自宅の最近のブログ記事

あけましておめでとうございます。
2012年があけましたね。

毎年、年末年始になると「来年の今頃は何をやっているんだろう」って常に思うのですが、去年、一昨年ほど、予想を大きく覆す程の事が自分の身にも周りにも降りかかり、無事に年を越せる事自体、奇跡なんじゃないだろうかって思う様になりました。
二十歳前後や学生だった頃・・・自分自身に対し希薄さを感じていて、「来年は死んでるかも」とか「死んでてもかまわない」なんて思っていたりもす るけど、意外に、こういう事ってあり得る話であり、そう自分の心に刻みつけて置く事も、今を生きている事への有り難みを知るという意味で大事なんじゃない かなって、今更ながら思っています。

だから、「あけましておめでとう」もそうだけど「あけてくれてありがとう」でも良いのかなって感じている今日、この頃です。

元旦初っぱなから、あちこちで中規模の地震が起きているし、今年も波乱が起きそうな予感。
スピリチュアルな世界では、アセンションの年だのマヤ歴がどうのだの言われていたりもするしね。

だからこそ、「来年には・・」なんて遠い先の事ではなく、今日、一日、今、一時を深く刻み付ける様に、自分として周りにも自分にも影響を及ぼせる人間として、しっかりと生きていきたいとそう思っています。
アセンションの話も「アセンションが起きる年だからしっかり身構える」という受動的な話ではなく「1人1人が一時一時を動いて行くことによってアセンションを起こす年」という能動的な話だと私は思っているしね。

この1日、自分1人の想いや行動こそ大事にして、今を愛おしく笑って生きていられるよう生きていきたい。
そして、そう思えることこそ、ありがたいと感謝して生きていきたい。

結局、来年の今頃なんて、その一日一日の積み重ねでしかないのだから。
そういう毎日を生きていれば、来年の今頃もきっと笑っていられるし、無事に年を越せるんだと、信じて生きていきたい。

今年に限らず、毎年、言っていることかもしれないけど。
そんなことを、いつになく感じて、思って、生きていける1年でありたいです。

そして、その想いが周りにも共鳴し拡がっていけば良いなってそう思っています。
皆さんにも幸多い笑顔の日々がありますように、今を共に歩んで行けたら、私は幸せです。
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ふぅ~(笑)
なんだかんだと2011年が暮れていく。
実は、あっという間だったのか、長かったのか、よくわからないでいます。
それぐらい、色んな事があった気がしています。

去年の今頃は、一時帰宅をしていました。
ほぼ、寝たきりの状態で。
家族と過ごせたけど、日常生活もマトモに出来ていなかったような気がします。

その後、何度か一時帰宅を繰り返し、自宅での生活に慣らした上で、2月に4ヶ月以上の入院生活から退院。
その頃は、もうだいぶ起きれる状態ではあったけど、体力も気力もまだなくて、その後も、日常生活を大騒ぎしながら徐々に調子を整えていく。

そして、3月に地震。
東京にいて、幸いにして直接的に被災していたわけではないけど、生活環境や土台になる部分がかなり大きく変わった気がします。
マスコミなどから伝えられる被災地の様子や支援に走り回っていた仲間たちから伝わる想いに感化されたことも大きいけど、やっぱり、原発事故もそれ以上に大きかったです。
今、置かれている環境は、絶対のことなんて一つもなく、一気に崩れていくものなんだと。
一日一日、一時一時って大事なんだなって、自分の置かれた身体の事も含め、改めて強く感じていました。

5月には、職場復帰。
何とか日常を取り戻しつつあったけど、人工肛門の方は、日増しに悪化していき。

7月に、地元の上映会イベントでボランティア復帰を果たすも、その後ぐらいから、身体の状況が空回りしはじめていく。
手術の話も持ち上がり、状態を悪化させていく中、イライラしながら待ち続け、11月末に再手術。
3週間の入院生活が無事に終わり、12月半ば、退院。

病気になるまでもボランティアなどで忙しく動き回っていた毎日だったけど、別の意味で、いっぱいいっぱいだった1年だったってそう思う。
出来るだけ正常心でいたいとは心に決めていたけど、やっぱり、出来ない事の方が多かったし、まだまだ、未熟だなぁって思うこともあったし、自分のことで精一杯だった気がします。

