2012年1月アーカイブ

「信頼の母に殺害された長男哀れ」 発達障害の長男殺害の母に懲役5年判決(産経新聞)2012.1.17

 昨年1月、東京都内の自宅で長男(4)の首を絞めて殺害し、長女(6)を殺害しようとしたとして、殺人と殺人未遂の罪に問われた母親(36)の裁判員裁判の判決公判が17日、東京地裁立川支部であり、毛利晴光裁判長は「犯行は執拗(しつよう)で残虐だ」として懲役5年(求刑懲役7年)の判決を言い渡した。

 判決などによると、母親は昨年1月12日、自宅2階の居間で長男を絞殺し、1階居間にいた長女の首を絞めたが、暴れて苦しむ姿を見て、かわいそうになり途中でやめたため、全治一カ月の重傷を負わせた。

 母親は検診で長男が広汎性発達障害と診断され、幼稚園の入園も断られて以来、悩んでいた。

 判決理由で毛利裁判長は「それなりに同情の余地がなくはないが、夫や親族などが近くにいて追い詰められた状況とまではいえない」とした上で、「信頼していた母親に殺害された長男は哀れで、命を軽視するにもほどがある」と述べた。

 公判で弁護側や遺族は「母親を刑務所に送っても誰も喜ばない。長女が母の帰りを待っている」などと述べ、執行猶予刑を求めていた。

 毛利裁判長は判決言い渡しの後、裁判員の言葉として、「罪を償い、(重傷を負った)長女にもきちんと謝った方がいい。子供をあやめたその手を今後は人を助けることに使ってほしい」と述べた。


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我が子を愛する所以、悲観的になってしまい、追い詰められる。

こういう事件は、未だに年に何回か新聞などで目にします。
ニュースにならない事件も含めると、もっと、あると思っています。
私の講演でも、みんなに考えてもらいたくて、別の事件の裁判記録を紹介しています。

障がいを持って産まれること。

これは、家族にとっても、まだまだ、大変な世の中です。
私の両親も大変な想いをして私を育ててきてくれました。

誰もが、意味があって産まれ、そこに存在している。
障がいをもって産まれたのも意味がある。

言葉にしてしまうと容易く感じてしまうけど、誰もが理解してほしい、わかって欲しい、大切な事だと思います。
そのことを理解できたら、誰にとっても、優しくあたたかい社会をつくれるから。

色んな意味で、社会構造自体がおかしくなっていて、根っこが絡み合い、難しい問題となってしまっているのだと思うけど、でも、そのことを広める意味で、私も存在し、その役目を果たすために、今、往かされているんだとそう感じます。

誰もがわかり合える。
わかろうとする世界を創りたいのです。
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阪神大震災から17年(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/guide/news/20120117_1442.html

ちょうど、この日。
私は、大学の卒論の提出日で、徹夜明けでした。
卒論を書き上げ、ホッとしてテレビのスイッチを点けた時に目にしたのは、倒壊したビルでした。

技術系の大学だったので、最先端の技術を勉強し、研究しまとめていた矢先だったので、技術ってなんだろう、大自然の前では最先端の技術なんて無力でしかないのかもしれないって、自問自答した記憶があります。

絶対なんて、何一つない。
当たり前なんて、何一つない。

東日本大震災の時にも痛感したこと。
だからこそ、尊い命というものを大切し、しっかり、生きていかないとそう感じます。

区画整理などが強行的に行われたせいで、弱者が切り捨てられ、未だに苦しんでいる人がいると聞きます。
被災された障がい者や被災して障がい者となった方々の存在すら、未だに把握しきれていない状況。
被災者の高齢化など、様々な問題もおきている。
誰にでも優しい街作りなんて言葉ではいくけど、根が深く、大変なことなんだと思うし、行政単位というハード的なことではなく、個人個人というソフト的な深い繋がりをどう作っていき、保っていき、活かして、共に生きていく事が大事なんだとそう思う。

原発事故の影響もあり、今なお、終わりのない闘いの中にいる東日本大震災で被災された方々。
そして、17年も経った今も苦しんでいる阪神淡路大震災で被災された方々。

私自身が出来ることを精一杯やりつつ、被災された方々が、少しでも早く、安らぎがありますように、お祈りしています。
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年が明けて、もう1週間。
早いんだよね~(笑)

5日より、職場復帰しました。
まだ、机に座っているのがやっとで、余裕ないけど。
でも、木曜日と金曜日と仕事してきました。
何とかやれそうかなって、そんな風に思っています。

三日連休でよかった。
もう、やっぱり、バテバテでして(笑)
明日ものんびりやります。

年賀状。
自分から書かなかったけど、沢山の人から頂きました。
頂いた分は、お返しもしました。
こうやって、つながって、気にかけてくれる人がいること。
ありがたいなってそう思います。

まだ、痛かったりするけど、日増しに動いても苦にならなくなってきて。
精神的にはかなり楽で、もう少し経てば、今後のこととかも考える余裕が出来てくるかなってそう思います。

年が明けてから、相変わらず、世の中は騒がしいけど。
あれもどれもなんて出来るわけなく。
そして、不安を抱えても身動きが取れず。
雨が降るように、風が吹くように、雲が流れるように、朝、日が昇り、夜、日が沈むように。
日々、しっかりと踏みしめながら、淡々とやれることをやるしかないのかなって。
そう思います。
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あけましておめでとうございます。
2012年があけましたね。

毎年、年末年始になると「来年の今頃は何をやっているんだろう」って常に思うのですが、去年、一昨年ほど、予想を大きく覆す程の事が自分の身にも周りにも降りかかり、無事に年を越せる事自体、奇跡なんじゃないだろうかって思う様になりました。
二十歳前後や学生だった頃・・・自分自身に対し希薄さを感じていて、「来年は死んでるかも」とか「死んでてもかまわない」なんて思っていたりもす るけど、意外に、こういう事ってあり得る話であり、そう自分の心に刻みつけて置く事も、今を生きている事への有り難みを知るという意味で大事なんじゃない かなって、今更ながら思っています。

だから、「あけましておめでとう」もそうだけど「あけてくれてありがとう」でも良いのかなって感じている今日、この頃です。

元旦初っぱなから、あちこちで中規模の地震が起きているし、今年も波乱が起きそうな予感。
スピリチュアルな世界では、アセンションの年だのマヤ歴がどうのだの言われていたりもするしね。

だからこそ、「来年には・・」なんて遠い先の事ではなく、今日、一日、今、一時を深く刻み付ける様に、自分として周りにも自分にも影響を及ぼせる人間として、しっかりと生きていきたいとそう思っています。
アセンションの話も「アセンションが起きる年だからしっかり身構える」という受動的な話ではなく「1人1人が一時一時を動いて行くことによってアセンションを起こす年」という能動的な話だと私は思っているしね。

この1日、自分1人の想いや行動こそ大事にして、今を愛おしく笑って生きていられるよう生きていきたい。
そして、そう思えることこそ、ありがたいと感謝して生きていきたい。

結局、来年の今頃なんて、その一日一日の積み重ねでしかないのだから。
そういう毎日を生きていれば、来年の今頃もきっと笑っていられるし、無事に年を越せるんだと、信じて生きていきたい。

今年に限らず、毎年、言っていることかもしれないけど。
そんなことを、いつになく感じて、思って、生きていける1年でありたいです。

そして、その想いが周りにも共鳴し拡がっていけば良いなってそう思っています。
皆さんにも幸多い笑顔の日々がありますように、今を共に歩んで行けたら、私は幸せです。
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