生き方の最近のブログ記事

「moment ~今を生きる~」

先日の私の講演会の中盤で使った曲です。
このユーチューブのビデオは、コンサートバージョンですが、CD収録のオリジナル版を使いました。

この曲、311の東日本大震災の前日にコンサートホールで一発録りした曲で、歌詞の内容は、この混乱した世の中を生き抜く応援歌になっていると感じます。

私自身も、退院後、未だ、どうにもならない身体を

引きずっていたとき、この曲に出逢いました。
そして、リピート状態でずっと流しっぱなしにして、何度も
励まされた曲でした。

だから、自分の復帰講演会の時には、必ず使おうと思っていた曲になっていました。

「失ったものがあるなら、それにも増す愛で生きよう。」
「失ったもの以上の、愛が私を輝かせた」


この言葉に、今の自分の想いに共鳴していたから。
なかなか好評で、講演後、個人的に問い合わせくれて、とても、嬉しく思います。

思う通りにならない事ばかりだけど、だからこそ、今という時を心底笑って生きられるように。
その為に、過去も未来もあるのだと、思うのです。

そして、全ての時を、味方にするかどうかは、自分次第なのだと思う。
どう受け止めるか。
どう感じるか。
それだけなのです。
その為に、時は、その1ページ、1ページを用意してくれているのだと、思うのです。

だからこそ。

今を大切に。
今を感じながら。
今を受け止めながら。

生きて欲しい。

そう思います。

今を共に生きる全ての人に。

生きて欲しい。

そう思うのです。

歌詞はこちらです → KOKIA『moment~今を生きる~』


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NHKで出生前診断の特集をやっていて見ていた。
前にブログで、その事を書いたけど、

「命の選別」

ブログのアクセスログを見ると、「出生前診断」や「ダウン症」などの検索キーで検索して飛んできている人がいるので、みんな、何かしら気になっていることなんだろうなって思う。
産むにしても、堕ろすにしても、それぞれ、傷つき、もがき、苦しんでいることにはかわりないのだろうし、この特集を見ていても、凝視できないぐらいの苦しみが伝わって来て、胸が痛くてしかたなかったです。
だから、一方的には、どうのっては言えないのだけど。
でも、前に書いたブログで言ったように、やっぱり、"何か"がおかしいのです。
その"何か"でみんな苦しみ、傷ついている。
それでも産みたいのに、出来ないという"何か"に苦しんでいる。

以前、10月8日にやるイベントのスタッフミーティング の前で、早めに集まった友人と話していたのだけど、この問題とリンクするのが、「尊厳死」の話だと思っています。
イギリスで、尊厳死を希望する脳卒中で全身麻痺の患者が裁判を起こし、結局、認められず。その方は、餓死という形で亡くなりました。
イギリスを含め欧州では、この手の議論は盛んで、裁判が幾度も起こされ、却下されると尊厳死を認めているスイスに行って亡くなるというツアーの様なものまであります。

生も死も意味があるとは思うし、終末期医療における積極的治療の中止という観点から尊厳死を語られるのであれば良いとは思うのです。
ですが、ちょっと足の置き場を間違えれば「障がいをもつ。動けなくなる。」=「世の中のお荷物」という根底に流れてしまっている精神状態そのものを助長させるだけに過ぎないと私は感じてしまうのです。
現に日本で超党派議員による尊厳死における法律では、第一案では終末期医療における積極的治療の中止を語っていますが、第二案では障がい者や高齢者に対する尊厳死の許可まで幅広く語られていまっていて、私なんかはゾッと感じてしまいます。

動けなかったら、動けなくなったら、人間じゃないのでしょうか?
五体満足でなかったら、社会のお荷物なのでしょうか?