相当、忍耐の中、気を張っていた一年だったんでしょうね。
再手術も無事に終わり、経過も良好だったためか、気が抜けてしまい、寝ては起きてご飯食べて、テレビみたり、DVDを見たり、本を読んだり、ここ10年ぐらいやっていなかったTVゲームやPCゲームを買い込んでして遊んでみたり、勝手気ままな毎日を送っています(笑)

部屋の掃除も片付けも年賀状もやってないぞ~(笑)

っていう感じで、年を越しそうです。

そして、何よりも、どれよりも大事なこと。

私を支えてくれた仲間たちの存在、家族の存在。
病院関係者や様々な人たちの存在。
色んな人たちと繋がりの中で私も生きている。。。。

本当にたくさんの人に助けられたなぁって思うし、やっぱり、人は1人で生きていけないし、生きていないんだって改めて感じた1年でした。
今年の漢字は、「絆」だったけど、この言葉の意味を違う形で深く感じられました。
そして、この「絆」っていう言葉は、人の存在だけでなく、時間も空間も見えないこともその全てとの繋がりを表しているし、その繋がりがお互いに影響を与え、助け、助けられ、共振していっているんだってそう思えました。

この「絆」・・・世間では色々と批判もあるみたいだけど、自分にとっては、本当にありがたいし、大切にしたい想いだと思っています。

「絆」のお陰で、全ての事を感謝に変えれた。
本当に感謝です。
ありがとうございました。
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クリスマスですね。
みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
ホワイトクリスマスの所もあるのかな。

私は、自宅でゆっくり過ごしています。
イブの夜は、家族とディナーを楽しみました。

なんだかんだ言っても、やっぱり、家族や大好きな人と過ごせるって、本当に最高に幸せなことなんだなってそう思う。

去年は、病院の中。
母が買ってきてくれた小さなショートケーキをこっそりと病室で食べた思い出があります。
ささやかなお祝いでした。
病院内で、入院患者向けの催しもあったのだけど、まだ、動ける身体ではなかったから、ベットから離れることが出来ず、参加できませんでした。

前の見えない日々。
ゴールの見えない日々。
何をやっているんだろうって、寂しく、悔しく、悲しかったって、今更ながら感じる日々でした。

再手術の事もあったので、今年もどうなるかなって思っていたけど、無事にクリスマス前に退院できて、家で過ごすことができました。
これが、私への神様からのプレゼントだなってそんなことを思っています。
いつになく、心洗われ、幸せなクリスマスイブでした。

必ず幸せは訪れる。
どんなに今が辛くても、今が悲しくても、涙で前が見えなくても。
誰の元へも、誰の所にも。
必ず笑顔が訪れる。
そう信じていれば、きっと。

世界では、今、この時、この一瞬に、いろんな人がいて、いろんな事が起きています。
今、この時を先の見えない暗闇の中を過ごしている方も沢山いると思います。
そのような人にとっては、クリスマスなんていうこと自体、縁遠く、あり得ない話だとは思うのだけど。
でも、そんな人にもこの日だけは、この時間だけは、少しでも苦しみから解放されるささやかな安らぎが訪れてくれればいいなってそう願わずにはいられません。

誰もが誰かの笑顔を祈り、願う時間が訪れますように。
自分の中の光に気がつける時間が現れますように。

今のこの時、この瞬間を笑っていられますように。
明日の幸せにつながりますように。

失ったもの以上の幸せが降り注ぎますように。
全ての愛が皆を色とりどりに輝かせてくれますように。

1人で過ごしている人にも、誰かの愛がつながりますように。
みんなで過ごしている人にも、誰かにその幸せが伝わりますように。

メリークリスマス☆
全ての人に愛と笑顔と幸せが降り注ぎますように。
心よりお祈りしております。

KOKIA moment~今を生きる~

歌詞 : http://www.utamap.com/viewkasi.php?surl=k-110518-114
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大きなこと。
東北地方太平洋沖地震(東日本大震災、東北関東大震災)

沢山の命が失われようとしています。
私自身もとても、心が痛く感じてしまいます。
今なお、頑張っていらっしゃる方、踏ん張っていらっしゃる方が少しでも安らげるように心から祈って止みません。

3月11日。

退院からちょうど一ヶ月後。
家の中での行動が少しでも楽になるようにと業者さんに来てもらって手すりなどの設置工事をしてもらっていました。
いくつか業者さんと打ち合わせをして、私はリビングでくつろいでいました。
テレビでは、某知事の再出馬表明のシーンが流され、歓声など色々な想いが渦巻いていた。

