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広島原爆投下の日の今日。
高校の同期会でした。

もう、何年ぶりだろう。
高校OB、OG全体の同窓会の案内は何度か来ていたけど、ずっと欠席。
で、連絡しないまま、引っ越しとか繰り返していたら音信不通になっていました。
一昨年だったか、たまたま見つけた同窓会のWEBページに連絡先を送ったら、何とか繋がりが再開。

去年からの長期入院後、2月に退院。
震災などを経て何とか日常生活に慣れてきた頃、同期会の案内が来ました。

今まで、こういうのは乗る気がしなくて、欠席続き。
たぶん、小中高大とあわせて、こういうのに参加したのは、20歳の時ぐらいにあった小学校のクラス会ぐらい。
でも、今回の長期入院などの事があったせいか、自分を整理する意味でも過去の事もしっかりと自分の事として受け止め捉えていかないとって思うようになり、今回は参加を決意しました。

学生の時の自分って、講演会の原稿を考える以外で、わざわざ振り返る気にはなれず、避け続けていました。
高校の時は、ありがたい事にいじめとかは全くなかったし、親友と呼べる友達もいたのだけど、どこか遠い過去の様に、記憶の片隅に置き去りにしていました。

通っていた高校は、出来て10年も経たない学校で、色んな意味で斬新さがありました。
のびのびとした校風で、生徒の意見を比較的尊重してくれる場が多くあり、先生よりも生徒会中心の行事も活発だった記憶があります。

障がいのこともあって登校しやすさも含め色々な指導やアドバイスもあり、自分の成績よりも2ランクぐらい上を受験し、何とか合格して、この高校に入学しました。
当時は、私の住んでいた所の学区ではトップクラスの高校。
結局、その無理が祟ったのか、高校に入学した途端、成績は一気に落ち、落第寸前。
いつも、後ろから数えた方が早いぐらいの成績になっていました。
心に垣根を作って周りとも積極的に溶け込む事も、自分としてはあまりなかったように思います。
でも、周りについて行かないとならないわけで。。。。。必死になっていました。
そんな状態の中、思春期の心の荒れ模様と重なって、精神的にもかなり不安定。
学校では特に暴れるような事や問題行動はなかったと思うけど、外で抑えていた分、家では、無茶してました。

正直、高校の時の記憶が、すっ飛んでるし(笑)
完全に無いわけじゃないけど、濃い霧の彼方に霞む様な記憶しかないし。

今日、同期会に参加して、やっぱり、わからん(笑)
声をかけられて、やっとのことで記憶の片隅をほじくり返す。
必死。
ドキドキ、、、。
本当に余裕無かった~。

立食パーティー形式で、高校の時と変わらずに、どこか溶け込めず、ぽつんと独りでいる私。
そんな私でさえも声をかけてくれた人がいてくれた。
色々と話している内に、何となくその時の自分の姿を思い出し、「そんなだったかなぁ」と見えてくることもあって。。。良かったなって。。。

ボロクソな成績の事もあり、大学にあがるのも難しい状態だった私を、志望大学に直談判までして入学させてくれた担任の先生には、逢えなかったけ ど、(昔からやっていた山登りの日だったらしく。こういう所、昔から変わっていないかも、、)、他にお世話になった先生方に挨拶出来てよかった。
「N先生(担任だった方)と逢う度にいつも君の事を気にしていたよ」と言ってくれた。
なんだか、ホッとする瞬間。
先生も含め、クラスメートなどにも「元気そうでよかった。」「今、どうしてるの?」と声をかけてくれた。

あの空白だった高校時代もしっかり私の事を気にかけてくれたり、支えてくれていた方々がいてくれたんだなって改めて思って、嬉しかったです。

最後に、参加者一人ひとりが舞台に立ち、挨拶。
私も近況とか話す機会ができた。

結婚したり、子ども連れできていたり、お店をもっていたり、お偉いさんになっていたり。
先生方も定年されたり、未だ現役だったり。
同期生で亡くなった方もいたり、体育の先生とか他にお世話になった方も他界されていたり。。。。

