・・。

手術日当日。
13時開始でしたが、前にあった手術が長引き、待たされる。
手術の順番を待つ間は、周りに心臓の音が聞こえそうなぐらいドキドキで待っている時間が何とも言えない気持ちで精神的に落ち着かせるのも精一杯でした。

そして、自分の番になり点滴で鎮静剤が投与。
ストレッチャーに乗せられ手術室へ。
手術室に向かう天井の明かり取りを何度見たっけ。。。
その時、その時、違う思いで見ていたななどと、変に感傷的な気持ちになる。

何度も見た手術室に入り、手術台に移る。
手術室には、かすかなクラシック系の音楽が流れている。
麻酔科の先生とのやりとりの後、心電図などの機械がいろいろと付けられる。

もう4度目なので、麻酔科の先生とも顔見知り。
「今回もお願いしますね~」などと笑いながら言い合っていたりしたけど、緊張感はさらに強まっていく。

前回は、腸閉塞の為、ガスが逆流し、胃液をおう吐の恐れもあったので、麻酔をかける前に気管挿入。
1時間も苦しめられる。

今回は、絶食していた為、その恐れもなかったので、いきなり麻酔を投入してくれて、一気に意識がなくなっていく。。。。
後は、空白。

途中、「武市さ~ん。ちょっと起きてください!」って、一回だけ起こされる。
「どうだ?痛いか?」って主治医に聞かれ、「お腹がギリギリ痛いです」って応えたら、「そっか。じゃ、やっぱりもう一度麻酔をかけるから寝てていいよ」と言われ、また、意識が遠のく。

次に目が覚めた時は、既に朝でICUの中でした。

16時に始まった手術は、予定よりも2時間オーバーの5時間以上。
21時過ぎまでやっていたそうです。

1.ストーマと一緒に20cm近く飛び出した腸をお腹に戻す。
2.お腹に戻らなかった大腸と小腸の一部を切り落とす。
3.大腸と小腸を繋ぐ。
4.小腸の途中を左側に引っ張り上げ。
5.ストーマの左側のお腹に形成。
6.腹圧を抑える為に、腸を移動。
7.また飛び出さないように腸の一部を腹膜に縫い付ける。
8.縫合。

事前に、内容は聞いていたけど、改めて羅列すると、卒倒しそうな凄い内容。。。
主治医の腕の良さや最先端の医療技術が発展したお陰とは言っても、やっぱり、生きて目が覚めただけでも奇跡かもしれないと感じてしまいます。

ICUで目が覚めたのも4度目だけど、何度目であっても「生きてた・・」っていう安堵感に包まれる。
これは体験した人でないとわからない気持ちかもしれません。

6時ごろに看護師さんに起こされ目が覚めた瞬間からリハビリが始まる。
呼吸の仕方から始まり、身体を少しずつ動かし。

「痛み止めをガンガン打ってでも、動いてください」

今は、安静ではなく、こういう感じですぐに動かすんですね。
お昼頃には、車いすに乗っていました。

主治医からは「数日はICUだから」って言われていたけど、呼吸器、循環器の状況も良好で、車いすにも乗れたので、半日程度で一般病棟へ。
(一般病棟の看護師さんには、さすがに驚かれたけど、笑)

後は、毎日、毎時間が闘いでした。

前は、いつゴールが見えるか全くわからず、何もかも手探りで、その分、時間的には余裕があったのだけど、今回はゴールが見えている状態。
そのゴールに向けて毎日のスケジュールをこなし一気に走り続けて行く。

完全に焦りばかりで、余裕は全く無し。

これでいいのか?
この先、どうなるんだ?
大丈夫なのか?
こんなんでよくなるのか?