確かに、色々と費用も人手もかかることだとは思うし、きれい事だけではすまないとは思うのですが、親族だけが介護するとかいうから難しく、苦しくなるのです。
みんなで力を持ち寄り、みんなで助ける。
その考え方さえあれば、一つ、一人の負担が軽くなると思う。

昔、重度の精神障がいで仕事にも長い間行けず引きこもり状態になっていた友人がいて心配になって逢いにいったことがあります。その時に友人がぼそっと「タ ダ飯喰らい、穀潰しは恥さらしだ。死んだ方が世の中のためなんだ」と言った言葉が胸に突き刺さりました。今でもそのときの表情や声を覚えています。

イギリスで尊厳死を認められず餓死することを選んだ男性は、Twitterで「生きていてよかった」と最後のメッセージを残していたけど本当なのかな。

自分も2年前、寝たきりを宣告され、下の世話さえも出来ない状況が何ヶ月か続いたけど、「生きているならそれで良い」って悟って、今の自分をそのまんま受け入れていました。
動けていた頃のことと見比べたところで、何も始まらないし、これからのこと。
今、ここに生きていることだけ考えていました。

本来、それでいいんだって思うのだけどな。。。
でも、それじゃいけないって思ってしまうってどういうことなのだろう。。。
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妊婦血液で胎児のダウン症診断...国内5施設で

妊婦の血液で、胎児がダウン症かどうかがほぼ確実にわかる新型の出生前診断を、国立成育医療研究センター(東京)など5施設が、9月にも導入することがわかった。

 妊婦の腹部に針を刺して羊水を採取する従来の検査に比べ格段に安全で簡単にできる一方、異常が見つかれば人工妊娠中絶にもつながることから、新たな論議を呼びそうだ。

 導入を予定しているのは、同センターと昭和大(東京)、慈恵医大(同)、東大、横浜市大。染色体異常の確率が高まる35歳以上の妊婦などが対象で、日本人でのデータ収集などを目的とした臨床研究として行う。保険はきかず、費用は約20万円前後の見通しだ。

 検査は、米国の検査会社「シーケノム」社が確立したもので、米国では昨年秋から実施。妊婦の血液にわずかに含まれる胎児のDNAを調べる。23対(46 本)ある染色体のうち、21番染色体が通常より1本多いダウン症が99%以上の精度でわかるほか、重い障害を伴う別の2種類の染色体の数の異常も同様にわ かる。羊水検査に比べ5週以上早い、妊娠初期(10週前後)に行うことができる。
(2012年8月29日10時04分 読売新聞)


私自身、遺伝子の異常で産まれてきた身体なので、身につまされる
ニュースでした。ある意味、当事者でもあるので、正直、色々と考えてしまいます。

もし、私が誰かと結婚して、子どもが授かったとしたら、3/4の確率で同じ障がいを持って産まれてきます。私の病気も胎内でわかりますし、体外受精で産み分けも出来ます。韓国では既にやっているし、同じ病気をもったタレントが産み分けで健康な赤ちゃんを授かったというニュースが流れたりもしています。そして、この技術は、日本でもやろうと思えばできる技術で、隠れてやっている病院もあるのではないかとも言われています。

自分自身、辛い思いをしてきたから、子どもも同じ目にあうことが、本当に良いのかどうか、正直、迷うことでもあるし、それは、母親となる人ととことん話し合うことになるだろうと思っています。

でも、そうやって考えていても、やっぱり、自分自身の中から出てくる答えは、「順番が逆だ」なのです。医療技術だけが勢いよく発展してしまっている。なのに、社会環境や人の生き方、精神レベルは、そこにちゃんと追いついていない。医療技術をこういう形で使う前に、社会環境そのものや、人の生き方、価値観そのものを変えることの方が先だと思うのです。

親であれば、「健康な子どもを産みたい」という気持ちはわからないわけではない。だけど、でも、それ以前に、どんな命であってもかけがえのない存在であるという原点に達していないことも事実であり、その部分をしっかりと達していないうちに、医療という目線のみで、判断されて、区分けされてしまうことが、どのような事態を引き起こすのか、、、、正直、ゾッとします。

今、現時点でさえ、ダウン症などわかっても産むことを選択した家族に、ソーシャルワーカーなどとっかえひっかえ家に訪れ、堕ろすようにとしつこく迫られるという話をまことしやかに聴いたりします。もちろん、そうやって説得されるのは、今の社会環境が、障がい者に対して、優しくないし、辛い現実を突きつけられるからということもあるのでしょうし、お金もかかるし、大変な思いをするからというのもあるのでしょうが、優しくない、冷たい社会環境があること自体がおかしいのであって、障がいをもった子が産まれることが悪いわけでもなんでもないのです。その部分を本末転倒状態で押しつけること自体、おかしい話なのです。

