2012年7月アーカイブ

世の中、オリンピックや、あっちこっちでお祭りや花火大会で、大騒ぎなのですね(笑)

昨日(28日)は、地元の『いのち☆つながる広場 日野』の集まり。
『いのち☆つながる広場 日野』 で定期的にやっている『いのちの遊び場』です。
今回は、上映会をやってきました。

上映した作品は、『ゆずり葉』
ゆずり葉のチラシ
本当は、色々と手続きをして上映しないとならないけど、試写会という形でやりました。

聴覚障がい者を取り巻く世界を中心に描かれた、命を紡ぐ感動のストーリーです。
ドキュメンタリーではないのだけど、実際にあったお話しを元に再構成されて、一つの物語りとなっています。

SPEEDの今井絵理子 さんをはじめ、有名な方も出演されています。
(今井さんのお子さんがやはり聴覚障がいです。現在、手話を使ったステージなどで日本中飛び回って活躍されています)
監督さんも耳の聞こえない方だったり、主人公など出演者やスタッフなどもそうであったり。
聴覚がい害の人もそうでない人も一緒になって、工夫しながらつくりあげた当時としては画期的な映画です。

もう3年ぐらい前にポレポレ東中野 でみたのだけど、その時、感動しすぎで、腰を抜かして上映が終わってもなかなか立ち上がれなかった(笑)
DVDを早速買って、家で何度もみたけど、今日も、やっぱり、感動しすぎでした、、、。

この映画は、いろんな事を教えてくれるので、色んな人に見てもらいたいのです。
聴覚障がい者の薬剤師免許所得の話とか(実際にあった話で、『ゆずり葉』の監督、早瀨憲太郎さんの奥様、久美さんがモデル。映画の舞台である1999年当 時、署名活動などで話題になり、現在では取れるようになりました。)実際に新聞で賑わせた時事問題も含め、障がい者の結婚や就職などといった障がい者を取 り巻く社会環境の問題をメインに扱っていますが、ストーリーが半端ないぐらいしっかりとしているので面白くて伝わりやすく、"障がい"とは全く関係の無い 人たちにも伝わるメッセージが沢山あります。

色んな人が共に生きるとはなにか、自分らしく生きるとはなにか、わかりあうとはなにか、命を繋ぎ紡ぐとはなにか、人を愛し合うとはなにか。
色んな想いが約1時間40分の映画の中に入っています。

今日見てくれたみんなも号泣。
色んな想いがあったみたいで、良かったです。

実は、私が病気で倒れる前に上映会を企画していました。
(その時に会場取りとかで動いてくれた皆さん、ごめんなさい!)
手頃な方式の上映会システムではないので、200~300名ぐらいでやらないとならないぐらい大変なのです。
なので、病気で倒れて、出直しになってよかったのかもしれない。
自分の体調も安定してきたし、仕切り直しで来年あたり、考えてみようかなと思っています。

最後に、この映画のタイトルにもなっている『ゆずり葉』の詩です。
監督の早瀬さんの詩もあるのですが、こちらの方が好きで有名なので、載せておきます。
この詩の想い、そのものがこの映画には流れています。

詩『ゆずり葉』
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※チーム『宇宙の約束』のフェイスブックページ用に書いた文を少し変更してアップしてみました。よかったら、読んでやって下さい。

私が今、副代表として関わらせていただいているチーム『宇宙の約束』。

彼らに出逢ったのは、2007年12月15日でした。
そう、友人であり、代表の「しま平」 こと 大島秀夫くんが最初に開催したドキュメンタリー映画『1/4の奇跡~本当のことだから~』の自主上映会の日です。

しま平くんとは、自分がスタッフとしてやっていたイベントに2006年頃に来てくれて、それからの友人でした。
彼から「見せたい映画があるから」と紹介してくれましたのが始まりです。

実は、この日は、地元で別のイベントがあり参加する事になっていました。
なので、最初は、行く予定ではありませんでした。

でも、引っかかるところがあり、何か思うことがあり。
直感的に「行ってみよう」と思い立ち、その地元のイベントを土壇場でキャンセルし、しま平くんが開催した上映会の方に駆けつけました。

なぜ、そこまでして、上映会に駆けつけたのか。
どうして、ここまで気になったのか。

映画を見てわかりました。
自分が、一番、必要としていること。
「障がい」という言葉を受け入れること。
この映画には、その必要としていることのすべてが含まれていました。

