生きるの最近のブログ記事

京都で車の暴走事故が起きてからなのか。
又は、どこかの市長さんのチルドレンたちが変な教育条例案をつくって騒がせたからなのか。

最近、障害をテーマにした記事など、色々と目にする事が多くなった様な気がします。
どれを読んでも思うのだけど、他と違う事がどうしてここまで人を色々な形で苦しめ追い詰めてしまうのだろうと感じてしまいます。

見た目がわかる部分での違いもそうだけど、発達障害のような目に見えない部分での違いもまた、誤解という形で、見た目の違い以上に大変な状況があるのかもしれません。
勿論、障害を持つ持たないに限らず、ほとんどの人がどこかしら「他と同じであること」を願っているのかなって思うし、そうでなければならないと感じながら生きているのかもしれません。

一つでも「違うこと」「劣っていること」があっても悪い事、いけないことの様に取り扱われる。
全てが「一般化」され、あたかも全てがそうであるかの様に扱われ、そこからはみ出たらいけないと言われる。
そんな世界に生きているんだとそう思いますし、本人自身もそうであると、どこかしら感じて生きてしまっているように感じます。

昔ほどではなくなったとは思うけど、今でも、障害を持つと、本人も、そしてその家族や関係者も世間の目というものが痛いほど、苦しめてしまう現実があります。
勿論、実際に何があったわけでもなく、意識的にではないのかもしれないけど、どこかしらそんな空気に包まれてしまっているのは確かだと思う。

私が小さい時もやはりそうでした。
人前に出ること、目立つことは避けていたし、迷惑をかけること、ましてや、学校でいじめにあうことすら、タブーの様に扱われていました。

 いじめにあう=迷惑をかける

だったから。
いじめた本人よりもいじめられた本人の方が風当たりが悪くなってしまうことも多くありました。

親戚の間でさえも、やはり、風当たりが悪い事もあります。
血が繋がっていたとしても、その血縁の中で障害を持った人がいるということは、親戚全員に迷惑をかけるのではないかという雰囲気にさせてしまうのです。
これも、実際にそういうことがあるわけでもないにしてもです。

だから、私も、そして家族も、大変な想いをしてきたし、隠れて生きて来たという所も多くあったように思います。
道の真ん中を堂々と歩けるようになったのは、つい最近です。
自分の障害について、話せるようになったのも、つい最近です。

ただ、私の家族は、障害に対して、前向きに捉えていた所もあったので、マシな方でしょうね。
追い詰められた挙げ句に一家心中なんて、ざらにあります。
新聞に載っている記事なんて、一例でしかありません。

それが現実だと思います。

5月24日の朝日新聞の朝刊に載っていた稲川淳二さんのインタビュー記事。
胸に迫るモノがありました。
手をかける前に我に返って良かったと思うし、さぞかし、苦しい思いを持って生きていたのだろうと感じます。

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記事は、こちらで読めます→コピー記事「( インタビュー) 障害者が生きる タレント・稲川淳二さん」
元記事(全文閲覧は有料です)→「最低の父でした」障害者の親・稲川淳二さんに聞く

誰もが違っていて良いんだ。
違いが宝なんだ。
その違いをお互いが認めあえ、許し合えることが素晴らしいんだ。
誰もが共に生きられる世界を創っていこう。

こんな世界なんて、夢みたいな話なのかもしれません。
遠い世界なのかもしれません。

でも、誰もがこう思える世界を創りたいのです。
その為には、どんな法律を作ったとしても変わらないと思う。
意識そのものを180度変えるには、法律ではかわらないと感じます。

こういうことが、現実に起きていること。
辛い思いを持っている人が、身近にいるっていうこと。

そのことを誰もが意識し、誰もが自分のこととして、考えないとならないと思います。

そして、「差別は被差別者の意識からも産まれる」というのも確かで、本人や家族達の心からも「違う事への劣等感」を手放していかないとならないと感じます。
心に傷があると、なかなか出来ないことだと思うし、どうして抱え込んでしまいがちなのだけど。
でも、本当に今を変えるなら、必要不可欠な事だと思うし、もし、傷があるのなら傷があるで「傷がある」と正々堂々と言ってしまうこともある意味、必要なのだと思うのです。

違っていていいのです。
差があっていいのです。

違うこと、差があることが、悪いわけでもなく、問題があるわけでもなく。
その違いや差を認められないことが問題なのです。
悪いことだと、問題だと思ってしまうことが、おかしいのです。

同じでなくていいのです。
同じにしなくていいのです。

「障がいを生涯かけて生きる。それが私の役目であり、それが生きる目的。」


私が講演でいつも使っている決意の言葉。

そのことをちゃんと伝えられる自分でありたいし、そういう自分になりたいと、最近、さらに強く感じているこの頃です。


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3月10日は、東京大空襲のあった日。
そして、3月11日は、東日本大震災の日。

この土日は、命について深く考えられる大切な日になりますね。
皆様、いかがお過ごしでしょうか?

5日~8日まで、入院していました。
一昨年に入れたボルトを抜くために。
6日に手術を受けました。
この2年間で、何回目の入院と手術なんだろう。。
我ながら、すごい2年間だわ。。。

特に、痛いとかいう事はなかったので、本当は、今年の後半ぐらいにって思っていたのだけど、整形外科の先生が春から北海道の系列の病院に転勤になってしまうので、自分の事を良く知っている先生にやってもらった方が良いということで、前倒しになりました。

一昨年の10月始め。
足にボルトを埋める事になったのは、手術中の事故。
手術中の体位変更の時に、無理に動かしたため、右足付け根、大腿頸部を粉砕しました。
骨形成不全症という元々あった病気もあったので、当時の診察では、骨折部は二度と接合しないだろうと言われてしまいました。
最悪、右足が壊死、切断の可能性も有りと。
どうなるかわからないけど、やるだけやってみようと試みた接合手術。
その時に埋め込んだボルトが80mmと75mmの2本。

今回は、その手術後に入院した病棟に入りました。

いや・・・全然、覚えてない(笑)
担当になってくれる看護師さんがそろって「お久しぶりですね。覚えていますか?」って言われるんだけど、見事な程に空白状態でして。。。。汗