「医療」というものを否定するつもりは、全くないのだけど、それ以前に、命とは、人間とは、生とは、死とは、、、その部分をしっかりと見つめられる世の中であってほしいし、それをなくして、「医療」というものが存在して欲しくないとそう思います。
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年が明けて、もう1週間。
早いんだよね~(笑)

5日より、職場復帰しました。
まだ、机に座っているのがやっとで、余裕ないけど。
でも、木曜日と金曜日と仕事してきました。
何とかやれそうかなって、そんな風に思っています。

三日連休でよかった。
もう、やっぱり、バテバテでして(笑)
明日ものんびりやります。

年賀状。
自分から書かなかったけど、沢山の人から頂きました。
頂いた分は、お返しもしました。
こうやって、つながって、気にかけてくれる人がいること。
ありがたいなってそう思います。

まだ、痛かったりするけど、日増しに動いても苦にならなくなってきて。
精神的にはかなり楽で、もう少し経てば、今後のこととかも考える余裕が出来てくるかなってそう思います。

年が明けてから、相変わらず、世の中は騒がしいけど。
あれもどれもなんて出来るわけなく。
そして、不安を抱えても身動きが取れず。
雨が降るように、風が吹くように、雲が流れるように、朝、日が昇り、夜、日が沈むように。
日々、しっかりと踏みしめながら、淡々とやれることをやるしかないのかなって。
そう思います。
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もう、10月ですね。
なんか1年が過ぎるのが、やたらと早い気がする。
別にこれと言ってやることが沢山あって忙しくてしているわけではないんだけど。
今は、1日、1日を生きていくのがやっとなのか、とても、早く感じてしまっているのだと思う。

去年の10月。
今思うと、生涯、こんな事が一変に起きるのかっていうぐらい大変だった月でした。
一気に色んな事が起き、無我夢中。
何が起きたのかわからず、対処するのが精一杯。
そんな感じでした。

9月半ばに悪化した腎臓にカテーテルを入れるために10/4に再入院。
10/5に手術。
入院する期間も2泊3日で終わるっていう簡単なものだったのに・・・。

手術が終わって麻酔が切れると、右足付け根に何とも言えない激痛。
悲鳴とも怒鳴り声とも言えない言葉を発した自分。

手術中、なかなか通らない入らないカテーテルに焦り、麻酔で意識がなくなっている私の体位を無理に変える。
その為に、付け根に負荷がかかり過ぎた。
右足大腿骨頚部を骨折。
ほとんど粉砕骨折に近かった。
絶対安静状態。
そのまま、ICU行き。

このままでは、足が腐り落ちるかも知れないと、整形外科の医師に言われる。
10/7。
偶然にもたまたま開いていた手術室に直行。
一か八かで、骨をつなぎ止めるための再手術。
ボルト数本をガンガンいれて、何とか成功。

なんとかつなぎ止めたが、今後、再生するかわからない状況。
今後、寝たきり、もしくは、どんなに良くても、車いす生活になることを覚悟するように言われる。
社会復帰は絶望的かもしれない。。。明日、どうなるかわからない不安な毎日を過ごす。

絶対安静で動かせない身体。
寝返りも身体を起こすことも出来ない。
次第に、食欲が激減する。

内蔵の動きまでもおかしな状態になる。
たぶん、今までも病気を抱えていたのだろうけど、絶対安静の為、悪化させたのだろう。
10/14の朝方、お腹が異常なまで膨れ上がる。
そして、腸閉塞。
もう少しで破裂しかかっている可能性大と言われ、10/15の夜、緊急手術。
腸は破裂寸前までになっていて、大量出血。
しかも、癒着などが激しく、大手術となる。

どうしようもない状況に陥ったが、予定よりも違う方法で、何とか、人工肛門を付けて難を逃れる。

これにより、何とか生き延びられた。

だけど、10月中は、生きている心地がしなかったのも事実。
そして、不安や恨みなど、ネガティブな様々な感情が渦巻いていたのも事実。

自暴自棄になっていてもおかしくなかったなって、今更ながら思う。


人工肛門の手術の後、麻酔から覚めたとき、何とも言えない、開放感の様な感覚は今でも覚えている

それまで、家族や事故を起こした担当医にどうしようもない怒りの様な気持ちをぶつけて泣いたことはあったけど、それぐらいで、表には感情を出さなかった。
でも、内心「なんで、私がこんな目に遭わないとならないのだろう」と、何とも言えない憎悪との葛藤が酷かったのは確かだった。