その時、グラグラと揺れる感覚。
外を見ると電線が揺れている。

あ、、、地震か、、、

はじめは、そんな軽い感覚の中でいました。
いっこうに収まる事のない揺れ。
逆に大きくなっていく。
食器などがガチャガチャいいはじめ、モノが倒れたり、落ちたりする音と共に、ギシギシという家の軋み。
テレビでは、よくある主婦向けの情報番組中でしたが、そこの出演している人たちも、何事かと慌てだしている。
顔面蒼白の人もいた。

この長さと大きさ。
地震に対して、結構、度胸がある私でも心臓ドキドキで怖くなる。

ずいぶんの時間が経った気がする。
少しずつ落ち着きはじめた頃、家の改装工事に来ていた方々とかに声をかけてみる。
おじさん、かなり冷静(笑)
玄関に飾っていたこけしを必死に抑えながら、「いやー、揺れたねぇ~」って笑っていた。

数分おきに東京でも感じる余震。
余震を気にしながら工事も終了し、工事の方々が帰った頃、テレビを見始める。

津波だ、、、、。

時間が経つことに、状況が見え始める。
最初は楽観視していた私も、背筋が凍るような間隔を感じ始めた。

その日は、父親も帰ってくることが難しいようで、会社で待機かも、、、と電話がある。
(最終的には日付が変わって帰ってくることが出来たけど)

結局、朝方までネットやテレビを食い入るように見ていた。


あれから一週間以上が経った今。

地震や津波により、未だに陸の孤島と化し、マスコミ、政府も自治体、自衛隊、支援してくれている米軍なども把握しきれていないのか、被災者が餓死した、凍死したなど、悲劇的な情報も流れてくる。
都市部では少しずつ落ち着き初めてはいるけど、末端の方ほど、状況は悪化し、情報も人も物資も届かない所もあります。
一週間以上も救援物資が届かない人たちが未だに16000人もいるとのこと。
法律上、なかなか上手くいかないところもあるらしいですが、土地勘を持っている人がやれば安全を保つことは可能だと思うので、孤立地域に救援物資を空中投下などして、少しでも脱して欲しいと感じます。

そして、こういう時に、いつも思うのは、「障がいや病気を持った方とかご年配など、どうしているのだろう・・」と。
阪神・淡路大震災で被災された障がいを持った方は、未だに、生活が大変で、復興とはほど遠いとも聞く。

今回も、そうなってはいないかと思うのです。
地震があったとき、今までなら動いて、安全な場所に避難出来たけど、今の身体はトイレにいくのも大変な状況で、安全どころか、じっと時が過ぎていくのを見守るしかない。
津波が数分で襲ってきたら私なんて、一発だろうってそう感じます。

今回も、車いす、寝たきりの人は、一番最後まで避難出来ずにいて、未だに病院などに取り残されているところさえあると聞きます。
(しかも、お医者さんさえ避難していない所もある、、、勿論、身を守ることは人間として当たり前の行為なので、非難することは出来ませんが・・・)
避難出来たとしても、電気や水もないところでは、医療機器も使えないし、トイレさえ出来ない場合もある。

テレビにはあまりそこまでは映らないけど、非難している場に自分がいたら、生きていけるんだろうかとそう思ってしまいます。
地震では無事でも、避難場所で生きることが出来ないのではないかと・・・。

こう思うと、心が本当に痛く感じます。

だからこそ、こういうことから、弱者を守る為にも、原発の様な人間の力でコントロール出来ないものは必要ないし、命を視点に考えた生活環境や社会システム創りが必要な気がします。


それと、原発のこと。
言い出したらキリがありません。
不安要素は沢山あるし、憶測を語り出したら、無限大に増えていきます。
色々と情報が飛び交っていて、頭が痛い人もいると思いますが、専門家の意見を集約し、よくまとめてくれていますので、私は、田口ランディさんのブログに書かれていることを指針にして、今、どうすれば良いか考えていこうと思います(勿論、刻々と状況は変わりますし、この内容も不十分な部分がいくつか見られますが)
田口ランディさんのブログ → http://runday.exblog.jp/16073824/