などと、精神的にかなり追い詰められて大変でした。
最初は4人部屋の病室だったけど、さすがに精神的に限界で、両親とも相談して途中から個室に移動させてもらいました。

それから幾分か気持ち的にも余裕が出て、良い形に歯車が回っていったという感じです。

飲まず食わずの数日。
痛み止めを打ちながら、シャワーなどの処置や歩行訓練。
痛み止め自体もきつくて、意識がおかしくなって、幻覚が見えるし。。

でも、なんだかんだと時は流れ。
術後3日後から飲料開始。
術後5日後から流動食開始。
少しずつ形があるものへの食事と変わっていく。

やっぱり、口から摂取すると気持ち的に変わっていきますね。
特に、歯ごたえがある食べ物になった途端、すぐに元気になった様な気がします。
点滴も外れ、食事量も増える。
歩行距離も、最初はナースステーションまで歩くのものやっとだったのに、病棟半周、一週、二週と日増しに増えて行く。
食事が一般食になった頃には、病棟を1日に10週ぐらい歩いていました。

入院生活の最後の1週間は、ストーマの装具選定と耐久力テストでした。
前は、上行結腸ストーマ(コロストミー)でしたが、今回の手術によって小腸ストーマ(イレオストミー)になり。
装具の種類もメンテナンスの方法も変わり、すぐに漏れ出したりして、なかなか適した装具が見つからず、大変でした。

ストーマ専門の看護師さんと色々と相談して、何とか装具を見つけることができて、退院日が決定。
入院から3週間で他院出来ました。

なんか怒濤の様に過ぎていった3週間。
病人なのに、忙しかった。

やっぱり、それなりに大変で、今もまだ「術後」の期間ではあるので、安静にしつつ。。。という感じではあるのだけど。
でも、手術をして良かったってそう思っています。

半年間、手術をやるのやらないのってイライラしながら待っていた状態で、一進一退どころか、日増しに悪化させていったので、先が見えず。

術後、以前のような症状もなく、このままで推移していけば、かなり、前に進められる。
正直、本当に怖かったけど、再手術をして良かったとそう今は思っています。

怖がって、地団駄を踏んでいるよりも、やっぱり、やってみないと何事もわからないですね。
何事もムダはないだろうし、何事も良い方向に進んでいるんだと信じて前に進んでいくことは、大切だなってそう思います。
今回の手術は、前例もほとんどなく、主治医も手探り状態であったのだろうけど。
同じ状況で、苦しんでいる人たちがいたとしたら、私と主治医の方々が挑んだ事が、少しでも他の人たちの希望になればいいなとそう思っています。

再手術を引き受けてくれた主治医や看護師にも感謝ですし、それを後押ししてくれた両親にも感謝ですし、励ましの言葉などで支えてくれた皆さんにも感謝ですし。

やっぱり、1人では生きていないんだなって改めてそう思います。
支えられて生かされた命。
大切にして、これからも生きていきたい。
焦らず、何年もかけるつもりで、ゆっくりと歩んでいきたい。
そう感じています。

命のことを改めて感じられた3週間。
この3週間を見守り応援してくださった皆様。
本当にありがとうございました。
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もう、8月ですね~。
早いものです。
近況報告も兼ねてのまとまりの無い日記を書いてみます(笑)

暑いのはめっちゃ苦手ですが、台風やらなんやらで、意外に過ごしやすい日が多いので、何ともありがたいです。
完全に体調のバランスが崩壊していたのも、去年の今頃。
お腹はおかしいし、だるいしで、最悪だったのを覚えています。
土日は、友人とあったりはしているけど、無理せず、セーブモードでやっています。

先々週から、仕事場が変わり、設計関連の仕事から、品質管理の仕事になりました。
設計関連の仕事は、一秒の時間との勝負だったりするので、休む事すらもまず出来ない。
精神的も厳しいし、さすがに無理はさせられないと、会社側で提案してくれました。
設計関連は、開発主体のうちの会社としては最前線のもあたる場所。
やりがいはあった仕事だけど、でも、今も私の身体じゃ無理は出来ない。
正直、前の部署から離れがたいけど、今は、身体の事も労ってあげないとならないし、不安定な身体の私でも席を確保しておいてくれている会社側の提案を呑むことにしました。
先日、前の職場の上司から電話が自宅にあり、今でも気にかけてくれているし、今はこの恩をしっかりと受け止め、しっかりとお返ししたいと、仕事をこなしている毎日です。
だからといって、気の抜けない仕事も沢山あるし、覚えないとならないことも多いので、大変ですけどね。
新しい場所で、一つ、一つ、歩んでいこうと思っています。