あの時は、何が起きたのかわからず、受け止められない現実と、事故を起こした担当医に対する恨みと、そのせいもあったのか、手術後直後から食欲がなくなり、腸閉塞のための激痛で。。。。まともな神経じゃなかったし。。。ねぇ。。。

ということで、はじめて入った病棟のようで新鮮でした(笑)

今回は、かなり元気な状態での入院だったので、暇で暇で。
こういう入院もあるんだなってそんな風に思ったり。

順調な状態で、6日の手術を迎えました。

部分麻酔でOKですよ、って言われていたけど、結局、全身麻酔になり、いつものように大変だったそうで、手術は15分で終わるような簡単なものだったのだけど、麻酔関係で2時間ぐらいかかってしまって、結局、2時間ちょっと手術室に入っていました。

全身麻酔は、寝てしまえるので、楽ではあるんだけど、導入時は何度味わっても気持ち悪いですね。
周りの人の声や存在がどんどん遠ざかっていく恐怖にも似た感覚。
覚醒時は、「すっきりした」さわやかな感じがして、良いんだけど。

ということで、何とか無事に終わって、6日の術後と7日の午前中はベット上安静。
7日の午後から歩きはじめ、夕方には病棟一週して、看護師さんをビックリさせました(笑)
前に入ったときは、寝たきり絶対安静再起不能状態だったから、看護師さんはその時の私しか知らないし。。。そのビックリする姿を見ると結構快感です(唯一の楽しみ)。

7日から始まった食事も美味しく頂けたし、手術後の痛みも薬を使わずでも過ごせるほどで特に問題なく、ちょっと微熱があったぐらいで感染症の問題もなく。
いや、、、点滴や心拍計、動脈血酸素飽和度の計測器は、元気な時は、ほんとジャマだわね。
動きづらいし、付けただけで、まるで重病人だし。
尿管ドレーン(尿を排出して袋に貯める管)は術後問題なしで、つけなくて済んだけど。
ということで8日の朝に検査して問題なし。
点滴など全て外れ、昼食後、退院となりました。
抜いたボルトはもらってきました。
思っていた以上にでかかったけど。
2年間、私の足を守ってくれたボルトですから、ある意味、大切なお守りです。

入院期間が短くて良かった。
もう、それが一番でした。

事故そのものが、1泊2日で退院出来る簡単な手術中に起きたので、また、何かあって何ヶ月も、、、なんて怖いなぁ、、、って思ってしまっていたり。。。そういう恐怖があったりし、日が近づくにつれて、胸のあたりがわさわさしていたけど。
でも、何でも無くて、ほんと、良かったです。

入院期間中に、沢山の「いいね」やコメント。
本当にありがとうございました。
入院中、そのコメントや「いいね」の数々がとても励みになりました。
退院の時のコメント。
ほんと、退院できて良かったなって反芻も出来たし、喜びも倍増でした。
皆さんのおかげです。
ありがとうございました。

これで、22日に無事に抜糸できれば、事故関係の治療は全て終了。
それまで感染症とかが怖いので、無理しないで安静でいきます。
ボルトが抜けた分、大穴が空いている状態なので、それが埋まるまで、怖いしね。
人工肛門と右足が曲がらないのは、大切に抱きしめて、一緒に生きていかないといけない話だし、
これらは、ゆっくりと付き合って、仲良くやっていきたいとそう思います。

やっと、次のステップに立てたような感じです。
生かされた命。
新たに与えられた自分への役割。
その全てをしっかり噛み締めながら、少しずつ、前に歩んで行きたいと思います。

ほんと、よかった!
ほんと、ありがとう!
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あけましておめでとうございます。
2012年があけましたね。

毎年、年末年始になると「来年の今頃は何をやっているんだろう」って常に思うのですが、去年、一昨年ほど、予想を大きく覆す程の事が自分の身にも周りにも降りかかり、無事に年を越せる事自体、奇跡なんじゃないだろうかって思う様になりました。
二十歳前後や学生だった頃・・・自分自身に対し希薄さを感じていて、「来年は死んでるかも」とか「死んでてもかまわない」なんて思っていたりもす るけど、意外に、こういう事ってあり得る話であり、そう自分の心に刻みつけて置く事も、今を生きている事への有り難みを知るという意味で大事なんじゃない かなって、今更ながら思っています。

だから、「あけましておめでとう」もそうだけど「あけてくれてありがとう」でも良いのかなって感じている今日、この頃です。

元旦初っぱなから、あちこちで中規模の地震が起きているし、今年も波乱が起きそうな予感。
スピリチュアルな世界では、アセンションの年だのマヤ歴がどうのだの言われていたりもするしね。

だからこそ、「来年には・・」なんて遠い先の事ではなく、今日、一日、今、一時を深く刻み付ける様に、自分として周りにも自分にも影響を及ぼせる人間として、しっかりと生きていきたいとそう思っています。
アセンションの話も「アセンションが起きる年だからしっかり身構える」という受動的な話ではなく「1人1人が一時一時を動いて行くことによってアセンションを起こす年」という能動的な話だと私は思っているしね。

この1日、自分1人の想いや行動こそ大事にして、今を愛おしく笑って生きていられるよう生きていきたい。
そして、そう思えることこそ、ありがたいと感謝して生きていきたい。

結局、来年の今頃なんて、その一日一日の積み重ねでしかないのだから。
そういう毎日を生きていれば、来年の今頃もきっと笑っていられるし、無事に年を越せるんだと、信じて生きていきたい。

今年に限らず、毎年、言っていることかもしれないけど。
そんなことを、いつになく感じて、思って、生きていける1年でありたいです。

そして、その想いが周りにも共鳴し拡がっていけば良いなってそう思っています。
皆さんにも幸多い笑顔の日々がありますように、今を共に歩んで行けたら、私は幸せです。
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12月18日。
無事に退院して、自宅に帰ってきました。
術後2~3週間程度は入院とは聞いていたので、ほぼ予定通りか少し早くに帰れました。
今は、ホッとして、なんだか気が抜けたようになっています。
入院疲れっていうのがあるらしいけど、それでしょうね。
本当にホッとしました。