今、一番、気がかりは、原発や避難所の状況もそうだけど、心の状態です。
子どもたちの心もそうだけど、大人も同じ。
心だけは、被災した、しないに関わらず、今、この時間、この世界に生きている全ての人に関わってくることだと思います。
「買いだめ、買い占め」という行為に走ってしまうのも、ある意味、心の不安がその理由にあると思うし、本人は「買いだめしている」とは全く思っていないかもしれません。

空気がぴーんと張り詰めています。
何となくだけど、そんな気がしています。
友人にメールをすると、厳しい心の環境の中、必死に抑えている言葉が並んでいる時があります。

こんな時なので、ネガティブな所にアンテナが伸びてしまうのも仕方ないし、危機を察知するのは間違っていないと思います。

ですが・・・。

深呼吸して下さい。
リラックスして下さい。
色んな思いがあるとは思うけど、少しでも手放してみて下さい。

端的な言い方かもしれないし、色んなところで携わっている方には申し訳ないですが。
今の状況は誰が悪いわけでもないと思います。
誰を責めても何も解決しないと思っています。

被災者の方々や現地で命がけで頑張っている方々のことを考えると、何も出来ない自分を責めたりしてしまう方もいると思いますが、何も出来ないからって、悪いことをしているわけでもないと思います。
あなたはあなたなんだから、あなたらしく生きれば良いのだと思います。

不安だったら、逃げたかったら、逃げてもいいし。
苦しかったら、情報など全てをカットして、逃避してもかまわないと思います。
泣きたかったら泣いても良いし、笑いたかったら笑えばいいと思います。

一番大切なのは、誰でもないあなた自身。
あなたが今をちゃんと生きている事。
それだけでいいのだと思うのです。
自分のことをまず第一にに考え、抱きしめて、守ってあげて欲しいとそう感じます。
みんなちゃんと繋がっていますから、あなたがちゃんと生きていれば、被災した人もちゃんと生きる力が伝わっていきますから。

日本は、世界は変わっていくと思っています。
全てのことに意味があると言うならば、今回のこともそうなのでしょう。
自分の出来ることを、ネットなどで集めて、明日に生かしましょう。
優しい気持ちを日本に、自分に集めて、生かしていきましょう。
大丈夫です。
きっと変わります。
だから、大丈夫です。

KOKIA Lacrima


歌詞→こちら
※中越沖地震の時、被災者の思いをくみ取って創った「私にできること」のカップリング曲です。
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11日、無事に退院しました。
今、寝た切りだった頃が嘘のような日々を送っています。

10月4日~2月11日までの130日間の入院生活。
2泊3日が129泊130日になるなんて、夢にも思わなかったし、めっちゃ長かった...(笑)
その前の9月半ばにも8日間だけ入院しただけでも気が滅入りそうだったのに、今、思えば、すっげー楽だったかも...汗

でも何年も入院している人もいるわけだから、それに比べたらずっと幸せですよね。

自分の家に帰れる幸せ。
家族と居られる幸せ。
帰れる所がある幸せ。

こうやって家な帰れるなんて、最初の頃は考えも及びませんでした。

10月。
最初の手術の麻酔から覚めたら右足の激痛。
すぐにレントゲンを撮ったらポッキリと折れた大腿骨の付け根。
次の日、骨折した所にボルトを埋め込む。
それでも、壊死する可能性もあり、そうでなくても歩く事は愚か、起きて車イスに乗ることも難しいと言われ、絶対安静の元、寝かされ続けた。
憤りと不安と怒りなど様々な想いの中、見えるのは天井と窓に映る空しかない世界。

それなのに、どんどん悪化していく身体。
食べる事すらもできなくなり、日増しに身体に繋がる管が増えていき、挙げ句の果てには激痛で始まった腸閉塞。
大腸が死にかけ、緊急手術と共に増設された人工肛門(ストマ) 。

ストマ増設の麻酔から覚めた時に感じた喜びと同時に、何かに吹っ切れたかのように落ち着き始めた精神。
嵐のように吹き荒れていた心の中のモヤモヤや想いを、これで良かったんだと昇華し、全てを手放し、山の頂上から野へ降りていった時に見えた時の開放感。

そんな悟りのような境地に至ったのと同時に一気に開き始めた回復への道。

誕生日の日から始まった流動食を皮きりに次々に与えられるリハビリの宿題をこなしていき、日増しに身体を動かせる範囲も広がり、不可能とさえ言われた車イスに乗ることも歩くことも出来るようになっていく。

