骨折の最近のブログ記事

今日は、病院でした。
この前受けた骨折部位のボルト抜き。
その手術後の抜糸と経過観察のための検査。

X線撮影の結果は、特にヒビが入ったりといった事はなし。
抜糸も全く痛みもなく1分もかからない間に無事に終了。

「もう、問題ないでしょう。これで治療は終了ですね。」

と主治医。

ということで、めでたく骨折の治療は全て終了しました。

約一年半前。
入院が二泊三日程度で終わるぐらい簡単な手術中に医療事故。
ムリに身体を動かした為に、右足付け根、大腿骨頚部を粉砕骨折。

もう二度と歩けない。
再起不能だと宣告をうけた。

でも、今ではしっかり歩けてます。
さすがに、前みたいには動けないけど。
奇跡的です。

まだ、経過観察はあるし、腎臓や人工肛門のことは一生モノなのでまだまだですが、何とかゴールまで来られたと心底ホッとしています。

最初の頃は、どうにもならないぐらい混乱の中にいたけど、怒りや悲しみなどを全てを手放すことで道が開けました。。
昇華するように消えていくネガティブな想いと共に、拡がった感謝の思い。

これで良かったんだ。
生きていれば良いんだ。
ありがとう。

と思えた瞬間から、全てが一気に好転していくことを体験出来た。

この体験は、宝物だと思うし、自分にとっての素晴らしき人生の1ページとして、笑顔で飾れるものになったような気がします。

応援してくれた皆さん。
ありがとう。

一番大変だった時に「やってみましょう。」と、手術を引き受けてくれた整形外科の主治医や看護師さんや病院関係者の皆さん。
ありがとう。

そして、ずっと支えてくれた家族にありがとう。

自分自身の存在をしっかりと感じ、自分の生きて来た使命をしっかりと捉え。
今という時を大切に生きていたならば、宇宙と言う神様は、自分を見守ってくれるし、良い風に導いてくれるのだと思う。

だから、これからも、生かせてくれたこのいのちと身体を大事に感じながら、しっかりと歩み生き続けたいと思います。

本当にありがとうございました。
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3月10日は、東京大空襲のあった日。
そして、3月11日は、東日本大震災の日。

この土日は、命について深く考えられる大切な日になりますね。
皆様、いかがお過ごしでしょうか?

5日~8日まで、入院していました。
一昨年に入れたボルトを抜くために。
6日に手術を受けました。
この2年間で、何回目の入院と手術なんだろう。。
我ながら、すごい2年間だわ。。。

特に、痛いとかいう事はなかったので、本当は、今年の後半ぐらいにって思っていたのだけど、整形外科の先生が春から北海道の系列の病院に転勤になってしまうので、自分の事を良く知っている先生にやってもらった方が良いということで、前倒しになりました。

一昨年の10月始め。
足にボルトを埋める事になったのは、手術中の事故。
手術中の体位変更の時に、無理に動かしたため、右足付け根、大腿頸部を粉砕しました。
骨形成不全症という元々あった病気もあったので、当時の診察では、骨折部は二度と接合しないだろうと言われてしまいました。
最悪、右足が壊死、切断の可能性も有りと。
どうなるかわからないけど、やるだけやってみようと試みた接合手術。
その時に埋め込んだボルトが80mmと75mmの2本。

今回は、その手術後に入院した病棟に入りました。

いや・・・全然、覚えてない(笑)
担当になってくれる看護師さんがそろって「お久しぶりですね。覚えていますか?」って言われるんだけど、見事な程に空白状態でして。。。。汗

あの時は、何が起きたのかわからず、受け止められない現実と、事故を起こした担当医に対する恨みと、そのせいもあったのか、手術後直後から食欲がなくなり、腸閉塞のための激痛で。。。。まともな神経じゃなかったし。。。ねぇ。。。

ということで、はじめて入った病棟のようで新鮮でした(笑)

今回は、かなり元気な状態での入院だったので、暇で暇で。
こういう入院もあるんだなってそんな風に思ったり。

順調な状態で、6日の手術を迎えました。

部分麻酔でOKですよ、って言われていたけど、結局、全身麻酔になり、いつものように大変だったそうで、手術は15分で終わるような簡単なものだったのだけど、麻酔関係で2時間ぐらいかかってしまって、結局、2時間ちょっと手術室に入っていました。