去年10月につくった人工肛門(ストーマ)の調子が悪く、ストーマと一緒に腸が20センチ近くも脱出している状態になっていました。
痛みも日増しに酷くなり、動くのもやっと。
半年近く、手術を待たされましたが、やっと、やろうと主治医が言ってくれました。

本当なら11月29日に入院開始、12月1日に手術だったのだけど、病院から連絡がはいり、早まりました。

11月26日に前倒しで入院開始。
朝の10時に受け付け。

去年10月から2月まで入院していた病棟なので、私の状況をしっかり把握してくれている看護師さんがほとんど。
そういう点ではかなり気楽でした。

「大変でしたね・・・」
「今回こそ、うまくいきますよ」
「大丈夫。安心して下さい。頑張りましょう」
って言ってくれて、ホッとする。

「元気でした~??」ってクラークさん(看護師ではなく事務方の人)にいきなり言われた時には笑ったけど(笑)
周りの看護師さんと爆笑。
元気じゃないから再入院したんだしねぇ、、、汗

入院開始すぐから、いきなり手術に向けての準備が急ピッチに始まる。
点滴が開始したり、食事も重湯などの流動食になったり。
全てが駆け足で過ぎていきました。
手術前日は下剤2リッターは、さすがにきつかった・・・。

手術日当日。
13時開始でしたが、前にあった手術が長引き、待たされる。
手術の順番を待つ間は、周りに心臓の音が聞こえそうなぐらいドキドキで待っている時間が何とも言えない気持ちで精神的に落ち着かせるのも精一杯でした。

そして、自分の番になり点滴で鎮静剤が投与。
ストレッチャーに乗せられ手術室へ。
手術室に向かう天井の明かり取りを何度見たっけ。。。
その時、その時、違う思いで見ていたななどと、変に感傷的な気持ちになる。

何度も見た手術室に入り、手術台に移る。
手術室には、かすかなクラシック系の音楽が流れている。
麻酔科の先生とのやりとりの後、心電図などの機械がいろいろと付けられる。

もう4度目なので、麻酔科の先生とも顔見知り。
「今回もお願いしますね~」などと笑いながら言い合っていたりしたけど、緊張感はさらに強まっていく。

前回は、腸閉塞の為、ガスが逆流し、胃液をおう吐の恐れもあったので、麻酔をかける前に気管挿入。
1時間も苦しめられる。

今回は、絶食していた為、その恐れもなかったので、いきなり麻酔を投入してくれて、一気に意識がなくなっていく。。。。
後は、空白。

途中、「武市さ~ん。ちょっと起きてください!」って、一回だけ起こされる。
「どうだ?痛いか?」って主治医に聞かれ、「お腹がギリギリ痛いです」って応えたら、「そっか。じゃ、やっぱりもう一度麻酔をかけるから寝てていいよ」と言われ、また、意識が遠のく。

次に目が覚めた時は、既に朝でICUの中でした。

16時に始まった手術は、予定よりも2時間オーバーの5時間以上。
21時過ぎまでやっていたそうです。

1.ストーマと一緒に20cm近く飛び出した腸をお腹に戻す。
2.お腹に戻らなかった大腸と小腸の一部を切り落とす。
3.大腸と小腸を繋ぐ。
4.小腸の途中を左側に引っ張り上げ。
5.ストーマの左側のお腹に形成。
6.腹圧を抑える為に、腸を移動。
7.また飛び出さないように腸の一部を腹膜に縫い付ける。
8.縫合。

事前に、内容は聞いていたけど、改めて羅列すると、卒倒しそうな凄い内容。。。
主治医の腕の良さや最先端の医療技術が発展したお陰とは言っても、やっぱり、生きて目が覚めただけでも奇跡かもしれないと感じてしまいます。

ICUで目が覚めたのも4度目だけど、何度目であっても「生きてた・・」っていう安堵感に包まれる。
これは体験した人でないとわからない気持ちかもしれません。

6時ごろに看護師さんに起こされ目が覚めた瞬間からリハビリが始まる。
呼吸の仕方から始まり、身体を少しずつ動かし。

「痛み止めをガンガン打ってでも、動いてください」

今は、安静ではなく、こういう感じですぐに動かすんですね。
お昼頃には、車いすに乗っていました。

主治医からは「数日はICUだから」って言われていたけど、呼吸器、循環器の状況も良好で、車いすにも乗れたので、半日程度で一般病棟へ。
(一般病棟の看護師さんには、さすがに驚かれたけど、笑)

後は、毎日、毎時間が闘いでした。

前は、いつゴールが見えるか全くわからず、何もかも手探りで、その分、時間的には余裕があったのだけど、今回はゴールが見えている状態。
そのゴールに向けて毎日のスケジュールをこなし一気に走り続けて行く。

完全に焦りばかりで、余裕は全く無し。

これでいいのか?
この先、どうなるんだ?
大丈夫なのか?
こんなんでよくなるのか?

などと、精神的にかなり追い詰められて大変でした。
最初は4人部屋の病室だったけど、さすがに精神的に限界で、両親とも相談して途中から個室に移動させてもらいました。

それから幾分か気持ち的にも余裕が出て、良い形に歯車が回っていったという感じです。

飲まず食わずの数日。
痛み止めを打ちながら、シャワーなどの処置や歩行訓練。
痛み止め自体もきつくて、意識がおかしくなって、幻覚が見えるし。。

でも、なんだかんだと時は流れ。
術後3日後から飲料開始。
術後5日後から流動食開始。
少しずつ形があるものへの食事と変わっていく。

やっぱり、口から摂取すると気持ち的に変わっていきますね。
特に、歯ごたえがある食べ物になった途端、すぐに元気になった様な気がします。
点滴も外れ、食事量も増える。
歩行距離も、最初はナースステーションまで歩くのものやっとだったのに、病棟半周、一週、二週と日増しに増えて行く。
食事が一般食になった頃には、病棟を1日に10週ぐらい歩いていました。

入院生活の最後の1週間は、ストーマの装具選定と耐久力テストでした。
前は、上行結腸ストーマ(コロストミー)でしたが、今回の手術によって小腸ストーマ(イレオストミー)になり。
装具の種類もメンテナンスの方法も変わり、すぐに漏れ出したりして、なかなか適した装具が見つからず、大変でした。