この映画に出逢って、はじめて「障がいを持って産まれた自分」を、素直に受け入れ、認められるようになったと感じます。


私は、10年以上、某NGOに関わり、地球環境や国際支援などの啓発活動にボランティアで関わってきました。
イベントを開催したりキャンペーンを組んだりして、楽しく過ごしてきていました。
その沢山のイベントを通して、色々な方々にお逢いし、様々な形で関わってきました。
そして、その中で自分という存在を肯定的に感じること、認めることも少しずつできるようになり、生きている価値を見いだせるようになってきていました。

でも、1つだけどうしても乗り越えられない部分がありました。
それが「障がい者」という自分でした。
「障がい」という言葉でした。

どんなに頑張っても、どんなに自分を認めたとしても、「障がい」という部分に対してだけは、激しい嫌悪感があり、どうしても認められない、乗り越えられない自分がいました。
「障がい」という言葉も姿も見たくもないし、考えたくもありませんでした。

だから、障がいを持った友人は1人もいませんでしたし、作る事もしませんでした。
生まれてこの方、しま平くんが唯一、障がいを持った友人でした。


私は、骨形成不全症という骨の折れやすい病気を持って産まれてきました。
そのため、小さい頃から、自分という存在を否定し続けてきました。
そして、周りに負けてなるものかと、頑張って踏ん張って生きて来ました。

気を抜いたら負ける。
気を抜いたらダメなんだ。
そんな想いの中、がむしゃらに生きて来て、自分も周りも信じられない自分が出来上がってきました。

そのせいもあってか、「障がいなんてあってはならない」と思い込み、それを否定し続け、拒否し続け、自分が持つ障がいに対しても、見て見ないふりをして、逃げ回っていました。

しま平くんに出会い、チーム『宇宙の約束』に出会い、唯一、心の中ででかい壁となっていた「障がい」も、壊すことができました。
自分の中で一番の重荷になっていたことが降ろせたことは、自分にとって、喜びとなり、希望となりました。
本当に、ありがたいと感じています。


私は、ずっと、ずっと伝えたい想いがあります。

それは「誰ひとりとして、悲しくて泣くようなことのない世界にしたい」。
そして、「誰もが共に生きられる世界を創りたい」でした。

皆が許し合い、皆が励まし合い、皆で助け合い、皆で歩み、皆で生きていく。
誰ひとりとして例外なく、全ての人が輝きの中で生きていける世界。

そんな世界を創りたいと、ずっと、思って来ましたし、その想いを実現するために、10年以上、様々な啓発活動などをしてきました。

チーム『宇宙の約束』のキャッチフレーズ「~すべての人が認めあえる世の中へ~」。
まさしく、この想いそのもので、その想いに共感して、本格的に関わらせてもらい、今、副代表をさせてもらっています。

すべてが安らぎと共に、笑顔でいられますように。
そんな想いが少しでも拡がりますように。

今までも、これからも、この想いを胸に歩み続けて行きたいと思っております。

長期入院を経て、なかなか関われないでいましたが、やっと、副代表として復帰することができました。
その第1発目のイベントが、年末の12月22日にあります。

山元加津子さんとてんつくマンのジョイントイベントです。
既に、前売り予約、受付中です。
皆様、是非とも足をお運び下さい。

チーム『宇宙の約束』共々、皆様、どうぞ、よろしくお願いいたします。

チーム『宇宙の約束』公式WEB
http://www.team-soranoyakusoku.jp/

☆12月22日イベントのお知らせ☆
チーム『宇宙(そら)の約束』発足5周年記念 -山元加津子 × てんつくマン 夢のコラボイベント- ~すべての人が認めあえる世の中へ~ 愛と行動で地球は「動く!」
こちらをクリック→クリック

フェイスブックにもページをつくりました。
良かったら、「いいね!」を押してやって下さい。
https://www.facebook.com/teamsoranoyakusoku
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連休の最終日。
暑かったですね~。
もう、朝、起きた時から、グダグダでした。

この日、前々から見たかった「うまれる」というドキュメンタリー映画を、友人たちと永山まで見に行きました。
長期入院したころに、全国で自主上映が始まり、病院の中で携帯で情報があがってくるのを見る度に、「絶対、見たい!」って思っていて。
動けるようになったら、絶対に見に行こうって思った映画の一つ。
念願が叶いました。