二十数年という時の流れを改めて感じる時間。
こういう時間を感じる事も大切だなって思った一日。

多感だったあの時期は、自分にとっては暗い記憶に思えていたけど、それは自分勝手な思い込み。
明るい記憶だったんだって。
そして、あの時期があったからこそ、今の自分、今の生き方があるんだって。

今は本当にそう思います。

そんな事に気づけた同期会を設定してくれた幹事の皆さんに感謝です。
逢ってくれて、話しかけてくれた皆さんに感謝です。

行ってよかった。

ありがとうございました。
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みんなも飽きただろうし、たまには、自分の病気の話題以外も(笑)

今年もこの季節になりましたね~。
なにがって?
株式会社 アントレプレナーセンター主催の本家本元のドリームプランプレゼンテーションです。
http://drepla.com/


2010年の今年もJCBホール(12月11日に本戦)であります。
しかも、今年は予選会を含めて、丸々3日間。
毎年、規模が大きくなっていく(笑)

一昨年、去年と、見に行ったし、去年な友人たちが数多く参戦していたので予選会から観覧。
毎年、夢と希望が溢れ、それだけでなく、今の世の中に対してどんなことができるかを、自分なりに思い起こさせてくれるイベント。
感動しまくりで、終始泣きっぱなしでした。
(去年、一昨年の日記参照、笑)

今年も観覧しようと、ずいぶん前に、本戦だけ、早々とチケットを購入して、待ち望んでいたのだけど、今回の入院騒ぎで行けなくなってしまいました。


それに、今回は、大役をもらっていたのに...。

ずっと前にTwitterやmixiのつぶやきに、大発表を予告していたのですが...。
もう、みんな、覚えてないですよね(笑)


実は、出場することになっていたのです。

...へっ?
いや...、プレゼンターではなく、パートナーとして(笑)


上のドリプラのアドレス先の出場者リストに、清水由貴子さんがいると思いますが、その方のパートナーとしてです。


ドリプラは、出場するプレゼンターと二人三脚で、想いや事業内容を膨らまし、まとめ、夢の実現に向けて造り上げていくパートナーが必ず付くのですが、私に白羽の矢が当たったのです。

清水さん。
7月の企画書提出期限数週間前までドリプラなんて、まったく知らかった人でして(汗)

ナニメンさんと言う方が出てたらしいと言うことで偶々知ったドリプラの説明会に参加。
いきなり、燃え上がって、出場を決めたのです。


清水さん自身は、想いと愛に溢れ、数年前から某環境、平和NGOを通して知り合い、同郷だし同じ歳だし隣街の高校という繋がりもあり親友として付き合っていたのですが、提出期限間際で突然、この出場話を聞かされ、しかも、パートナーになって欲しいと言われ(笑)

パートナーに選んでくれた理由。
清水さんの直感(笑)
ドリプラに出ようと決意した時、真っ先に私の顔が浮かんだそうで。

それに、事業内容からして、私がやりたいと思い描いていたことに近く、リンクすることも多く、BeSmilePresentsとしてもお手伝い出来ることが多かったこともあり、すぐに快諾してパートナーとなったのです。想いを分かち合えるのは、清水さんと私しかいないと。


あと、数週間もない事業計画書の提出期限。
その頃、7月末のイベントが正念場だったし、体調も崩しかけていたしで、大変だったのですが、カフェなどで何度か会って、計画書作りのサポートをしてました。
知っている人も多いでしょうが(笑)、私の性格上、そういう時、妥協をゆるしませんので、これでもかというぐらいに口うるさく、ガンガンダメ出ししまして(笑)
清水さんも、しっかしと受け止めてくれて、負けじと応えてくれて、期限数分前に事務所直接持ち込みで計画書を提出できました(清水さんのこの粘り強い想いと根性は、やっぱりさすがです)

そして、8月はじめの結果発表。
プレゼンター20名に選ばれませんでした。


まぁ、プレゼンターの中には数年がかりであたためて形にしていっている人もいるし、まったくあてもなく、「ドリプラ」自身も知らない状態の人が出場出来るわけもなく、残念だったけど「来年に向けてやっていこう」って二人で誓い合いました...。