ストーマ専門の看護師さんと色々と相談して、何とか装具を見つけることができて、退院日が決定。
入院から3週間で他院出来ました。

なんか怒濤の様に過ぎていった3週間。
病人なのに、忙しかった。

やっぱり、それなりに大変で、今もまだ「術後」の期間ではあるので、安静にしつつ。。。という感じではあるのだけど。
でも、手術をして良かったってそう思っています。

半年間、手術をやるのやらないのってイライラしながら待っていた状態で、一進一退どころか、日増しに悪化させていったので、先が見えず。

術後、以前のような症状もなく、このままで推移していけば、かなり、前に進められる。
正直、本当に怖かったけど、再手術をして良かったとそう今は思っています。

怖がって、地団駄を踏んでいるよりも、やっぱり、やってみないと何事もわからないですね。
何事もムダはないだろうし、何事も良い方向に進んでいるんだと信じて前に進んでいくことは、大切だなってそう思います。
今回の手術は、前例もほとんどなく、主治医も手探り状態であったのだろうけど。
同じ状況で、苦しんでいる人たちがいたとしたら、私と主治医の方々が挑んだ事が、少しでも他の人たちの希望になればいいなとそう思っています。

再手術を引き受けてくれた主治医や看護師にも感謝ですし、それを後押ししてくれた両親にも感謝ですし、励ましの言葉などで支えてくれた皆さんにも感謝ですし。

やっぱり、1人では生きていないんだなって改めてそう思います。
支えられて生かされた命。
大切にして、これからも生きていきたい。
焦らず、何年もかけるつもりで、ゆっくりと歩んでいきたい。
そう感じています。

命のことを改めて感じられた3週間。
この3週間を見守り応援してくださった皆様。
本当にありがとうございました。
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10月20日になりました。
皆さんのおかげで誕生日を迎えました。
39歳になります。
既にお祝いのメッセージを頂いております。
本当にありがとうございます。

色んな人に励まされ、支えられた1年でした。
みんなからもらったいろんな言葉、いろんな想い。
その数々の全てを改めて大切に感じています。

本当に多くの人たちの姿に深く感謝できた1年でした。
ありがたい1年でした。
たぶん、今まで経験がないぐらい、沢山の人から沢山のエネルギーをもらった1年だったと思います。
人の存在が、本当に愛しく、ありがたく思ってしまう毎日。
関わってくれた全てに、本当に、本当に、ありがとうございます。

自分という人生において、今までに全く経験したことの無いぐらい濃い1年が過ぎ去りました。
毎日が精一杯で、毎日が大変で。
辛抱すること、我慢すること。
そのことで頭がいっぱいで、あっという間に月日が流れていきました。
改めて本当に凄い日々だったなって思います。

去年の誕生日は、まだ、手術の痛みと闘っていました。
痛み止めが効いているんだか効いていないんだかよくわからず。
もうろうとした1日を過ごしていました。

そして、誕生日の日に、手術後、初めて食べ物を口にしました。
重湯(固形物が入っていないほとんど水のおかゆ)を口にしました。
それまで、一ヶ月近く、食べ物を口に出来なかったから、何も味の無い重湯であっても、格別に美味しかった記憶があります。
口から食べられるって、本当に大切だし、こんなに嬉しかったことが、今までになかった気がします

あれから1年。
未だに動くのもやっとで、会社以外は、家で寝ながら過ごすことの多い日々。
今まで頑張って来たのに、自分が何をしたっていうのだろう。
なんでこんな大変な日々を過ごさないとならないのだろう。
どうしてうまくいかないんだろう。
なんでこんなになってしまったのだろう。
そう思ってしまうことも正直あります。
あの時、こうしていれば。
こんなはずじゃなかった。
そう感じてしまうことも沢山ある毎日を過ごしてきたことも事実です。

そんな風に過去のことを色々と思ってしまうことも多々あるけど。
でも、過去をどう恨んでもどう足掻いても変わらない。
大切なのは、過去に何時までもしがみつくことではなく。
今、この時をどう想い、どう生きるかなんだろうなって思っています。

今という時をを支点に、今、感じること。

今まで生きて来て、色々なことがありました。
楽しいこともあったけど、悲しいことも多々ありました。

でも、楽しいことも悲しいことも、それらの全てが、今の自分を創造っているんだと。
沢山の経験も、感情も。
沢山の出逢いも、別れも。
今の自分にとっては、かけがえのない人生の1ページだったのだと。。。。そう思えるのです。
どのページも、ムダがなく、大切な1ページで。
だからこそ、どれも消せないし、否定もできないし。
どれも、愛おしく思える1ページなんだと。。。。そう思えるのです。

昨日、病院に行ってきて、これからの方針を決めてきました。
でも結論に至りませんでした。
人工肛門の現在の状況自体、文献にも載っていない症例で、主治医も、他の先生でさえも、答えが出ませんでした。
主治医が学会とかに足を何度も運んで、権威のある他のお医者さんとかにも相談しにいったそうですが、その方でさえも、症例を聴いて、無言のまま、立ち尽くす状態。
リスクが大きすぎて、どうすれば一番いいのか、よくわからないそうです。
再入院、再手術、そして、退院後。
果たして、うまくいくのか。
どんなゴールが待っているのか。
頭の中で、先のことを考えすぎると、不安には思うことは沢山ありすぎです。

でも、心のどこかで、未来のこと、そして、周りのことをちゃんと感じ。
「きっと、自分を安定な場所へ運んでくれる」と信じ、これからもちゃんとやっていけるんだと信じ、どっしりと腰を落ち着かせている自分もいることは確かです。

未来や希望を信じるという気持ち。
そう感じられるのは、きっと、過去の経験や体験が、自分を成長させてくれていたからなんだって。
過去に起きたことは、きっと、今起きていることへの心構えとして準備してくれていたんだって。
人生という旅の途中で困らないようにと、きっと、用意してくれていたんだって。
だから、どれも、欠かすことの出来ない、大切な1ページなんだって。
そう思えるのです。

産まれる前に、人生を選んで来たって、よく耳にするけど。
今ここに、この姿でいる自分が在ることもまた、産まれる前に選んできたんだろうなって思うし、約束されたことなんだろうなって、信じています
そして、数年後には、今の状況もまた、愛おしく思える大切な1ページとなり、そのページに書き込まれた経験の全ては、自分にとって、かけがえのない宝物になっていくんだろうなって、信じています。