そして、無理だと思っていた自宅で過ごす年末年始が実現。
それと共に退院の目処が立ち、退院に向けてのリハビリが始まり、色々と相談、調整、検討してもらった結果、退院日決定。

2月11日、無事、退院することができました。
今では、車椅子移動も出来るし、以前使っていた杖を使って歩けてます。

130日間、今まで歩んできた道も含め、命のこと、生きること、病気のこと、障がいのこと、医療のこと、支えあうこと、繋がること、出会うこと...、Twitterやmixiやブログなどでも書いてきたけど、書いても書ききれないし、語っても語り尽くせない程の色んなこと。
それを実体験として感じることができ、それよりもなによりも、たくさんの人と繋がり、支えられて生きてきて、これからも生きていくんだなぁってそんな深い感謝の気持ちがいっぱい溢れてくる日々を送ってきたように感じます。

前にも書いたけど、本当に神様の贈り物だったと思う。
これからもこの贈り物を大切に生かして生きていきたいと感じます。

入院中、お見舞いに来てくれたり、メールやメッセージをくれた皆さん。
祈ってくれた皆さん。応援してくれた皆さん。心配してくれた皆さん。

お医者さんや看護師さん、ヘルパーさん、ソーシャルワーカーさんやクラークさんや事務の皆さんや介護ショップの方、その他、陰から支えてくれた病院関係者の皆さん。

何度もお見舞いにきてくれたり、連絡してくれたりした会社の皆さん。

そして、毎日、看病に来てくれ、私の愚痴とかも聞いてくれた両親。

本当にありがとうごさいました。

まだ、自宅療養の身で、周辺の散歩や通院以外では出られる状態ではなく、社会復帰までは、もう一踏ん張りも二踏ん張りもしないとならないです。
退院後、急に体調を崩して、あまり芳しくなく、鬱っぽくなってしまっていたり。
この先のことも難題山積みで不安も沢山あります。
道半ばという感じで、これからも沢山の人に支えられて生きていかないとならない身ですが、皆さん、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

こんな私ですが、長い目でお付き合いください。

自宅での生活が始まったけど、すぐに飽きると思うんで、自宅まで遊びに来てくださいませ~(笑)
八王子駅からバスが出ているので、よろしくで~す♪
マジ、大歓迎で~す☆(笑)

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上の写真は、退院の時に、病棟の看護師さんから頂いた寄せ書きです。
左側は看護師さんたちの写真。
右側はリハビリで病棟を歩いていたときの写真。
一番若い看護師さんが「一枚撮らせてください!」と撮ってくれました。
何時もの杖を使って歩き始めたばかりの頃なので、笑顔が思いっきり引きつってるけど(笑)
明日へ歩んでいくような後ろ姿でちょっとお気に入りです。

寄せ書きも「看護のあり方を考えさせられた」とか、「逆に元気をもらった」とか、「笑顔で接してくれた」とか、感謝の言葉が書いてあり、とても有り難く、とても嬉しく。
そして、一人ひとりの言葉がこれからの自分への応援となって、とても胸に染み入ります。

思い返すと走馬灯のように色々とあった130日の入院生活を乗り切れたのも、時には家族のように献身的に支えてくれた看護師さんがいたからこそ。
その恩返しのためにも、困難だとしても、これからも前向きに、一歩一歩、歩み生き続けていかないとって思ってます。

本当にありがとうごさいました。


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只今、自宅にいます。

前の日記でも書いたように、年末年始は自宅で過ごす事が出来ています。
今の身体の状況で自宅でどこまで生活出来るか、今後のリハビリや治療方針を見極めるためもあり、特別処置に近い形で病院がオーケーを出してくれました。

26日の午後に自宅に帰り、29日に一旦病院に戻りました。
そして一泊だけして、今日の午前中に自宅に帰り、4日午後まで自宅に過ごします。

本当は26日からぶっ続けで帰れる予定だったんだけど、法律の規定上、ダメなことがわかり、こんな形になりました。


1日目は、自宅の中はパニックでした(笑)
ほとんど、両親に頼ってでしか生活ができないし、要領が解らず四苦八苦でした。
でも、やっと、慣れてきて、スムーズに事を運べるようになりました。