ところが、人工肛門の手術から帰ってきて全身麻酔から目覚めた時、「これで良かったんだ」っていう言葉が急に心の中に浮かび、憎悪から解放せれたような。
フッと心が軽くなった感じがしました。

さすがに10月中は、何度となくゆれ戻しでネガティブな気持ちとポジティブな気持ちを激しく行ったり来たりしていた。
けど、11月に差し掛かると、次第にフラットになっていった。

フラットになった後は、いい方向へ一気に事が進んでいった。

一生寝たきりかもしれないって言われていたのに。。。。

付けられていた様々な管がはずれ。
寝返りができるようになり。
上半身を起こすことが出来るようになり。
リクライニング式車いす(寝た様な状態に出来る車いす)へ乗れるようになり。
全身浴できるようになり。
リクライニング式車いすではなく普通の車いすでも座れるようになり。
車椅子を自分で動かせるようになり。
立ち上がることが出来るようになり。
歩く訓練ができるようになり。
歩行器移動ができるようになり。
杖であるけるようになり。
自立行動ができるようになり。

2月11日に退院。

やっぱり、治りたい、動けるようになりたい、っていう本人の気持ちは大切なんだって、そう思う。
そして、その気持ちに応え、諦めずに支え続けてくれる周りのサポートがあるから、ここまでやってこれたんだろうなって、そう思う。
歩みが遅くても、何年かかったとしても、諦めない心。
その気持ち。
本人、そして、周り次第で、奇跡って起こせるのかもしれない。
そう思うのです

医療事故でこうなったせいもあってか、看護師さんや担当医に何度となく、「恨んでませんか」って言われる。
でも、「恨んでない」ってはっきり言ってきた。
恨むぐらいなら、そのエネルギーを治す方に変えていきたいし、そのエネルギーがあるなら、治ることも可能だと思っていたから。

医療事故ってなると、色々と裁判沙汰になるけど、そんなことをしたところで、前の自分が帰ってくるわけではないし、そんな過去の事にしがみついていても、何もならない。
だったら、前に行きたいって思うのです。
だから、事故とも思っていない。

でも、そう思っていられるのも、周りのサポートがあったからなんだろうなって思う。
事故を起こした主治医は春に他の病院に移動になったけど、それまで投げ出さず、逃げ出さず、親身になってしっかりケアーしてくれた。
関わってくれた他のお医者さんや看護師さんやその他病院関係者の皆さんには、大切にしてもらった。
そして、今も、一番に気にかけてくれている。
そんな中で、恨んだり、訴えたりする気持ちなんて、私には到底出来ないなって思う。
本当にありがたい。


でも、身体の方が気持ちに追いつかず。
やっぱり、無理があるせいか、11月に再手術になりそうです。
人工肛門の状態が最悪な状況になりました。

人工肛門を作る時、普通、内臓の位置や筋肉の位置など、色々と計算しながら手術する。
でも、私の場合、緊急で、しかも、当初、人工肛門を付けようと計画していた箇所の腸は破裂していたから、作ることが出来ず。
急遽、別の場所に作ったというのもあって、やっぱり、維持するのは無理だったみたいです。
酷い時には、腸そのものが20cm近く身体から飛び出してしまっています。

こんな状態なので、再度、作り直すことになりました。


私の場合、手術はかなりハイリスクです。
麻酔をかけるまえに気管に管を突っ込んで、直接、肺に空気を送るのですが、頸椎が曲がっているので、管を挿しづらく、人工呼吸をはじめるつけるまでに2時間近くかかる。
そして、内臓の位置がかなりおかしく、密集していて、癒着も激しい。
前に破裂していた腸が今どうなっているかわからない。
など、色々とハイリスクをかかえているので、普通よりもかなり難しい手術。