そんな矢先...。

9月半ば。
ドリプラ事務局から清水さんへ電話。

「プレゼンターの一人が出場できなくなった。清水さん、出場しませんか?」

清水さんの提出した企画書。
実は惜しかったみたいです。
最終選考まで残り、惜しくも落ちた一人だったらしく。
欠員も忍びないし、チャンスを生かして欲しいから是非とも出場して欲しいとドリプラ事務局から直々にお願いが入ったのです。

清水さん、出場即決(笑)
っていうか、あまりにも有り難い、そんなに有り得ないこんなチャンス、見逃したら罰が当たる。多分、神様から頂いた贈り物だし、お受けしたのです。


他のプレゼンターとは1ヶ月以上遅れたスタート。
しかも、出場者向けの合宿すら出ていない私たち。
途中からの参戦だけど、こうなったら全力で向かって行こう!!
と二人で決心した矢先...。




あたしは入院決定(笑)
しかも、今年いっぱい病院生活(笑)


申し訳ないっていうかなんていうか、どうしたものかと悩んでいたのですが。
時間外だったけど、夜、病院に来てくれて、色々と相談して。「申し訳ない」と私が口にしたら泣かれてしまい...。

同じく清水さんの想いに共感し、色々と手伝ってくれると約束してくれていたシンガーソングライターの二條容子さんがパートナーをバトンタッチしてくれることになり、お願いしました。
頼りになる方だし、信頼出来る方なので、安心してお任せしています。


と言うわけで、私は病院からの応援になってしまったのですが、絶対、大賞を取れるお二人だと確信しているので、清水さん、二條さんを知っている皆さんも応援して欲しいのです。
知らない方も、私の代わりに応援してあげて欲しいのです。
エールを送ってあげてください。
彼女の言う「無償の愛」に根ざした事業は、今、独り寂しく辛く生きる希望を失った人々に光を灯すと思っています。

皆さん、本当に、どうぞ、よろしくお願いします。
本戦は、当日券とかもあるようなので、お時間のある方は、会場までお越しください。

清水さんだけでなく、他のプレゼンターの方々も、世界に一筋の光を灯すべく、想いの詰まったプレゼンをしてくれると思います。色々なことも感じ、考えさせてくれますよ。

ベッドからの応援しか出来ないので悔しいですが、私の想いも届け!という感じで、本戦に、そして大賞に出られるように、祈り続けたいと思います。


清水由貴子さん
http://mixi.jp/show_friend.pl?&id=2691412
※日記にドリプラ出場のことが書いてあります。

二條容子さん
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=32900502
http://yokonijo.sakura.ne.jp/

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2日連続で泣きすぎだって、、、(笑)
年のせいか??(汗)

今日は、上尾まで『みんなの命の授業』を観覧しに行きました。
体調悪いって良いながら、1時間半以上かけて上尾まで行く私も私だが。。。
「なんで、こんな所にいるの??」と、会場に行くためタクシー待ちしていたら埼玉の友人に見つかり、思いっきり驚かれました(笑)

てな具合で、本当はスタッフだったのだけど、気遣ってくれてお客さんとして参加させてもらい、ゆっくりと見ることが出来ました。

絵本とかは知っていたのに、もう、号泣。。。
やばかった。
昨日の『宇宙の約束』の映画にも通じることもたくさんで、余計に身にしみてしまいました。

トークショーに朗読に歌に。
いのちって、当たり前のように思ってしまうけど、本当は桁外れの奇跡の積み重ねで今、ここにいるんだっていうことを改めて、想い、感じることが出来ました。
本当にありがたいなって、しみじみ、心で身体で感じていました。

ニュースとかで目を覆いたくなるような事件が多くあって、毎日の様に、尊い命がモノの様に簡単に扱われ、失ってしまっているけど、生も死も命も愛も、絶え間なく感じ、考え、想い、いつも身近に心通わせ、繋がり紡ぎあっていくことが大切なんだとそう思う。
大人も子どももみんな。
こんな時だからこそ、いつも。。。

そして、自分もその想いを伝え続けていけたらなってそう思う。
きっと、その為に、自分はこの身体で産まれてきたはずだから。

2日間。
体調悪い中でも、こうやって大切ないのちと愛の旅に出ることが出来てよかった。
ありがとう。
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