見えない世界が見える友人に、「あなたは愛を伝えるために産まれて来た」って言われたことがあります。
本当にそうならば、今のこの状況も、その一つの糧になっているんだろう。
その使命を果たすために、今、生かされ、生きているんだろう。
私は、そう信じているし、いつも、そのことを心に秘め、生きていきたいって。
改めて思っています。

そして、多くの仲間たちに出会えたこと、多くの人たちに支えられたこと、その全てが、自分へのメッセージだと受け止めています。
その多くのメッセージを生かし、少しでも多く還元していくこと。
それが、私の役目なんだと。
改めて感じています。

今まで、自分に、いろいろな経験をさせてくれて、本当にありがとう。
そして、これからも沢山の経験を、どうぞ、よろしくお願いします。

自分の為に、そして、みんなの為に。
過去に感謝して、今という時を、これからも生きていきます。

光を目指して。
光になるまで。

これからも、一歩一歩、今を生き、歩んでいきます。

KOKIA moment~今を生きる~ 特別バージョン
http://be-smile-presents.net/stream/nipopo.html


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もう、10月ですね。
なんか1年が過ぎるのが、やたらと早い気がする。
別にこれと言ってやることが沢山あって忙しくてしているわけではないんだけど。
今は、1日、1日を生きていくのがやっとなのか、とても、早く感じてしまっているのだと思う。

去年の10月。
今思うと、生涯、こんな事が一変に起きるのかっていうぐらい大変だった月でした。
一気に色んな事が起き、無我夢中。
何が起きたのかわからず、対処するのが精一杯。
そんな感じでした。

9月半ばに悪化した腎臓にカテーテルを入れるために10/4に再入院。
10/5に手術。
入院する期間も2泊3日で終わるっていう簡単なものだったのに・・・。

手術が終わって麻酔が切れると、右足付け根に何とも言えない激痛。
悲鳴とも怒鳴り声とも言えない言葉を発した自分。

手術中、なかなか通らない入らないカテーテルに焦り、麻酔で意識がなくなっている私の体位を無理に変える。
その為に、付け根に負荷がかかり過ぎた。
右足大腿骨頚部を骨折。
ほとんど粉砕骨折に近かった。
絶対安静状態。
そのまま、ICU行き。

このままでは、足が腐り落ちるかも知れないと、整形外科の医師に言われる。
10/7。
偶然にもたまたま開いていた手術室に直行。
一か八かで、骨をつなぎ止めるための再手術。
ボルト数本をガンガンいれて、何とか成功。

なんとかつなぎ止めたが、今後、再生するかわからない状況。
今後、寝たきり、もしくは、どんなに良くても、車いす生活になることを覚悟するように言われる。
社会復帰は絶望的かもしれない。。。明日、どうなるかわからない不安な毎日を過ごす。

絶対安静で動かせない身体。
寝返りも身体を起こすことも出来ない。
次第に、食欲が激減する。

内蔵の動きまでもおかしな状態になる。
たぶん、今までも病気を抱えていたのだろうけど、絶対安静の為、悪化させたのだろう。
10/14の朝方、お腹が異常なまで膨れ上がる。
そして、腸閉塞。
もう少しで破裂しかかっている可能性大と言われ、10/15の夜、緊急手術。
腸は破裂寸前までになっていて、大量出血。
しかも、癒着などが激しく、大手術となる。

どうしようもない状況に陥ったが、予定よりも違う方法で、何とか、人工肛門を付けて難を逃れる。

これにより、何とか生き延びられた。

だけど、10月中は、生きている心地がしなかったのも事実。
そして、不安や恨みなど、ネガティブな様々な感情が渦巻いていたのも事実。

自暴自棄になっていてもおかしくなかったなって、今更ながら思う。


人工肛門の手術の後、麻酔から覚めたとき、何とも言えない、開放感の様な感覚は今でも覚えている

それまで、家族や事故を起こした担当医にどうしようもない怒りの様な気持ちをぶつけて泣いたことはあったけど、それぐらいで、表には感情を出さなかった。
でも、内心「なんで、私がこんな目に遭わないとならないのだろう」と、何とも言えない憎悪との葛藤が酷かったのは確かだった。

ところが、人工肛門の手術から帰ってきて全身麻酔から目覚めた時、「これで良かったんだ」っていう言葉が急に心の中に浮かび、憎悪から解放せれたような。
フッと心が軽くなった感じがしました。

さすがに10月中は、何度となくゆれ戻しでネガティブな気持ちとポジティブな気持ちを激しく行ったり来たりしていた。
けど、11月に差し掛かると、次第にフラットになっていった。

フラットになった後は、いい方向へ一気に事が進んでいった。

一生寝たきりかもしれないって言われていたのに。。。。

付けられていた様々な管がはずれ。
寝返りができるようになり。
上半身を起こすことが出来るようになり。
リクライニング式車いす(寝た様な状態に出来る車いす)へ乗れるようになり。
全身浴できるようになり。
リクライニング式車いすではなく普通の車いすでも座れるようになり。
車椅子を自分で動かせるようになり。
立ち上がることが出来るようになり。
歩く訓練ができるようになり。
歩行器移動ができるようになり。
杖であるけるようになり。
自立行動ができるようになり。

2月11日に退院。

やっぱり、治りたい、動けるようになりたい、っていう本人の気持ちは大切なんだって、そう思う。
そして、その気持ちに応え、諦めずに支え続けてくれる周りのサポートがあるから、ここまでやってこれたんだろうなって、そう思う。
歩みが遅くても、何年かかったとしても、諦めない心。
その気持ち。
本人、そして、周り次第で、奇跡って起こせるのかもしれない。
そう思うのです

医療事故でこうなったせいもあってか、看護師さんや担当医に何度となく、「恨んでませんか」って言われる。
でも、「恨んでない」ってはっきり言ってきた。
恨むぐらいなら、そのエネルギーを治す方に変えていきたいし、そのエネルギーがあるなら、治ることも可能だと思っていたから。