怖いっていえば怖い。
不安っていえば不安。

だけど、このまま行けば、本当に寝たきりになるし。
同じところでジタバタするよりか、危険があったとしても、少しでも前に進めるのなら進みたい。

その気持ちのみで、再度、手術を受けます。
ここまでくると、藁にすがる気持ちに近いかな。。。

今年も10/20の誕生日のプレゼントが手術後最初に口にする重湯かなって思っていたけど(笑)
今年は誕生日の前後に手術日や手術方針など決定しそうです。

最近、10月って色々と忙しいことが多いけど、今年も慌ただしく過ぎ去りそうです。


病気になる前から、私は走り過ぎだって言われていたけど。
病気になっても走っているような気がする。

じっと待つ事が嫌いなんでしょうね。
じっと待って事が過ぎ去っていくぐらいなら、自分で道を切り開きたいってそう思ってしまう。
怖くても、不安でも、前に進むことしか頭にない。

でも、誰かがやってくれるなんて待っていても、最後に切り開くのは自分なのだから。
少しずつでも、立ち止まりながらでも、歩み続けていかないとならないんだってそう思って生きているのです。
どうせ死ぬなら、やることやってから死にたいって思うのです。

こういう性分なんだろうね。
死ななきゃ治らないと思う(笑)
でも、それならそれで、自分は、この性分をとことんまで生かして生きていたい。
そう思う。

孤独な生きもの KOKIA

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去年の9月16日。
自宅で倒れ、救急車。
1週間の入院。

白旗を揚げてみたこと(16日~の入院)

ちょうど、一年になります。
完全に具合が悪かったのは、7月からだったんで、もっと前からだったんだけど。
あの時は、今の自分なんて、想像も出来ていなかったのかなって思うのだけど。
よくよく思い出してみると、何となくだけど、「もう、無理かもな・・・」って、変な予感みたいなのはあった記憶があります。

当時、

2010/10/9 『1/4の奇跡』&より子ライブ~みんながキラキラ輝くために~

のイベントに出演が決まっていました。
ですが、倒れたり、入院したり、手術とかが決まったりしていたんで、出演は無理かも・・・ということでと主宰者側と相談していました。
でも、フライヤーにまで名前が載っていたし、あまりに申し訳ないからということで、音声だけでも良いからメッセージを送りたいと私からお願いしました。

今だからいうけど、実は、最後にみんなにメッセージを残したい・・・遺書のような気持ちがあったんです。

当日、流れたメッセージは主宰者側の意向と併せるためにかなり削ったり内容を変えたりしましたが。
最初に録音したメッセージはかなり遺書めいた内容でした。
心の中のどこかで「もう、無理かな」っていう気持ちがあったんです。

結局、半分、予感があたってしまったような形になってしまった。
でも、こういう気持ちって大切だなって今更ながら思う。

明日、1時間後、1秒後、どうなるかわからないのだから、今を精一杯生きること。
自分が伝えたい想い、自分がやるべきことは、そのままにせず、今、しっかりと伝え、しっかりと行動し、しっかりと残しておくこと。

そういうのって、本当、大切な気がします。

別に、何か大きな事をしなければならないっていうわけではないけど。
何か変わらないとならないっていうわけではないけど。
でも、あなたらしく、自分らしく、今という瞬間をしっかりと感じ、今をしっかりと生きていれば、きっと、誰かに繋がり、誰かと共鳴し、誰かと共有し、誰かと生きていくことになるのだとそう思う。
明日でもなく、昨日でもなく、今、この瞬間を。

そういうのって、本当、大切な気がします。

これから、どうなるかわからないけど、こういう気持ちは、持ち続けて生きたい。
なにがあっても、悔いの無いように生きたい。

そう思うのです。。。。
泣くことのないように。
悲しむことのないように。



KOKIA 世界の終わりに 歌詞
 
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昨日の夜、入院する前に買いだめしていた「地球が静止する日」という映画のDVDを見た。

ある日、宇宙を司り、その代表だと名乗る使者が現れる。
その使者は、地球の危機的状況を人間に伝えに来ていた。
しかし、地球に来て知ったこととは、この地球の危機的状況を作り出したのは、人間そのものだということ。
何時の時代でも野蛮で成長するも変わることも否定してしまっているようにしか見えない人間。
地球という存在にとって、人間という生きものは、お荷物でしかない。
そんな人間を抹殺し消してしまうことで、かけがえのない奇跡の星「地球」を守ろうと決断する。
しかし、ある科学者と子どもに出逢い、残虐にしか見えない人間のもう一面の姿・・・心に愛や慈しみや希望に溢れる姿を見る。
「人間は必ず生まれ変われる」
その宇宙から来た使者はその人間の姿と言葉を信じ、それに応える為に、人間を抹殺する兵器を止めようと動き出す。