以前は出来たけど、出来なくなってしまった事が多すぎです(笑)
いや...。
ここまで不便かっていうぐらい、本当に大変です。
今は、ほとんど両親の手を借りているし、両親の手を借りてもできない事が多いし。
両親も歳なんで、手を借りずともやれるようにしないと、今後、大変です。


人工肛門のメンテナンスはもちろんのこと、日常生活のほとんどを、今まで、自分の力だけでやれていたんだよね...。
手足が不自由でなく動くって、幸せなことなんだなって思う。
そ して、この日常生活の全てを出来るようになるまで、練習を積み重ねてきた昔の自分の頑張りを誇りに思うし、それを支えてくれた両親の存在や骨の折れやすい 病気なんで、どうしても、守りに入ってしまう所を「骨折を怖がるな」と猛特訓を推し進めてくれた昔、担当してくれた主治医の方々には感謝の想いでいっぱい です。


本当に泣きながらやっていたもんなぁ。
自分の足で移動するために、歩く訓練や立つ訓練、階段の登り下りなど様々。
日常生活が自分で出来るようにと色々とやりました。

その成果もあって、上半身は丈夫なので、こんな身になってもさほど苦労なくリハビリが進むので、先生方も驚いているけど、自宅に帰ると様々な問題が出てくるので、来年からは、一つひとつ乗り越えていかないとって思ってます。
頑張らないと。

まぁ、大変なことは多いけど、自宅はやっぱり良いですね。
気を遣わなくてもゆっくりしてられるし。

昨日、病院に戻った途端に激痛で具合が悪かったけど、自宅に帰ったら落ち着きました。
やっぱり精神から来ている気がする。
病院では、なんだかんだと気が張ってるんだと思う。

4日までの間ですが、気を休めるため、そして、来年の長い道のりを乗り越えるため、家族とのんびりしたいと思います。

皆さんも、良いお年を~♪
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今宵は、クリスマスイブですね。
皆さんは、どのように過ごすのでしょうか?
テレビに映る街のきらめき。
綺麗ですね。

さて、明日のクリスマスに向けて、ちょっと早いクリスマスプレゼントがありました。


前にTwitterとかで、つぶやきましたが、一時帰宅(一時退院?)出来ることになりました。
さっき、主治医からも許可が出たので、おおよそ、オーケーだと思います。
多分、一時帰宅日は、26日ぐらいになります。
家で過ごせるのは、来年の3日ぐらいまでかな?

10月。
退院は何時になるかもわからず。

歩けなくなる。
車椅子に乗れるようになるかわからない。
骨が壊死するかも。

などと言われ、腎臓や人工肛門と色々と積み重なり、一時期は、絶望的でした。
でも、今では、前に近い形まで歩けるかもしれないと、希望的観測が次々と出てくるようになりました。
車椅子はもちろんのこと、歩く練習をしまくっています。

そして、今回の一時帰宅の許可。。。自分で言うのもなんだけど素晴らし過ぎです(笑)

さっき、主治医(例のきれいな女医さん、笑)がオーケーを言いに来た時、今までにないぐらいの満面な笑顔だったので、ちょっと面白かったです(良い意味で。今まで、事が事だけに、気むずかしい顔をすることが多かったので)。
リハビリの先生も「ここまで来て良かった」と言ってくれたり、看護師の婦長さんも「不屈の精神でやりましたね」と言ってくれたり。
病院側の方々も、嬉しく思ってくれているんだなぁって感じています。

絶望的に感じていた時は、何もかも嫌になってしまいそうだけど、前の日記で書いたように全ての想いを手放せた時、急に好転していったので、やっぱり、心と身体は、しっかり結びついているんだと改めて思います。


友人が、斉藤一人さんの言葉をまとめて、毎朝、メルマガにして送ってくれるのですが、今日の朝は、こんな言葉でした。

「小さな幸せを数えだしたら大きな安心が手に入った。手があって幸せ、足があって幸せ、今日があって幸せ。   ひとり

自分のないものを数えると不幸になります。
自分があるものを数えると心が豊かになって幸せになります。
目があって幸せ、手があって幸せ、足があって幸せ、命があって幸せ、ご飯が食べられて幸せ。ほら、これだけ幸せになった。」