全身麻酔は、寝てしまえるので、楽ではあるんだけど、導入時は何度味わっても気持ち悪いですね。
周りの人の声や存在がどんどん遠ざかっていく恐怖にも似た感覚。
覚醒時は、「すっきりした」さわやかな感じがして、良いんだけど。

ということで、何とか無事に終わって、6日の術後と7日の午前中はベット上安静。
7日の午後から歩きはじめ、夕方には病棟一週して、看護師さんをビックリさせました(笑)
前に入ったときは、寝たきり絶対安静再起不能状態だったから、看護師さんはその時の私しか知らないし。。。そのビックリする姿を見ると結構快感です(唯一の楽しみ)。

7日から始まった食事も美味しく頂けたし、手術後の痛みも薬を使わずでも過ごせるほどで特に問題なく、ちょっと微熱があったぐらいで感染症の問題もなく。
いや、、、点滴や心拍計、動脈血酸素飽和度の計測器は、元気な時は、ほんとジャマだわね。
動きづらいし、付けただけで、まるで重病人だし。
尿管ドレーン(尿を排出して袋に貯める管)は術後問題なしで、つけなくて済んだけど。
ということで8日の朝に検査して問題なし。
点滴など全て外れ、昼食後、退院となりました。
抜いたボルトはもらってきました。
思っていた以上にでかかったけど。
2年間、私の足を守ってくれたボルトですから、ある意味、大切なお守りです。

入院期間が短くて良かった。
もう、それが一番でした。

事故そのものが、1泊2日で退院出来る簡単な手術中に起きたので、また、何かあって何ヶ月も、、、なんて怖いなぁ、、、って思ってしまっていたり。。。そういう恐怖があったりし、日が近づくにつれて、胸のあたりがわさわさしていたけど。
でも、何でも無くて、ほんと、良かったです。

入院期間中に、沢山の「いいね」やコメント。
本当にありがとうございました。
入院中、そのコメントや「いいね」の数々がとても励みになりました。
退院の時のコメント。
ほんと、退院できて良かったなって反芻も出来たし、喜びも倍増でした。
皆さんのおかげです。
ありがとうございました。

これで、22日に無事に抜糸できれば、事故関係の治療は全て終了。
それまで感染症とかが怖いので、無理しないで安静でいきます。
ボルトが抜けた分、大穴が空いている状態なので、それが埋まるまで、怖いしね。
人工肛門と右足が曲がらないのは、大切に抱きしめて、一緒に生きていかないといけない話だし、
これらは、ゆっくりと付き合って、仲良くやっていきたいとそう思います。

やっと、次のステップに立てたような感じです。
生かされた命。
新たに与えられた自分への役割。
その全てをしっかり噛み締めながら、少しずつ、前に歩んで行きたいと思います。

ほんと、よかった!
ほんと、ありがとう!
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もう、10月ですね。
なんか1年が過ぎるのが、やたらと早い気がする。
別にこれと言ってやることが沢山あって忙しくてしているわけではないんだけど。
今は、1日、1日を生きていくのがやっとなのか、とても、早く感じてしまっているのだと思う。

去年の10月。
今思うと、生涯、こんな事が一変に起きるのかっていうぐらい大変だった月でした。
一気に色んな事が起き、無我夢中。
何が起きたのかわからず、対処するのが精一杯。
そんな感じでした。

9月半ばに悪化した腎臓にカテーテルを入れるために10/4に再入院。
10/5に手術。
入院する期間も2泊3日で終わるっていう簡単なものだったのに・・・。

手術が終わって麻酔が切れると、右足付け根に何とも言えない激痛。
悲鳴とも怒鳴り声とも言えない言葉を発した自分。

手術中、なかなか通らない入らないカテーテルに焦り、麻酔で意識がなくなっている私の体位を無理に変える。
その為に、付け根に負荷がかかり過ぎた。
右足大腿骨頚部を骨折。
ほとんど粉砕骨折に近かった。
絶対安静状態。
そのまま、ICU行き。

このままでは、足が腐り落ちるかも知れないと、整形外科の医師に言われる。
10/7。
偶然にもたまたま開いていた手術室に直行。
一か八かで、骨をつなぎ止めるための再手術。
ボルト数本をガンガンいれて、何とか成功。