医療事故ってなると、色々と裁判沙汰になるけど、そんなことをしたところで、前の自分が帰ってくるわけではないし、そんな過去の事にしがみついていても、何もならない。
だったら、前に行きたいって思うのです。
だから、事故とも思っていない。

でも、そう思っていられるのも、周りのサポートがあったからなんだろうなって思う。
事故を起こした主治医は春に他の病院に移動になったけど、それまで投げ出さず、逃げ出さず、親身になってしっかりケアーしてくれた。
関わってくれた他のお医者さんや看護師さんやその他病院関係者の皆さんには、大切にしてもらった。
そして、今も、一番に気にかけてくれている。
そんな中で、恨んだり、訴えたりする気持ちなんて、私には到底出来ないなって思う。
本当にありがたい。


でも、身体の方が気持ちに追いつかず。
やっぱり、無理があるせいか、11月に再手術になりそうです。
人工肛門の状態が最悪な状況になりました。

人工肛門を作る時、普通、内臓の位置や筋肉の位置など、色々と計算しながら手術する。
でも、私の場合、緊急で、しかも、当初、人工肛門を付けようと計画していた箇所の腸は破裂していたから、作ることが出来ず。
急遽、別の場所に作ったというのもあって、やっぱり、維持するのは無理だったみたいです。
酷い時には、腸そのものが20cm近く身体から飛び出してしまっています。

こんな状態なので、再度、作り直すことになりました。


私の場合、手術はかなりハイリスクです。
麻酔をかけるまえに気管に管を突っ込んで、直接、肺に空気を送るのですが、頸椎が曲がっているので、管を挿しづらく、人工呼吸をはじめるつけるまでに2時間近くかかる。
そして、内臓の位置がかなりおかしく、密集していて、癒着も激しい。
前に破裂していた腸が今どうなっているかわからない。
など、色々とハイリスクをかかえているので、普通よりもかなり難しい手術。

怖いっていえば怖い。
不安っていえば不安。

だけど、このまま行けば、本当に寝たきりになるし。
同じところでジタバタするよりか、危険があったとしても、少しでも前に進めるのなら進みたい。

その気持ちのみで、再度、手術を受けます。
ここまでくると、藁にすがる気持ちに近いかな。。。

今年も10/20の誕生日のプレゼントが手術後最初に口にする重湯かなって思っていたけど(笑)
今年は誕生日の前後に手術日や手術方針など決定しそうです。

最近、10月って色々と忙しいことが多いけど、今年も慌ただしく過ぎ去りそうです。


病気になる前から、私は走り過ぎだって言われていたけど。
病気になっても走っているような気がする。

じっと待つ事が嫌いなんでしょうね。
じっと待って事が過ぎ去っていくぐらいなら、自分で道を切り開きたいってそう思ってしまう。
怖くても、不安でも、前に進むことしか頭にない。

でも、誰かがやってくれるなんて待っていても、最後に切り開くのは自分なのだから。
少しずつでも、立ち止まりながらでも、歩み続けていかないとならないんだってそう思って生きているのです。
どうせ死ぬなら、やることやってから死にたいって思うのです。

こういう性分なんだろうね。
死ななきゃ治らないと思う(笑)
でも、それならそれで、自分は、この性分をとことんまで生かして生きていたい。
そう思う。

孤独な生きもの KOKIA

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入院生活も4ヶ月目に入りました。
4日に病院に戻りました。
年末年始は家に帰れたので良かったけど、流石に長いっすね。(笑)

最近になって、主担当の看護師さんと話す機会があって、骨折前に何をやってきたかを話しました。いつになく熱く語ってしまった(笑)

会社に通っている傍ら、余暇は、啓発関係のボランティアをしていたこと。みんなと共に生きるために、そして、今、精神的に落ち込んでいる人たちに 向けて、生きて欲しいと願ってイベントを開催したり、自分でも講演をしたりしてきたこと。そのために、東京中を、関東中を飛び回っていたこと。満員電車も 平気で1キロ2キロなんて平気で歩いていたこと。色々と話ました。

思いっきり驚かれたし、最初は、信じてもらえなかったけど(笑)仕方ないよねぇ。「動かすな」って絶対安静で寝たきりしか見たことないし、杖でシャンシャン歩いているのを見たことがあるのは、主治医ぐらいだし。

骨折前と後でのこのギャップ。

前の日記を読んでくれればわかるけど、骨折した原因が原因なので看護師さんに「悔しかったり恨んだりしてませんか?」と心配されました。

私は「恨みや怒りのエネルギーがあるなら治すエネルギーに変えたい」って返事しました。焦りも含めてそういうエネルギーって病気を治すどころか病気を促進させるだけだから。

過去に起きたことをめげていても仕方ないからね。最初の頃はネガティブな想いが確かにあったけど、そんな想いは出し切ったら、とっとと受け止めて手放した方が自分にとっても気が楽だし、新たな生きるエネルギーに変換できると思うしね。

結局、「今」と言う時をどうやって捉えて、自分として「今」をどう生きていくか。周りに不平不満ばかりを言うことよりも、そのことの方が大切だと思うし、今までもそう生きてきたし、これからもそうやって生きていきたいと思う。

年末年始の一時帰宅の状態を今、色々と洗っていますが、基本的に良好で、だいぶ、ゴール地点が見え始めてきました。

退院も少し早まりそう。上手くいけば、今月末かなぁ。でも、焦りたくないし、一時帰宅で見えてきた問題点も色々とあるので、少しずつ歩んでいきたいと思います。

一時期は、起き上がるのも何時になるかわからなかったし、動けても車椅子がやっとだと言われていた頃が嘘のようです。

主治医や病院関係者には「よく頑張りましたね。あなたの頑張りの結果ですよ」って言われるけど、ここまで頑張れた原因はそんな自分を支えてくれる周りの環境のお陰だと感じています。

毎日来てくれ、私の憎まれ口も聴いてくれる(笑)家族もそうだし、主治医の皆さんやリハビリの先生やソーシャルワーカーの方や看護師の皆さんやそ の後ろで控えてくれる病院関係者の皆さん。そして、たくさんの励ましやメッセージを送ってくれたり、お見舞いに来てくれたり、温かい目で見守ってくれる友 人たち。なかなか仕事ができない身体なのに、毎週、お見舞いに来てくれたり、復帰するまで待っていてくれる勤め先の会社の皆さん。今の支えがなかったら、 頑張る意欲もなかったって感じます。