今、この世界で起きている事を思うと、色々とダブって見えて、ドキッとする内容だった。


10年前、アメリカニューヨーク市マンハッタンにあるワールド・トレード・センターに2機の飛行機が衝突した。
半年前、日本の三陸沖で発生した地震は、東日本を襲い、津波や原発事故を引き起こした。

それから、世界で、そして、日本で未だに出口の見えない途方も無く長い旅が続いている。
その旅の先がどうなっているかなんて想像も出来ないけど、それに向けて変わったところも多くあれば、未だに、変わらないところも多くあるように思う。


命について。
繋がりについて。
愛について。

色々と考えさせられる2つの出来事。

10年前の出来事は、自分にとっても大きな出来事で、「共に生きる」こととは何なのかを追い求め始めた瞬間でもあり、あれからそのことを伝える事をいつも考えていた。
そして、半年前の出来事はそのことをもう一度反芻するがごとく、改めて見つめ直すキッカケになった。


2つの出来事は、人間という生き方の積み重ねが形となって現実化したのだと思う。
どこぞの議員が「必然的」と言ったらしいけど、遺族に配慮が有るか無いかは別として、本当のことを言っているように聞こえる。
テロと地震という風に形は違えど、そこから生み出されたことは、今までの人間という生き方がそのまま反映した結果なのだと、私も思う。

2つの出来事から生み出されたこと。
憎しみや悲しみや絶望といった形もあれば、愛や希望や慈しみという形もある。
そのどちらも、人間の中に同居し持ち合わせていた心であり、その見えなかった心の部分が、形となってはっきりと見えるようになったのだと思う。


これから先、自分として何が出来るのだろう。
昨日の夜見た映画じゃないけど、この2つの出来事が、自分たちに向けての警告でもありメッセージだとするなら、その事に応えなければならないと思う。
地球という星の上で、共に歩んでいくこと、共に生きることを、もう一度、選ぶなら、どうすべきなのか。どう在るべきなのか。
途方も無く、難しいことだと思うし、自分にとっての永遠のテーマだけど、この障がいを持って産まれて来たことそのものが自分の生き方とするならば、その永遠のテーマに対し、答えを見つけ、応えていかないとならないとそう思うのです。

イメージが現実化するサイクルがかなり早くなってきた。
だからこそ、いつも、心に愛を感じながら生きていきたい。
そして、地球が静止する前に、人間として、やれることはやっていきたいと誓う。

亡くなっていった人々の為にも、今を生きる人々の為にも、これから産まれる人々の為にも。
そして、自分の為にも。。。
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【告知】2011/7/17 『SWITCH~遺伝子が目覚める瞬間~』上映会 in 日野

今日、来て頂いた皆様。
本当にありがとうございました。

今日、一年ぶりぐらいに逢った親友曰く・・・「何事も無かったかのように元気そうで・・」・・いや、、、死ぬほど沢山、ありましたから!(笑)
半年、寝たきりでしたから!(笑)
死にかけましたから!(笑)

でも、立って歩いているし・・・イベントスタッフやってるし・・・。
はい、何分・・・お騒がせしておりました・・ご心配をかけておりました・・・。

というわけで、久しぶりの友人たちにもお逢い出来て、本当に嬉しかったです♪
ありがとうございました!

映像スタッフも久しぶりなんで、めっちゃ緊張していたけど、私の勘違いで細かい所で操作をちとミスりましたが(言わなきゃわからんぐらいなのに、、、バカ正直者、、、笑)、何とか大きなトラブルもなく上映も出来まして。
(映像トラブルばっかりの某チームとは違って、心が清いんだろうな。。。きっと、、、笑)
ホッとしております。

私にとってのボランティアスタッフ復帰第一段目。
そして、それが、15歳の頃まで住んでいた場所。
しかも、イベントの流れで、どういうわけか、1年ぶりに皆さんの前でお話しできる時間を頂けるなんて(笑)
何度も講演をやっていた人間とは思えないぐらい、自分の中では、かなりボロボロのお話しでしたが、、お恥ずかしいやらなんとやらで、、。