なんとかつなぎ止めたが、今後、再生するかわからない状況。
今後、寝たきり、もしくは、どんなに良くても、車いす生活になることを覚悟するように言われる。
社会復帰は絶望的かもしれない。。。明日、どうなるかわからない不安な毎日を過ごす。

絶対安静で動かせない身体。
寝返りも身体を起こすことも出来ない。
次第に、食欲が激減する。

内蔵の動きまでもおかしな状態になる。
たぶん、今までも病気を抱えていたのだろうけど、絶対安静の為、悪化させたのだろう。
10/14の朝方、お腹が異常なまで膨れ上がる。
そして、腸閉塞。
もう少しで破裂しかかっている可能性大と言われ、10/15の夜、緊急手術。
腸は破裂寸前までになっていて、大量出血。
しかも、癒着などが激しく、大手術となる。

どうしようもない状況に陥ったが、予定よりも違う方法で、何とか、人工肛門を付けて難を逃れる。

これにより、何とか生き延びられた。

だけど、10月中は、生きている心地がしなかったのも事実。
そして、不安や恨みなど、ネガティブな様々な感情が渦巻いていたのも事実。

自暴自棄になっていてもおかしくなかったなって、今更ながら思う。


人工肛門の手術の後、麻酔から覚めたとき、何とも言えない、開放感の様な感覚は今でも覚えている

それまで、家族や事故を起こした担当医にどうしようもない怒りの様な気持ちをぶつけて泣いたことはあったけど、それぐらいで、表には感情を出さなかった。
でも、内心「なんで、私がこんな目に遭わないとならないのだろう」と、何とも言えない憎悪との葛藤が酷かったのは確かだった。

ところが、人工肛門の手術から帰ってきて全身麻酔から目覚めた時、「これで良かったんだ」っていう言葉が急に心の中に浮かび、憎悪から解放せれたような。
フッと心が軽くなった感じがしました。

さすがに10月中は、何度となくゆれ戻しでネガティブな気持ちとポジティブな気持ちを激しく行ったり来たりしていた。
けど、11月に差し掛かると、次第にフラットになっていった。

フラットになった後は、いい方向へ一気に事が進んでいった。

一生寝たきりかもしれないって言われていたのに。。。。

付けられていた様々な管がはずれ。
寝返りができるようになり。
上半身を起こすことが出来るようになり。
リクライニング式車いす(寝た様な状態に出来る車いす)へ乗れるようになり。
全身浴できるようになり。
リクライニング式車いすではなく普通の車いすでも座れるようになり。
車椅子を自分で動かせるようになり。
立ち上がることが出来るようになり。
歩く訓練ができるようになり。
歩行器移動ができるようになり。
杖であるけるようになり。
自立行動ができるようになり。

2月11日に退院。

やっぱり、治りたい、動けるようになりたい、っていう本人の気持ちは大切なんだって、そう思う。
そして、その気持ちに応え、諦めずに支え続けてくれる周りのサポートがあるから、ここまでやってこれたんだろうなって、そう思う。
歩みが遅くても、何年かかったとしても、諦めない心。
その気持ち。
本人、そして、周り次第で、奇跡って起こせるのかもしれない。
そう思うのです

医療事故でこうなったせいもあってか、看護師さんや担当医に何度となく、「恨んでませんか」って言われる。
でも、「恨んでない」ってはっきり言ってきた。
恨むぐらいなら、そのエネルギーを治す方に変えていきたいし、そのエネルギーがあるなら、治ることも可能だと思っていたから。

医療事故ってなると、色々と裁判沙汰になるけど、そんなことをしたところで、前の自分が帰ってくるわけではないし、そんな過去の事にしがみついていても、何もならない。
だったら、前に行きたいって思うのです。
だから、事故とも思っていない。

でも、そう思っていられるのも、周りのサポートがあったからなんだろうなって思う。
事故を起こした主治医は春に他の病院に移動になったけど、それまで投げ出さず、逃げ出さず、親身になってしっかりケアーしてくれた。
関わってくれた他のお医者さんや看護師さんやその他病院関係者の皆さんには、大切にしてもらった。
そして、今も、一番に気にかけてくれている。
そんな中で、恨んだり、訴えたりする気持ちなんて、私には到底出来ないなって思う。
本当にありがたい。