先週、病院にいって、退院後の定期検診に行ってきたけど、やっぱり、「再入院、再手術」のことを言われました。
骨折の所は、今の所、予定通りの形で来ているし、腎臓も特に再炎症を起こしたりしているわけではないんだけど、問題は人工肛門。
前にも書いたように、私の場合、特殊中の特殊なケースとなってしまっていて、様子を見ていても、一向に良い方向に進まない。
だからといって悪い方向にも行っているわけではないんだけど、このまま行けば、悪い方向に行く可能性も大きくなってしまいそうなので、再入院と再手術をした方が良いのでは?と提案されました。

人工肛門をつくる時、内視鏡など色々と検査をしていって、腸の様子などを探り、緻密な計算を行うんだけど、私の場合、大腸破裂の状態だった為に、緊急処置として行いました。
だから、土壇場の判断に任せた状態になっている事も確かなのです。
お腹を開けたら予想も付かないような状態だったそうで、腸の位置も酷かったらしく、他の臓器などとの癒着も激しく、変に動かしたり、メスを入れたり出来る状態でもなく、普通の人工肛門の手術よりもかなり大変なものだったそうです。
だから、もう一度、しっかりと計画を練り直して、ゼロからスタートのつもりで、再度、再整形を行おうという事になっています。

まだ、予定は未定だし、本当にやるのか、もしくはやれるのか、まだも決まっていないし、家族としても本人としても、回答保留にしているのですが。。。。
今の状態のままじゃやっぱり辛いし、なかなか、遠出が出来ないでいるのもこのせいだし。
今の状況が少しでも改善し、希にある酷い痛みなどが少なくなるのであれば、やるしかないのかなって思っています。

でも、、、、考えれば考えるほど、やっぱり、不安ですね。。。
去年以上の大出術になりそうなので。
気管挿管が出来ない身なのも、不安を煽る。
(骨形成不全の為、首の骨が変形していて、かなり深い全身麻酔を行う時の人工呼吸の為の挿管がやりにくいのです。去年も意識がある中、ゲーゲー言いながら1時間半もやっていた・・。)
10日間に三度の手術をしていれば、怖いモノはないように思うのだけど、あの時は、無我夢中で考える余裕もなかったから怖いということも言っている暇もなかった。
だけど、考える時間も余裕もある今は、やっぱり、不安にさせられます。
ここまで来たのを、また、ゼロからやり直しというすごろくの振り出しに戻るに近い気持ちでもあります。

土日とかに友人とあったり、イベントに参加したりすると、人と逢う事が楽しく、人と交わることの喜びを感じると、やっぱり、前に進まないとっていう気持ちにさせられ、勇気になります。
誰かと共に生きる為に自分は産まれてきたのだし、誰かと共に生きることの大切さを伝え、自ら生きていく事を決して諦めたくないし、これからもそう生きていきたい。
だから、こんな所で悶々としているぐらいなら、少しでも可能性のある道へ進むためにジタバタすることを選びたいと思うのです。

先日やったイベントの打ち上げが、先週あったのだけど、やっぱり、生きなきゃって改めて思った。
やっぱり、前に進まなきゃとそう改めて感じた。

だから、手術も受けようかと、思っています。
9月始めから計画を練っていって手術となるので、たぶん、9月半ば~10月中になると思います。
今年も、誕生日は、ほぼ病院食決定ということで(笑)
毎年、誕生日に、何やってんのかね~。

という感じかな。

今週末は、高校の同窓会に参加してきます。
実は、初参加です。
あまり、良い思い出が無いせいか、今まで、学生の頃の自分を振り返るようなことは避けてきた所もあり、参加辞退してきました。
高校の時は、いじめられていたわけでも無く、学園祭とか楽しかった部分もあるし、少ないけど友達も何人かはいたのだけど、どこか周りから取り残された様な、独りぼっちの様な負の感情の方が強くて。
でも、長期入院の事など、色々と考えが変わって、今回は参加してみようと、決心しました。
幹事役は、同じクラスメートの人で、先日、お葉書をくれて、私がいたクラスが一番出席率が良いみたいです。
先生方も来るので、今から、ドキドキしています・・・。