予想以上でした。
ほぼ、はじめっから泣かされました。
ドキュメンタリーの中では、一番って言ってもおかしくないぐらいクオリティーも高い。

絶対に見て欲しい映画なので、詳しいことは書かないけど。
いつも上映会をやっている『1/4の奇跡』とかにも繋がる想い。

私は、どこか、自分が産まれた役割を感じていて、今、そこに確実に導かれているって思っているのだけど、その想いは確かなものだったと、映画をみて感じました。

そしてね。
前にも書いたり、講演で話したりもしたことあるけど。
私が産まれる前。
実は、母は流産していて。
その命も、自分の中に入っているんじゃないかって、そう思っている部分があり。
一昨年からの1年半、入退院していた時も、その命が守ってくれているような気もしていたんです。
多分、この感覚は、間違いじゃないって、確信できました。

どんな形であっても、どんな姿であっても。
全ての命がどれだけ大切なもので、愛おしものかを、切々と語りかけてくる内容でした。

こうでなきゃいけないとか、こうであるべき、なんていうものは、無いんですね。
産む、産まないなんていうの、関係ない。

全ての命は役割を持って産まれ、そのいのちを紡ぎ、何かを残していく。
色々と考えがちだけど、実はとても単純な所で、世界は成り立っているんだってそう思う。

見て終わった後、全身、電気が走りまくっている感じで、とても、癒されるような想いもしました。
是非、是非、みんな見て欲しいってそう思う。
これは、もう、必見です。

映画『うまれる』公式ページ
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3連休の初日。
皆さん、いかがお過ごしですか?

九州地方の雨。
心配ですね。
これ以上の大事にならなければいいのですが・・。

東京は、快晴とまではいかないけど、じめっとした初日。
私は、友人が主催するイベントに行ってきました。

☆Link to Peace vol.12☆
「知っていますか、宮森小学校米軍機墜落事件 のこと~舞台『フクギの雫』上映会~」

沖縄の宮森小学校の米軍機墜落事故に関しては、前から聞いたことはあったけど、改めて触れて、戦争ってまだ終わっていないんだなって思う。
沖縄も含め、日本に点在する米軍基地もそうだし、まるで当たり前のようにそこに存在してしまっているけど、本当は当たり前のようにそこに存在してはならない施設なんだって感じる。

事故では、18人(後遺症で亡くなった方含む)の人が亡くなっているわけで。
その後も米軍にまつわる事故、事件は各所で起きているわけで。

米軍がどうのっていうより、こういう事実をそのままにしてはならないし、そういう事実こそ、ちゃんと語り合って考えて変えていかないと。

オスプレイが配備されたけど、昔、あの機体が試験機として出ていたころの話題では、「事故がやたらと多いし、不安定な機体であるため、実戦配備は無理」だって言っていたように思うのだけど。
「安全だ」と言い張って、いつの間にか、実戦配備されているし。。。

原発もそうだけど、いろんな法律やらなにやらが、答えありきで、うやむやのまま、推し進められていること。
走り始めたら、止まることをしらないこと。

。。。本当に多いよなな。。。。

忙しさとかにかまけていないで、一つひとつ、自分なりのしっかりと答えを見つけていかないとって。。。そう思います。

今、この宮森小学校の米軍機墜落事故をテーマにした映画が製作されています。
映画『「ひまわり」~沖縄を忘れない、あの日の空を~』
来年の1月ぐらいに公開されるそうです。
是非、見に行きたいなぁって思います。

http://www.ggvp.net/himawari/


今回のイベントの主催者とも、2年ぶりの再会だったし、他にも久しぶりの友人とも会ったし。
こういう再会がある度に、生きててよかったなぁーって思います。
大げさでも何でも無く、正直、元気な姿で再会できるなんて思っていなかったから。
イベント終わりに、その友人や、はじめてお逢いする方と焼き鳥屋で熱く語り合ってきました(笑)
なんだか全てが新鮮で、何もかもが嬉しく、幸せで。。。
大変なことも多いけど、生きているって、本当に最高です。。。
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ブログ触るの久しぶりになってます(笑)
最近、フェイスブックかツイッターかどちらかで済ますことが多くて、、、。
すいません。