でも、身体の方が気持ちに追いつかず。
やっぱり、無理があるせいか、11月に再手術になりそうです。
人工肛門の状態が最悪な状況になりました。

人工肛門を作る時、普通、内臓の位置や筋肉の位置など、色々と計算しながら手術する。
でも、私の場合、緊急で、しかも、当初、人工肛門を付けようと計画していた箇所の腸は破裂していたから、作ることが出来ず。
急遽、別の場所に作ったというのもあって、やっぱり、維持するのは無理だったみたいです。
酷い時には、腸そのものが20cm近く身体から飛び出してしまっています。

こんな状態なので、再度、作り直すことになりました。


私の場合、手術はかなりハイリスクです。
麻酔をかけるまえに気管に管を突っ込んで、直接、肺に空気を送るのですが、頸椎が曲がっているので、管を挿しづらく、人工呼吸をはじめるつけるまでに2時間近くかかる。
そして、内臓の位置がかなりおかしく、密集していて、癒着も激しい。
前に破裂していた腸が今どうなっているかわからない。
など、色々とハイリスクをかかえているので、普通よりもかなり難しい手術。

怖いっていえば怖い。
不安っていえば不安。

だけど、このまま行けば、本当に寝たきりになるし。
同じところでジタバタするよりか、危険があったとしても、少しでも前に進めるのなら進みたい。

その気持ちのみで、再度、手術を受けます。
ここまでくると、藁にすがる気持ちに近いかな。。。

今年も10/20の誕生日のプレゼントが手術後最初に口にする重湯かなって思っていたけど(笑)
今年は誕生日の前後に手術日や手術方針など決定しそうです。

最近、10月って色々と忙しいことが多いけど、今年も慌ただしく過ぎ去りそうです。


病気になる前から、私は走り過ぎだって言われていたけど。
病気になっても走っているような気がする。

じっと待つ事が嫌いなんでしょうね。
じっと待って事が過ぎ去っていくぐらいなら、自分で道を切り開きたいってそう思ってしまう。
怖くても、不安でも、前に進むことしか頭にない。

でも、誰かがやってくれるなんて待っていても、最後に切り開くのは自分なのだから。
少しずつでも、立ち止まりながらでも、歩み続けていかないとならないんだってそう思って生きているのです。
どうせ死ぬなら、やることやってから死にたいって思うのです。

こういう性分なんだろうね。
死ななきゃ治らないと思う(笑)
でも、それならそれで、自分は、この性分をとことんまで生かして生きていたい。
そう思う。

孤独な生きもの KOKIA

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もう、8月ですね~。
早いものです。
近況報告も兼ねてのまとまりの無い日記を書いてみます(笑)

暑いのはめっちゃ苦手ですが、台風やらなんやらで、意外に過ごしやすい日が多いので、何ともありがたいです。
完全に体調のバランスが崩壊していたのも、去年の今頃。
お腹はおかしいし、だるいしで、最悪だったのを覚えています。
土日は、友人とあったりはしているけど、無理せず、セーブモードでやっています。

先々週から、仕事場が変わり、設計関連の仕事から、品質管理の仕事になりました。
設計関連の仕事は、一秒の時間との勝負だったりするので、休む事すらもまず出来ない。
精神的も厳しいし、さすがに無理はさせられないと、会社側で提案してくれました。
設計関連は、開発主体のうちの会社としては最前線のもあたる場所。
やりがいはあった仕事だけど、でも、今も私の身体じゃ無理は出来ない。
正直、前の部署から離れがたいけど、今は、身体の事も労ってあげないとならないし、不安定な身体の私でも席を確保しておいてくれている会社側の提案を呑むことにしました。
先日、前の職場の上司から電話が自宅にあり、今でも気にかけてくれているし、今はこの恩をしっかりと受け止め、しっかりとお返ししたいと、仕事をこなしている毎日です。
だからといって、気の抜けない仕事も沢山あるし、覚えないとならないことも多いので、大変ですけどね。
新しい場所で、一つ、一つ、歩んでいこうと思っています。