でも、実際にゴール地点が見え始めると、嬉しいのもあるけど、守られた環境から外に出ること怖さや今後の事への不安、それに入り混じって切なさや 寂しさもあって、複雑な感じがしますね。あまりに入院生活が長いとこうなってしまうんですかね。最初の頃は、病院にいるだけでも凹みそうだったのに。

でも、長くいる場所ではないし、支えてくれる方々の想いに応える為にも、恩返しするためにも、以前よりも元気な姿で退院して、社会復帰しないといけないって感じています。
しっかり生きないと。
しっかり歩まないと。

あと、少し。
頑張っていきま~す♪
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皆さま。
あけましておめでとうおめでとうございます♪

いやぁ...。
あけましたね(笑)

毎年、年末年始は、「来年の今頃は、自分は何をしているのだろう。無事に年を越せるのかな。」って思うことが多いのだけど、去年の今頃、こんな状態で年を越すなんて夢にも思いませんでした。

一時期は、年を越せないんじゃないかって思っていたのが正直なところでした。本当にそう思ってました。

でも、今、こうやって2011年を迎えることが出来たなんて、夢のようです。しかも、病院ではなく、自宅で家族といられるなんて。

おせち料理を食べました。お雑煮、美味しい~。お餅は、残ってしまうので、今はまだ止めていますが。
カニが美味しいっす。
豚の角煮、最高っす。
数の子、美味いっす。

で も、一昨日は、食べ過ぎたらしく、昨日は、お腹が痙攣起こして大変だったけど(笑)病院では準常食っていって、消化のいいのを選んでしか食べさせてもらっ てないので、急に美味しいものをたくさん食べたから、お腹がびっくりしたみたいです(笑)激辛のカレーを何杯もおかわりしちゃったし...。今は、おかげさま で調子が戻ってきました。

年末年始のテレビは最近面白くなく、見ないのですが、今年は家族と久しぶりに見てます。この時期にあるようなお馬鹿な番組をゲラゲラ笑ってみています。意外に面白い。笑うとお腹の傷とかまだ痛いんだけどね。でも、痛みをこらえながら、ゲラゲラと久しぶりに笑ってます。

去年の今頃は、年末年始もなく、イベントの準備をずっとやっていたように思います。今思うとその頃から少しずつ体調が悪かったなぁって思い出します。

30年以上の今まで走り抜いていた体調がココに来て一気に牙を向き始めていたんですね。年始いきなりの精神的なダメージも重なり、ボロボロでした。

でも、大きなイベントや自分の講演を数多く抱え、身体に鞭打ってやっていました。

誰のせいでもなく自分が選んだことなんで仕方ないんだけどね。やっぱり、身体の声をしっかり聴かないとダメですね。

他人の幸せも大事だけど、その他人の幸せのためにも自分の幸せをしっかり考えないとって、本当に反省することばかりです。他人に幸せを応援するためにも自分がそれ以上に幸せいっぱいでないと伝わる想いも伝わらないとそう感じます。

9 月から、病気が悪化。倒れて、色々とあって、長期入院となりました。始めは、悔しかったし、恨んだし、自分の不甲斐なさを責めたけど、今は、これで良かっ たんだって感じられるようになりました。良い機会になったし、こんな機会がなければ感じられなかったこともたくさんあったし、そのことにより、これからの 自分の立ち位置も見えてきたように思います。

今回の自分の体調のことで、皆さまには、色々とご心配をかけることばかりでごめんなさい。そして、こんな自分を支えて見守ってくれて本当にありがとうございます。

前 にも書いたと思うけど、今回、神様から頂いたその大切な機会を生かすためにも、今年は次のステップアップのための充電期間にしたいって思う。勿論、引きこ もるという意味ではなく、出来ることがあれば、皆さまの想いを応援していきたいし、出来ることがあれば、関わっていきたいと思うけど、あくまで、自分のた めを一番に考えて、自分の時間を大事にし、もう一度、自分を見直していくための時間に費やしていきたいと思います。

まぁ、まずは、この身 体を思うように動くようにしないとね(笑)どうにもこうにも、まだまだ動けないし、不便なことばかりだし。どこまで前に近い形まで戻れるかわからないけ ど、少しずつ、焦らず、自分のメンテナンス期間だと思って、大切に過ごしていきたいと思います。長い旅路。しっかり生きていきます。せっかく生きることを 選んだのだからしっかり生きていかないとね。



世の中も、目に見える形にしろ、目に見えない形にしろ、今、過渡期に入り、大きなうねりの中、大変なことばかり。笑うことも多いけど、泣くことも多いかもしれません。

感受性の強い人ほど、その波をもろに食らってしまいがちです。波を食らうと振り子のように同調し身体もそうだけど、心も大きく揺さぶられます。私ももしかしたら、知らず知らずにその波を食らったのかもしれません。

そんな時だからこそ、しっかり立って自分自身の胸の内に立ち返って、胸に湧き上がる波をしっかり見つめながら、共に分かち合い、共に手を取り合って生きていきたいと思います。

皆さまの元に、心に、幸せと希望と愛の花が咲き乱れる年でありますように。1日でも1秒でも多く笑顔で溢れる時が訪れますように。一人でも多くの人が生きることを選べますように。

いつも、自分を誰かを応援できる自分でありますように。


今年一年、共に歩んでいけることを嬉しく思います。

本当にありがとう。
そしてよろしくね。




さてと...、年賀状とかどうにかしなきゃ(笑)
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今宵は、クリスマスイブですね。
皆さんは、どのように過ごすのでしょうか?
テレビに映る街のきらめき。
綺麗ですね。

さて、明日のクリスマスに向けて、ちょっと早いクリスマスプレゼントがありました。


前にTwitterとかで、つぶやきましたが、一時帰宅(一時退院?)出来ることになりました。
さっき、主治医からも許可が出たので、おおよそ、オーケーだと思います。
多分、一時帰宅日は、26日ぐらいになります。
家で過ごせるのは、来年の3日ぐらいまでかな?

