16日。
朝は普通に起きて、何事もありませんでした。
しかし、トイレに入ったとたん、お腹の中が嵐のようになり、激痛。
1時間、トイレにこもりっきり。
その後、何とか脱出。
寝ていれば嵐が収まるだろうと、そもそもの判断したのが間違いでした。
会社を休んで、寝ていても、痛い。
ずっと痛い。
トイレに1分おきに行くような始末。
でも何も出ない。
お昼過ぎ、さすがに白旗。
まずは、行きつけの病院の救急外来に連絡。
しかし・・・・泌尿器科の先生たち、全員が学会中で不在(学会と患者のどちらが大事なんだ、笑)
なので近くの救急外来のある病院を探すが、どれもこれも、断られる。
仕方なく、救急車を呼ぶ。
その時もトイレの中から出られず、何とかドアを空けた先に救急隊員。
いや、、、マジで天使に見えた(笑)
もう足腰立たない状態だったので、何とかストレッチャーまで背負って運んでもらい乗車。
そしたら、なんか安心したのか、少し気分が和らぐ。
母親は気が動転して、何をしゃべっているのかよくわかんない状態なので、細々と状況を説明。
一度断られた行きつけの病院に連絡を入れ、説明した内容で根気よく説得してくれて強引に搬送してくれました。
救急車なんて何年ぶりだろう・・・。
たぶん、会社へ行く途中、私の運転する車に後ろから追突された時以来か。。。
その前は、小さい頃、頭から落っこちた時。
病院についたら真っ先にICUに連れられる。
片っ端からいろんな装置を付けられ、レントゲンなど色々と検査。
一通り検査が終わった頃、担当医が学会から真っ先に帰ってきてくれて対応。
急激な腎臓や膀胱の状態変化は無いけど、痛みがひどいようなので、ということでHCUに移動。
そのまま緊急入院処置となりました。
入院生活1週間・・・。
携帯のできない環境で、こっそりと書き綴った日記にも書いてきたけど、長いようで短いようで。。。
関係者の方、規則違反をしてすいません。
いかんせん、寝たきりにさせられていたので、携帯だけが唯一の安定剤になっていたので。
骨形成不全という骨の折れやすい病気を持っていたので、骨折しては大変とベットから動くことを完全に禁止されてました。
トイレに行くにも必ず看護師を呼ぶように義務付け。
一週間の間、可能性のあることを人体に負荷のかからない順番でやっていったけど、結局、ダメで。
やはり、腎臓の腫れを取るために、10月の頭に予定していたカテーテル挿入を前倒しでやることに。
でも、これも失敗に終わり、10月4日に再入院して全身麻酔で再度、行うことになりました。
今は、薬で蹴散らしています。
要は、排尿異常なので、むくみ、だるさ、痛みなど大変だし、トイレの数も多い状態だけど、治るためにもなんとか乗り切らないとってそう思う。
結局、失敗に終わったんだけど、怒りとかそういうネガティブな感情があまり起きてない。
残念だなっては思うけど、なんか、変に受け止めている自分がいます。
今の痛みとかも、辛いのは確かだけど、仕方ないかって、、なんか、そんな変に冷静でいます。
その代わりに、有り難くも家族の方があたふたとしているけど(笑)
担当医も色々と悩んでくれて、土日祝返上して、他の患者さんよりも私の方を先に見に来てくれていたと聞いたし、色々と策を講じても改善せず、途 中、「ダメだったかな・・・」ってぼそっと嘆いているのを聞くと、それだけ考えてくれていたんだってそう思いたい(本当は患者のそばでそんな嘆きは言って はいけないんだろうけど)
入院してみると色々と見えてくるなって思う。
特にあるのが、身体が動くということもそうだけど、人という存在。
人の中で生きているんだなって、、、生かされているんだなって、そう思う。
それに、担当医にも言われたけど、「あなたは我慢しすぎです」と。
はい。
たぶん、自分の一番、悪いところですね。
白旗を揚げない。
ヘルプを出さない。
逃げない。
だから、余計に悪化させる。
何につけても、自分で解決しようとするクセ。
白旗を揚げれば見えてくることもあるのに、それをしない。
どうにかしないとなぁって思う。
それに医療の現場って、本当、大変だと思う。
24時間、休み無し。
次から次へと仕事をこなていく。
医療の問題とか、色々と言われているけど、この垣根の一部を見ていたら、看護する側も看護される側も、倖せで優しい医療を創ることは並大抵なことではないなってそう感じる。
体調は不安定だけど、頭の中は幾分元気なんで、考えること豊富なんで(笑)、思いついたら、書いてみたいと思います。