とまぁ、やっぱり取り留めなく、まとまりのない日記になってしまいました(笑)
なんだかんだと色々とあるし、毎日大変だけど、その毎日、毎時を思う存分ジタバタして生きたいと思う今日この頃です。。。
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今日で入院生活1ヶ月が過ぎました。
長いようで早いですね。
三度の連続手術を行ったのが、昨日のことのようです。

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入院した当時、こんなに長い病院生活になるなんて想像もできなかったし、こんなに大変なことになるなんて思ってもいませんでした。

悪 いことが立て続けに起きたように思ってしまって、普通なら思いっきり落ち込んでしまい、何もかも投げ出してしまうことなんだろうけど、これで良かったのか なって、思っていて、今、自分に起きていることを、落ち着いて、冷静に、静寂に、客観的に受け止めている自分がいたりしています。

こう思えるのも、みんながちゃんと見守ってくれて、支えてくれているのを感じられるからなんだろうなって思ってます。

病院側も先生たちも看護師さんたちも良くしてくれるし、私が何事もないようにあまりに気丈に前向きに振る舞っているから、逆に心配されるぐらいでして(笑)
病院食も美味しいしね(笑)

検査など色々やることが多いので意外に忙しいけど、じっくりと構えて過ごしています。


人工肛門やそれに伴う内臓の具合は、良好に形になってきたし、手術は失敗したけど、腎臓の具合も安定してきています。


骨折の方は、長くなりそうですね。
今日になってやっと埋め込んだボルトや骨折周りに骨の原型みたいなのが覆い始めたみたいです。やっぱり普通の人よりも2倍から3倍時間がかかってます。未だに起きることは禁止され、寝たきりだし(っていうか痛くて起き上がれない)。まぁ仕方ないですね。

骨折したことは、自分にとって内心かなりショックだったみたいで今でも悪夢を見てしまうし、上手く歩けなくて何度も何度も転んでしまって前に進めなくて悔しい思いをする夢をみたりしています。

最後に骨折したのが小学校低学年で、今までなんともなく歩いたりしていたから仕方ないかなって思う。
これからは車椅子中心の生活になりそうだし、歩くことも一年がかりのリハビリが必要になりそうだし。
正直、気が遠くなりそうに、長い道のりになりそうです。悔しいて言えば悔しいけど焦らないでじっくりやらないと...。


お手紙を送ってくれたり、忙しい中をお見舞いにきてくれたり、お花などをくださったり、本当にありがとうございます。誕生日の日の夜中に奇襲お見舞さされたのには驚いた(笑)
先日は、テラルネッサンスのスタッフのみなさんが来てくれました。ウガンダから一時帰国して日本中を報告のために飛び回っているなかを駆けつけてくれてとても嬉しかったです。写真のお花も頂けたり、現地のお土産をくれたり。本当にありがたいなぁって思う。

メッセージやメール、コメントなど、暖かい言葉をたくさんくれてありがとう。

言葉一つ一つが胸に染み入ってきますし、みんなの思いがあるからこそ、生きること、そして前に進むことをあきらめられないなぁって思います。勇気や希望になります。本当にありがとう。みんなの思いに感謝します。


前のようにはいかないかもしれないけど、少しでも近づけられるように、ゆっくりと歩んでいきたいと思います。

たまには、歩みを止めて、悔やんだりすることも、へこんだりすることも、泣きごとを言うことも、愚痴を言うこともあると思うけど(笑)、そんな時も見守っていてくれるととても嬉しいです。

みんなに逢うことが出来るようになることが今の目標かな。
そんな当たり前のようで些細で大切な目標を胸に歩んでいきますね


改めて、みなさんにありがとう。
寝たきりになると今までになく今まで以上に大切で愛おしく感じられるようになったみんなに、早く会いたいです。
美味しいものを食べに連れて行ってください、みんなのおごりで(笑)