10月。
退院は何時になるかもわからず。

歩けなくなる。
車椅子に乗れるようになるかわからない。
骨が壊死するかも。

などと言われ、腎臓や人工肛門と色々と積み重なり、一時期は、絶望的でした。
でも、今では、前に近い形まで歩けるかもしれないと、希望的観測が次々と出てくるようになりました。
車椅子はもちろんのこと、歩く練習をしまくっています。

そして、今回の一時帰宅の許可。。。自分で言うのもなんだけど素晴らし過ぎです(笑)

さっき、主治医(例のきれいな女医さん、笑)がオーケーを言いに来た時、今までにないぐらいの満面な笑顔だったので、ちょっと面白かったです(良い意味で。今まで、事が事だけに、気むずかしい顔をすることが多かったので)。
リハビリの先生も「ここまで来て良かった」と言ってくれたり、看護師の婦長さんも「不屈の精神でやりましたね」と言ってくれたり。
病院側の方々も、嬉しく思ってくれているんだなぁって感じています。

絶望的に感じていた時は、何もかも嫌になってしまいそうだけど、前の日記で書いたように全ての想いを手放せた時、急に好転していったので、やっぱり、心と身体は、しっかり結びついているんだと改めて思います。


友人が、斉藤一人さんの言葉をまとめて、毎朝、メルマガにして送ってくれるのですが、今日の朝は、こんな言葉でした。

「小さな幸せを数えだしたら大きな安心が手に入った。手があって幸せ、足があって幸せ、今日があって幸せ。   ひとり

自分のないものを数えると不幸になります。
自分があるものを数えると心が豊かになって幸せになります。
目があって幸せ、手があって幸せ、足があって幸せ、命があって幸せ、ご飯が食べられて幸せ。ほら、これだけ幸せになった。」



本当に、そうだなって、この3ヶ月にもなる入院生活で、一番深く気が付かされた事でした。
前からわかっていたと思っていたけど、がむしゃらに動いていた時は、すっかり、忘れていました。
そんな大事な事を気付くために必然的にあった入院であり、そのことをわかったから、好転しはじめたのだと感じます。

そして、何度も書くようだけど、たくさんの人の繋がり、仲間の大切さを改めて、感じて止みません。

神さまは、いるのだと思う。
絶望の淵に立たされると、見失ってしまうけど、どこかで見守ってくれているんだと感じます。

クリスマスイブは、独り孤独に死を選ぶ人が多くいると聞きます。
世の中には、いろんな人がいて、今尚、苦しみと悲しみの中に浸りきっている人たちもいる事を知っています。
そんな人たちに「生きろ」は言わないし、生きていれば良いことがあるなんて、軽々しく言うことは、私にはできません。

ただ、そんな人も、誰でも、決して独りではないし、生きる選択肢を、必ず持っているはずだし、そのことを少しでも覚えていて欲しいと感じます。

人工肛門をつける時、私は、最初、拒否しました。
絶望的に感じて。
でも、そんな時に浮かんだイメージが、仲間たちとおしゃべりをし、笑いあっている自分の姿でした。
その時、急に安堵感が訪れ、「大丈夫」と思い、生きる選択肢を選びました。
あの時に浮かんだ多くの仲間たちの姿がなかったら、生きる選択肢を選ばなかったと思います。

これからどうなるかわからないし、ゴールはまだ遠い先にあるけど、あの時、生きる選択肢を選んで良かったと思います。

そのことを、しっかり感じながら、年末年始、家族とゆっくり過ごしたいと思います。
来年、再入院後の社会復帰へ向けての歩みのために・・・。


みんなにありがとう。
命にありがとう。
そして、生かしてくれてありがとう。

本当にありがとう。


まだ、早いのですが、全ての人たちに。
全ての魂に。

Happy Merry Christmas~☆

沢山の幸せがあなたの胸の中に見つかりますように...。

KOKIA 祈り

歌詞

KOKIA ぬくもり

歌詞
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みなさん
メールやメッセージ、コメントなど、沢山のお祝いを頂いて、とても、うれしく思います。
本当に、ありがとう。

本当は、一つ一つにお返事したいのですが、携帯を寝ながらだと、流石に疲れてしまうので、ごめんなさい。
全て読ませて頂きました。


私の38歳の誕生日は、流動食開始から始まりました。
生まれてこの方、誕生日に流動食を食べるなんて、想像すらしてませんでしたが。


でも、38歳を前にして死ぬ寸前だったことを考えると、無事に誕生日を迎えることが出来、そして、みなさんからのお祝いのメッセージを読むことが出来て、本当に良かったって思います。


色々と心配してくれて、本当にありがとう。

3度連続の手術を受けたにも関わらず、経過は良好で、順調です。だいぶ、固形物も食べられるようになってきたしね。

でも、長期戦であることには、変わりなく、前のようにはならないし、後は、上手く付き合っていくしかないのかなと思ってます。

一時期、悔しい想いとかで、ジタバタしていたのも事実だけど、最後の緊急手術を受けてから、なぜか、かなり精神的に安定してきて、今の現状を冷静に静寂に受け止められている自分がいます。
そういう想いを手放せたのかもしれません。

38歳の自分は、足を止めて、でも前向きにこれからの自分を見つめなおす時間に、あてていきたいって思ってます。そして、自分のために勉強なりなんなりしたいって思えるようになりました。

38年間...。特にここ十数年間は、前に行くため、上に行くために走りっぱなしだった気がします。だから、こういう静寂な時間はもてなかった。

だから、神様がわざと作ってくれたきっかけなのかなと思ってます。
まさに「降りてゆく生き方」ですね。
しっかし、余りに手荒いことをしてくれる神様なんだ(笑)

でも、これだけのショック療法でもしなければ、気がつかないぐらいにがむしゃらに動きまわっていた自分がいたのでしょうね。


どちらにしろ、せっかくの時間だし、のんびり構えて、やりたいと思っています。


最近、本の虫になってきたので、面白い本があったら教えてね。
っていうか買ってください(笑)
冗談はさておき、本当に、みなさんありがとう。
これからも、ゆっくりと見届けてくれたら倖わいです。
いつになるかわからないけど、新しい自分の姿で皆さんとお逢い出来るように、生きていきます。

ありがとう。
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