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朝は普通に起きて、何事もありませんでした。
しかし、トイレに入ったとたん、お腹の中が嵐のようになり、激痛。
1時間、トイレにこもりっきり。
その後、何とか脱出。
寝ていれば嵐が収まるだろうと、そもそもの判断したのが間違いでした。
会社を休んで、寝ていても、痛い。
ずっと痛い。
トイレに1分おきに行くような始末。
でも何も出ない。
お昼過ぎ、さすがに白旗。
まずは、行きつけの病院の救急外来に連絡。
しかし・・・・泌尿器科の先生たち、全員が学会中で不在(学会と患者のどちらが大事なんだ、笑)
なので近くの救急外来のある病院を探すが、どれもこれも、断られる。
仕方なく、救急車を呼ぶ。
その時もトイレの中から出られず、何とかドアを空けた先に救急隊員。
いや、、、マジで天使に見えた(笑)
もう足腰立たない状態だったので、何とかストレッチャーまで背負って運んでもらい乗車。
そしたら、なんか安心したのか、少し気分が和らぐ。
母親は気が動転して、何をしゃべっているのかよくわかんない状態なので、細々と状況を説明。
一度断られた行きつけの病院に連絡を入れ、説明した内容で根気よく説得してくれて強引に搬送してくれました。
救急車なんて何年ぶりだろう・・・。
たぶん、会社へ行く途中、私の運転する車に後ろから追突された時以来か。。。
その前は、小さい頃、頭から落っこちた時。
病院についたら真っ先にICUに連れられる。
片っ端からいろんな装置を付けられ、レントゲンなど色々と検査。
一通り検査が終わった頃、担当医が学会から真っ先に帰ってきてくれて対応。
急激な腎臓や膀胱の状態変化は無いけど、痛みがひどいようなので、ということでHCUに移動。
そのまま緊急入院処置となりました。
入院生活1週間・・・。
携帯のできない環境で、こっそりと書き綴った日記にも書いてきたけど、長いようで短いようで。。。
関係者の方、規則違反をしてすいません。
いかんせん、寝たきりにさせられていたので、携帯だけが唯一の安定剤になっていたので。
骨形成不全という骨の折れやすい病気を持っていたので、骨折しては大変とベットから動くことを完全に禁止されてました。
トイレに行くにも必ず看護師を呼ぶように義務付け。
一週間の間、可能性のあることを人体に負荷のかからない順番でやっていったけど、結局、ダメで。
やはり、腎臓の腫れを取るために、10月の頭に予定していたカテーテル挿入を前倒しでやることに。
でも、これも失敗に終わり、10月4日に再入院して全身麻酔で再度、行うことになりました。
今は、薬で蹴散らしています。
要は、排尿異常なので、むくみ、だるさ、痛みなど大変だし、トイレの数も多い状態だけど、治るためにもなんとか乗り切らないとってそう思う。
結局、失敗に終わったんだけど、怒りとかそういうネガティブな感情があまり起きてない。
残念だなっては思うけど、なんか、変に受け止めている自分がいます。
今の痛みとかも、辛いのは確かだけど、仕方ないかって、、なんか、そんな変に冷静でいます。
その代わりに、有り難くも家族の方があたふたとしているけど(笑)
担当医も色々と悩んでくれて、土日祝返上して、他の患者さんよりも私の方を先に見に来てくれていたと聞いたし、色々と策を講じても改善せず、途 中、「ダメだったかな・・・」ってぼそっと嘆いているのを聞くと、それだけ考えてくれていたんだってそう思いたい(本当は患者のそばでそんな嘆きは言って はいけないんだろうけど)
入院してみると色々と見えてくるなって思う。
特にあるのが、身体が動くということもそうだけど、人という存在。
人の中で生きているんだなって、、、生かされているんだなって、そう思う。
それに、担当医にも言われたけど、「あなたは我慢しすぎです」と。
はい。
たぶん、自分の一番、悪いところですね。
白旗を揚げない。
ヘルプを出さない。
逃げない。
だから、余計に悪化させる。
何につけても、自分で解決しようとするクセ。
白旗を揚げれば見えてくることもあるのに、それをしない。
どうにかしないとなぁって思う。
それに医療の現場って、本当、大変だと思う。
24時間、休み無し。
次から次へと仕事をこなていく。
医療の問題とか、色々と言われているけど、この垣根の一部を見ていたら、看護する側も看護される側も、倖せで優しい医療を創ることは並大抵なことではないなってそう感じる。
体調は不安定だけど、頭の中は幾分元気なんで、考えること豊富なんで(笑)、思いついたら、書いてみたいと思います。