でも、、、、こんなタイミングで、この『SWITCH』を見る事が出来たなんて、幸せだったって思いました。

あの団地に住んでいた約15年間というのは、自分にとってかけがえのない場所であり。
私の講演とかでお話ししている、いじめとかで八方ふさがりになり、独りで公園の中で泣きながら夕焼け空を眺めていたのも、今日の会場の近くの公園でした。

障がいを持った身体で産まれ、何もかもうまくいかなかった自分もいて、、、、良いも悪いも、沢山の思い出がある場所。。。

あの時の15年の経験が無かったら、今の様にボランティアスタッフをやったり、上映会やイベントなどを企画したり、運営したりしなかった。
そう、、、自分が一番伝えていきたい事。。。あの15年間の沢山の経験の中で、嫌っていう程学んでいた、人との繋がり、共に生きること、助け合うこと、、その大切さ。。

そして、自分のセカンドネームにしている「にぽぽ(アイヌで幸せを守る神様と言う言い伝えがある人形の名前)」という名前の由来も、実は、あの団地に住んでいた頃に知った言葉と由来でした。
その名前が、今、自分の生き方になっている。

そのお陰で、今、「にぽぽ」という生き方のSWITCHが入ったのだと思うし、、、やっぱり、かけがえのない15年という場所と時間だったんだって、映画を見ていて、改めて思い出させてくれました。

最後に皆さんの前で、ちょっとだけ話したけど、半年近く入院し、「もうだめだろう」「二度と動けないでしょう」「寝たきりですね。良くて車いす生 活必修。」って言われていた身体が、お医者さんたち、看護師さんたちがビックリするぐらいに、動けるようになり、歩けるようになり、会社にも行けて、ボラ ンティアスタッフも出来るようになって。
そんな風にやってこられたのも、今までのこの積み重ねの中で培った想いが奇跡を起こすSWITCHを入れたんだってそう思う。
病院の中で強く思ったイメージ、想い、、「みんなに逢いたい」「自分の生き方をしていきたい」「自分の役割を果たしていきたい」「あるがままで」「焦らない」そして、「全てを手放そう」・・そんなイメージが、自分の中の遺伝子が活性化させたんだと、そう感じます。

あの場所で、このタイミングで、この映画に出会えて良かったなってそう感じました。
スタッフとしてだったけど、繋がれて本当に良かった。

今日、来てくれた皆様。
応援してくれた皆様。
助けてくれた皆様。
スタッフの皆様。
私を誘ってくれた皆様。
本当にありがとうございました。

こうやって繋がれて、良かったです。

なんだか感無量の一日でした。


放心状態、、、しばらくこの感覚に酔いしれさせてもらいます・・・

ブログの方で、後ほど、詳しい報告を行いますね!
そして、『いのち☆つながる広場 日野』は来年の4月1日の山元加津子さんの講演会に向けて、イベントなど繰り広げて行きます!
これからも、どうぞ、よろしくお願い致します。
ブログ : http://ameblo.jp/team-kawasemi/

多摩平の森、、、、自分が八王子に引っ越してすぐに建て替え工事が始まったけど、雰囲気が変わっていないんだよな・・・なんだか以前より心地良い団地になってました。
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私は、空を見上げる事がとても好きで、いつも、何気なく空を見上げていることが多いです。

自分がやっている講演のテーマもメインになっているのは「希望の空へ」。
全ての人の心に「希望」という空を拡げていきたいっていうメッセージを持って、お話しさせてもらうことが多いです。

入院中もいつも病室の窓から空を眺めていました。
色んな形の雲が流れていく姿を見ていると、心休まるし、飽きませんでした。
そして、この空の向こうに、大好きな仲間たちがいる事を思い続けていました。
独りじゃないって、思う瞬間でもありました。

空が見えない時も、心の中に空を描いていく、、、いつも、そうやって生きていく。
この空でつながっている。
そのことを感じることは、生きる希望になるし、力になるように思っています。

KOKIAの最新アルバムに、このイメージにぴったりの曲が入っていてビックリしました。
感動して涙が止まらなくなり、イメージがあふれ出す。
素材とかかき集めて、映像にしてみました。