本当に、そうだなって、この3ヶ月にもなる入院生活で、一番深く気が付かされた事でした。
前からわかっていたと思っていたけど、がむしゃらに動いていた時は、すっかり、忘れていました。
そんな大事な事を気付くために必然的にあった入院であり、そのことをわかったから、好転しはじめたのだと感じます。

そして、何度も書くようだけど、たくさんの人の繋がり、仲間の大切さを改めて、感じて止みません。

神さまは、いるのだと思う。
絶望の淵に立たされると、見失ってしまうけど、どこかで見守ってくれているんだと感じます。

クリスマスイブは、独り孤独に死を選ぶ人が多くいると聞きます。
世の中には、いろんな人がいて、今尚、苦しみと悲しみの中に浸りきっている人たちもいる事を知っています。
そんな人たちに「生きろ」は言わないし、生きていれば良いことがあるなんて、軽々しく言うことは、私にはできません。

ただ、そんな人も、誰でも、決して独りではないし、生きる選択肢を、必ず持っているはずだし、そのことを少しでも覚えていて欲しいと感じます。

人工肛門をつける時、私は、最初、拒否しました。
絶望的に感じて。
でも、そんな時に浮かんだイメージが、仲間たちとおしゃべりをし、笑いあっている自分の姿でした。
その時、急に安堵感が訪れ、「大丈夫」と思い、生きる選択肢を選びました。
あの時に浮かんだ多くの仲間たちの姿がなかったら、生きる選択肢を選ばなかったと思います。

これからどうなるかわからないし、ゴールはまだ遠い先にあるけど、あの時、生きる選択肢を選んで良かったと思います。

そのことを、しっかり感じながら、年末年始、家族とゆっくり過ごしたいと思います。
来年、再入院後の社会復帰へ向けての歩みのために・・・。


みんなにありがとう。
命にありがとう。
そして、生かしてくれてありがとう。

本当にありがとう。


まだ、早いのですが、全ての人たちに。
全ての魂に。

Happy Merry Christmas~☆

沢山の幸せがあなたの胸の中に見つかりますように...。

KOKIA 祈り

歌詞

KOKIA ぬくもり

歌詞
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16日。

朝は普通に起きて、何事もありませんでした。
しかし、トイレに入ったとたん、お腹の中が嵐のようになり、激痛。
1時間、トイレにこもりっきり。
その後、何とか脱出。
寝ていれば嵐が収まるだろうと、そもそもの判断したのが間違いでした。

会社を休んで、寝ていても、痛い。
ずっと痛い。
トイレに1分おきに行くような始末。
でも何も出ない。

お昼過ぎ、さすがに白旗。
まずは、行きつけの病院の救急外来に連絡。
しかし・・・・泌尿器科の先生たち、全員が学会中で不在(学会と患者のどちらが大事なんだ、笑)
なので近くの救急外来のある病院を探すが、どれもこれも、断られる。
仕方なく、救急車を呼ぶ。

その時もトイレの中から出られず、何とかドアを空けた先に救急隊員。
いや、、、マジで天使に見えた(笑)
もう足腰立たない状態だったので、何とかストレッチャーまで背負って運んでもらい乗車。
そしたら、なんか安心したのか、少し気分が和らぐ。
母親は気が動転して、何をしゃべっているのかよくわかんない状態なので、細々と状況を説明。
一度断られた行きつけの病院に連絡を入れ、説明した内容で根気よく説得してくれて強引に搬送してくれました。

救急車なんて何年ぶりだろう・・・。
たぶん、会社へ行く途中、私の運転する車に後ろから追突された時以来か。。。
その前は、小さい頃、頭から落っこちた時。

病院についたら真っ先にICUに連れられる。
片っ端からいろんな装置を付けられ、レントゲンなど色々と検査。
一通り検査が終わった頃、担当医が学会から真っ先に帰ってきてくれて対応。
急激な腎臓や膀胱の状態変化は無いけど、痛みがひどいようなので、ということでHCUに移動。
そのまま緊急入院処置となりました。

入院生活1週間・・・。
携帯のできない環境で、こっそりと書き綴った日記にも書いてきたけど、長いようで短いようで。。。
関係者の方、規則違反をしてすいません。
いかんせん、寝たきりにさせられていたので、携帯だけが唯一の安定剤になっていたので。
骨形成不全という骨の折れやすい病気を持っていたので、骨折しては大変とベットから動くことを完全に禁止されてました。
トイレに行くにも必ず看護師を呼ぶように義務付け。