先週、病院にいって、退院後の定期検診に行ってきたけど、やっぱり、「再入院、再手術」のことを言われました。
骨折の所は、今の所、予定通りの形で来ているし、腎臓も特に再炎症を起こしたりしているわけではないんだけど、問題は人工肛門。
前にも書いたように、私の場合、特殊中の特殊なケースとなってしまっていて、様子を見ていても、一向に良い方向に進まない。
だからといって悪い方向にも行っているわけではないんだけど、このまま行けば、悪い方向に行く可能性も大きくなってしまいそうなので、再入院と再手術をした方が良いのでは?と提案されました。

人工肛門をつくる時、内視鏡など色々と検査をしていって、腸の様子などを探り、緻密な計算を行うんだけど、私の場合、大腸破裂の状態だった為に、緊急処置として行いました。
だから、土壇場の判断に任せた状態になっている事も確かなのです。
お腹を開けたら予想も付かないような状態だったそうで、腸の位置も酷かったらしく、他の臓器などとの癒着も激しく、変に動かしたり、メスを入れたり出来る状態でもなく、普通の人工肛門の手術よりもかなり大変なものだったそうです。
だから、もう一度、しっかりと計画を練り直して、ゼロからスタートのつもりで、再度、再整形を行おうという事になっています。

まだ、予定は未定だし、本当にやるのか、もしくはやれるのか、まだも決まっていないし、家族としても本人としても、回答保留にしているのですが。。。。
今の状態のままじゃやっぱり辛いし、なかなか、遠出が出来ないでいるのもこのせいだし。
今の状況が少しでも改善し、希にある酷い痛みなどが少なくなるのであれば、やるしかないのかなって思っています。

でも、、、、考えれば考えるほど、やっぱり、不安ですね。。。
去年以上の大出術になりそうなので。
気管挿管が出来ない身なのも、不安を煽る。
(骨形成不全の為、首の骨が変形していて、かなり深い全身麻酔を行う時の人工呼吸の為の挿管がやりにくいのです。去年も意識がある中、ゲーゲー言いながら1時間半もやっていた・・。)
10日間に三度の手術をしていれば、怖いモノはないように思うのだけど、あの時は、無我夢中で考える余裕もなかったから怖いということも言っている暇もなかった。
だけど、考える時間も余裕もある今は、やっぱり、不安にさせられます。
ここまで来たのを、また、ゼロからやり直しというすごろくの振り出しに戻るに近い気持ちでもあります。

土日とかに友人とあったり、イベントに参加したりすると、人と逢う事が楽しく、人と交わることの喜びを感じると、やっぱり、前に進まないとっていう気持ちにさせられ、勇気になります。
誰かと共に生きる為に自分は産まれてきたのだし、誰かと共に生きることの大切さを伝え、自ら生きていく事を決して諦めたくないし、これからもそう生きていきたい。
だから、こんな所で悶々としているぐらいなら、少しでも可能性のある道へ進むためにジタバタすることを選びたいと思うのです。

先日やったイベントの打ち上げが、先週あったのだけど、やっぱり、生きなきゃって改めて思った。
やっぱり、前に進まなきゃとそう改めて感じた。

だから、手術も受けようかと、思っています。
9月始めから計画を練っていって手術となるので、たぶん、9月半ば~10月中になると思います。
今年も、誕生日は、ほぼ病院食決定ということで(笑)
毎年、誕生日に、何やってんのかね~。

という感じかな。

今週末は、高校の同窓会に参加してきます。
実は、初参加です。
あまり、良い思い出が無いせいか、今まで、学生の頃の自分を振り返るようなことは避けてきた所もあり、参加辞退してきました。
高校の時は、いじめられていたわけでも無く、学園祭とか楽しかった部分もあるし、少ないけど友達も何人かはいたのだけど、どこか周りから取り残された様な、独りぼっちの様な負の感情の方が強くて。
でも、長期入院の事など、色々と考えが変わって、今回は参加してみようと、決心しました。
幹事役は、同じクラスメートの人で、先日、お葉書をくれて、私がいたクラスが一番出席率が良いみたいです。
先生方も来るので、今から、ドキドキしています・・・。

とまぁ、やっぱり取り留めなく、まとまりのない日記になってしまいました(笑)
なんだかんだと色々とあるし、毎日大変だけど、その毎日、毎時を思う存分ジタバタして生きたいと思う今日この頃です。。。
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