色々とありすぎて、生きにくい世の中になってしまっているけど。
この世界を共に生きる全ての人々の心に届けばいいなって思っています。
素人の編集ですので、かなり、荒いですが、ゆっくり見て頂けると幸いです。

『空でつながってる』 KOKIA moment ~今を生きる~から


歌詞 : http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-110518-121

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答え

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最近、Twitterばかりで、日記はご無沙汰しています。
前回の日記からだいぶ経ってしまいました。
今、言葉を紡ぐと、すぐにでも現実化してしまいそうで、かなり、慎重になっています。
本当は、そんなに慎重になる必要もないんだろうけど、こう時代の流れが速いと、怖いものがあるのが、本音です。

今は、会社へ復帰するために、色々と動いています。
半年もブランクがあると、復帰するのも難関山積みで大変です。
身体の事もそうだけど、会社側もどう受け入れていいか悩んでいる様子。
前は、ほとんど健常者と同じぐらいにやってこれていたので、特に何もなかったのだけど、今はそうではないため、ケガでもしたら・・倒れたら・・・って思ってしまうみたいです。
震災の事もあるし、危機管理が厳しくなったというのが現状でしょう。
一応、連休明けに、会社にいって、色々と話し合ってきます。
それによって、どういう形で復帰していくか、決まっていくと思います。

時間があるからかもしれないけど、こう暇だと色々と考えてしまいますね。
去年倒れて、病院に担ぎ込まれ、長期入院になった時もそうだったけど、震災というものを目の当たりにして、さらに考える事が多くなった気がします。

生きるってなんだろう。
命ってなんだろう。
人間ってなんだろう。
感情ってなんだろう。
魂ってなんだろう。
時間ってなんだろう。
営みってなんだろう。
幸せってなんだろう。
苦しみってなんだろう。
悲しみってなんだろう。
喜びってなんだろう。

今、どこからきて、どこに向かっているのか。

ネットやマスコミから大量の情報が流され、その多さにむせてしまいそうになるけど。
その情報の奥底に眠る「何か」がいつも頭の中を渦巻いています。

いろんな事柄が溢れ、目に見える部分に目を奪われてしまいそうになる。
でも、本当に大切なのは、その向こうにある目に見えない「何か」なんだと思う。
怒りでも悲しみでも喜びでも楽しみでもない。。。その向こうにある「何か」。。。

その「何か」を問う為に、今があるんだろうとそう思う。
その「答え」なんて、出るのかなって思うのだけど、でも、自分なりに答えを見つけていくことが大切なんだとそう思う。

「答え」は1つじゃないし、「真実」も1つでない。
万という人がいれば、万という「答え」や「真実」がある。

それで良いのです。
ジグソーパズルのピースが千差万別にあるのと同じように。
そして、そのそれぞれの形をしたピースが集まって、一つの絵を成していく。
テレビなどで流される「一つになろう」ってそういうことなんだと思ってます。

同じことをしたりすることでない。
同じ答えを求めることでもない。

それぞれが、それぞれの役割を自覚し、あるがままの生き方をしっかりとやって、今を生きていけばいいんだと思うのです。
それが大切だと思うのです。
そして、そのことをお互いが認め、受け止め、許し合い、共に歩む仲間として自覚していけばいいんだと思うのです。
それが大事だと思うのです。

今まで、それを人々はやってきたのだろうか。
地球に住む、宇宙に住む一員としてやってきたのだろうか。

何かに急かされるように生き、何かに追われるように生き。
大切なものもことも捨て去って生きて来た。
いつも頭にあるのは、自分が完璧になること、自分が一番になること、自分が認められること。
そして、自分の周りに見えない壁や敵ばかりを作り出し、その人たちを区別し、蹴落として生きて来た。

そんな生き方ばかりしかしてこなかったから、今の出来事を産みだしたんじゃないかって、そう感じるのです。
蔑ろにしてきたから、今という時代を創りだしたんじゃないかって、そう思うのです。

「全は個にして 個は全なり、個は孤にあらず。」

その事を感じてきて、生きていないから、今の未曾有な状況を作り出したんだとそう思うのです。

これから何がおきたとしても、誰かのせいにはしたく無いし、誰かに求めたくも無い。
何がおきたとしても、自分がどう生きるかしかないのだと、、、、思います。
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2012年10月

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