で、久しぶりに書く事は、とても、暗く、重たい話です。
書いておかないとって思うので。

大津市教育委員会は、「死に体」である|日々是口実-041

http://59s-hibikor.doorblog.jp/  より。


これを読んでというかニュースとかを見ていて思ったのだけど。

暴論だと思うけど、「いじめ」なんてなくなるはずないと思う。
「なくなる」なんて思っているうちは、多分、問題解決なんてできない。
そう思うのです。

「今の子は思いやりがない」とかなんとか言われるけど、そんなんじゃない。

100点でなければならない、完璧じゃないとならない、みんなと一緒でないとならない。

そんな「完璧主義」と「協調性」を求めるような教育をしているうちは、無理なんだと思うのです。
そこから逸脱することすら許されず、半ば脅迫されるような教育を毎日毎日うけていたら、自分への評価ばかりが気になり、自分を守るために、他人のことなんて置き去りにしないと生きていけなくなる。

そんな教育自体が「いじめ」そのもので、その教育自体が「いじめ」を育てる。
常に誰かが誰かをいじめるため、ネタを求めてさまよう。
「いじめる」ことで、自分の完璧さを証明できるから。
「協調性」を証明できるから。
少しでも劣っている人、逸脱している人を絶えず見つける。
で、見つけたら、いじめる。

とことん、いじめる。
みんなで一斉にいじめる。

だって、「完全主義」と「協調性」を重んじるんだから、誰もが「自分も誰かをいじめないと自分は社会から消されてしまう」という脅迫概念が生まれるのだから。
教室や職場といったある意味閉鎖空間であったら、尚更、助長される。

で、その傍らで「いじめをなくそう」と教育現場は声高らかに唱え、「いじめゼロ」が当たり前かのように言い始める。
だから、「いじめ」が起きると、「いじめ」をなくせなかった教育現場は完璧じゃなく、そこから落第したとレッテルが張られる。
それが怖いから隠蔽をはじめる。
「ここはいじめゼロのはずなんだから、あってはならないことだ」と口封じがはじまる。

そんな八方ふさがりの様な状況じゃ、いじめられっ子もまた、助けを求められなくなる。
いじめられているなんて、自分は完璧じゃないとレッテルを張るようなものだから。
「いじめゼロ」なのに、いじめられている自分は、周りに迷惑をかけているんだと思わされるから。

誰にも言えなくなる。
助けを求められなくなる。
全てが敵になる。
そして、追い詰められて自殺してしまう。


こんなピーンと張り詰めた「空気」が自然と漂っているのが、今の世の中なのだと思う。
いつも、誰かの目を気にして、怯えながらいきている。
また、誰もがそのことに気づいていないから、尚更、悪循環に陥る。
それに加え、子どもだと「自制する」ことができないことも多いだろうし、「傷つけてる」「傷ついている」なんていう感覚も薄ければ、尚更、拍車がかかる。


結局、誰でもいじめられる要素をもっているし、いじめる要素をもっている。
だから、誰がどちら側にたってもおかしくない。
理由なんて、なんだって言い。
理由なんて、あってないようなもの。

そういう観点に立ち、そう誰もが思わないと、いじめなんて解決できないし、なくならないと思う。

ある番組で、加害者側の名前などがわかってしまった為、の現場の関係者を洗い出して、みんなで糾弾しようと、ネットで躍起になっているけど、私からみると、同罪。
結局、同じ穴の狢。
形が変わって、「正義」という大義名分が加わっただけ。
結局、同じ「いじめ」の構図の中に埋没しているだけ。


私もいじめられる側にいたこともあった。
でも、その逆もありました。
いじめる側に立ったこともあるのです。
だから、こんなことを言えるのかも知れません。

今でこそ、何やってんだろうって、その時の自分が恥ずかしく恥ずかしくて、嫌悪感でしかないし、いじめにあったことより、いじめたことのあるっていう事実の方が、自分の中では、かなりウエイトが高い。
どうその罪を償えるのだろうと思う事があります。

正直、今更ですね。
言い訳にしかならない。

けど、なんでやったのかと問われるなら、やっぱり、こんな「空気」の中にいたなって思う。
誰かをいじめないと、自分がいじめられるから。。。怖かった。
「こんなことしたらかわいそう」っていう思いはあったけど、そんなことより、自分を守ることを優先させた。

自分も、そんな風に自分を守ることしか頭に無い弱い人間でしかないわけだし、いつ、どちらに転ぶかなんて、今でもわからない。
だから、毎日、毎時、問いかけながら生きていかないとって思うし、生きていこうとそう思う。
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