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なんか、びっくりするようなことばかりでごめんなさい。
本人が一番、びっくりしています。
10月もやっと半分が過ぎたばかりなのに......。
10日前後で何が起きたっていうのだろう...。
実は、一昨日、生死の境目をさまよってました。


10月頭に再手術のために、再入院しました。
そして、失敗し、骨折。
再々手術をして、骨折部位をボルトで繋ぎ止めました。
将来、今までのように歩ける状態になれるかは、かなり、困難ではありますが、経過も良好で、起き上がるリハビリ開始の目処も立ちはじめました。


ところが、問題なのが、手術を失敗したままだった腎臓の方。

実のところ、今月6日ごろ(骨を繋ぎ止める手術を行った翌日)から食べることが出来なくなり、吐き気や腹部の痛みで食べ物、飲み物が一切、受け付けられなくなりました。

そして14日の朝。

今までに感じてこなかったような激痛がお腹全体で起き、瀕死な状態。

消化器科、泌尿器科、外科、整形外科、総出で原因を探ってもらうことになり、夜中、緊急手術。
大腸がほぼ死んだ状態で、あっちこっちで、破けてました。
そして、大腸を避ける形で、緊急で人工肛門を取り付け、オストメイトになりました。


腎臓も含め、もう、自分のお腹の中は、限界だったみたいです。


骨形成不全のため、骨盤や背骨の位置が悪く、そして、小さい。内臓を収める器が小さいのに、内臓の大きさは、大人並み。

全てを圧縮して押し込まれていたので、悲鳴を上げていたみたいです。

腎臓も行き場を失い、悲鳴をあげ、その周りの大きな大腸も悲鳴を上げました。そして、腸閉塞。

割れてしまった腸を閉じ、位置を直して、人工肛門をつけました。
大腸がこんな状態だったために、膀胱なども変形、腎臓が腫れたりした可能性があるとのこと。
今回の処置で、もしかしたら、腎臓の方は、落ち着くかもしれません。(っていうかそうであって欲しいですが...)


もともと、お腹は弱くて、便秘と下痢を繰り返していたのですが、これも、すでにおかしかったのかもしれません。
お腹を開いてくれた担当医が、驚くほどの有り様で「これじゃ、生活そのものが大変だっただろうに...。よく今まで頑張って生きてた。」と言っていました。


率先してメスを握ってやってくれた担当医が、生きるために色々と施してくれました。
正直、オストメイトになるのは、嫌だと思ってしまいました。でも、仲間の中には、大腸を全部摘出しても、人の幸せのためにキラキラと輝いて生きている方もいるし、自分も大丈夫だと、勇気が出てしまいました。
そして、その治療計画をしてくれた担当医に、説明を受け、痛みで朦朧とするなか、「今すぐにでもお願いします」とお願いしました。
そして、夜中の緊急手術。

相変わらず、全身麻酔で苦労しましたが、なんとか手術は、成功しました。
まだ、人工肛門は不完全でこれから形を作っていきますが、なんとかなりそうだとこと。
信頼して任せます。


麻酔から覚めたとき。
ICUの中で、最初、病院にいることもよくわかなくて、なんで、お腹の切り傷が痛いのかわからなかったのですが、事態を思い出すうちに、めちゃめちゃ嬉しくなって「生きてる...。良かった...。」なんて思って笑顔になっている自分がいたりします。。
親からも、「一番、すっきりした顔してる」と言われました(笑)
他の先生方からも。

まだ、起き上がることもできないし骨折部位の方もこれからどうなるかわからないのに、「どこかに美味しいものを食べに行きたい」とか自然に思っているし(笑)
腎臓の方はまだこれからだし、大変なことが多くあるだろうに...。
人の気持ち、希望を持つとこんなに変わるのかと、不思議なものです。

ということで、カミングアウトです。
今度、美味しい所に、車椅子押して連れて行ってください(笑)


生きる選択ができて良かった。
10月20日、38歳になる前に死ぬかもしれなかったのだから、この選択は、本当に良かったと思う。
生きれるって嬉しい。
生きる選択肢があるって嬉しい。
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