一週間の間、可能性のあることを人体に負荷のかからない順番でやっていったけど、結局、ダメで。
やはり、腎臓の腫れを取るために、10月の頭に予定していたカテーテル挿入を前倒しでやることに。
でも、これも失敗に終わり、10月4日に再入院して全身麻酔で再度、行うことになりました。

今は、薬で蹴散らしています。
要は、排尿異常なので、むくみ、だるさ、痛みなど大変だし、トイレの数も多い状態だけど、治るためにもなんとか乗り切らないとってそう思う。

結局、失敗に終わったんだけど、怒りとかそういうネガティブな感情があまり起きてない。
残念だなっては思うけど、なんか、変に受け止めている自分がいます。
今の痛みとかも、辛いのは確かだけど、仕方ないかって、、なんか、そんな変に冷静でいます。
その代わりに、有り難くも家族の方があたふたとしているけど(笑)

担当医も色々と悩んでくれて、土日祝返上して、他の患者さんよりも私の方を先に見に来てくれていたと聞いたし、色々と策を講じても改善せず、途 中、「ダメだったかな・・・」ってぼそっと嘆いているのを聞くと、それだけ考えてくれていたんだってそう思いたい(本当は患者のそばでそんな嘆きは言って はいけないんだろうけど)

入院してみると色々と見えてくるなって思う。
特にあるのが、身体が動くということもそうだけど、人という存在。
人の中で生きているんだなって、、、生かされているんだなって、そう思う。

それに、担当医にも言われたけど、「あなたは我慢しすぎです」と。
はい。
たぶん、自分の一番、悪いところですね。
白旗を揚げない。
ヘルプを出さない。
逃げない。
だから、余計に悪化させる。
何につけても、自分で解決しようとするクセ。
白旗を揚げれば見えてくることもあるのに、それをしない。
どうにかしないとなぁって思う。

それに医療の現場って、本当、大変だと思う。
24時間、休み無し。
次から次へと仕事をこなていく。
医療の問題とか、色々と言われているけど、この垣根の一部を見ていたら、看護する側も看護される側も、倖せで優しい医療を創ることは並大抵なことではないなってそう感じる。

体調は不安定だけど、頭の中は幾分元気なんで、考えること豊富なんで(笑)、思いついたら、書いてみたいと思います。
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外は、雷がなって大雨です。
でも、涼しくなって良かった。

さっき、退院してきました。
一週間の入院生活でした。

家の匂いっていいですね。
今まで気がつかなかったけど、こんな匂いがするんだと、心底実感しました。

ずっとベットの上だったので、病棟から駐車場まで歩くのが精一杯だけど、外の空気に触れたり、地面を自分の足であるいたり。
そんなことを再び出来る幸せ感がなんとも言えないです。

さっき、風呂に入って、ゆっくりしています。
一週間ぶり。
救急車で運ばれた時も雨だったなぁなんて、湯船に浸かりながら振り返っていました。

結局、一歩進んで半歩下がるっていう感じでしたが、今回の入院が少しでも良い方向に進んでくれるとありがたいです。

今、変んな気持ちですべてが監視されていた病棟暮らしという窮屈感から自由になった解放感もありながら、何でもかんでもかごの中で守られていた鳥 が外に出る怖さと言うか不安感というか、これからどうすればいいのかって途方にくれるゆうなそんな感覚にも襲われ、本当に退院で良かったのかと、葛藤みた いなものを抱いています。

どちらにせよ、10月頭の再手術までをしっかしゆっくり待たないとですね。がむしゃらにじたばたするのではなく、今は、時に、そして「神」に委ねるときだと思ってます。

詳しく経緯とか報告は、また、書きますね。
応援してくれた方。
見守ってくれた方。
祈ってくれた方。
共感してくれた方。
お見舞いしてくれた方。
足跡やコメントやメッセージやメールや電話をくれた方。
本当にありがとう。

当たり前のようで当たり前でない大切で大事で愛しい仲間や繋がりがあるって素晴らしいなぁって思っています。

感謝です。


外では、雷が重低音の地響きと光と共に鳴っています。

さっきから、今日、外れたはずの左手にあった点滴と右手にあった患者識別タグと胸にあった心拍計の感覚がいまだにある。
つけているときは嫌だったのに、これらに自分の命が守られ、生かされていたんだなって気づくと愛しくなる。
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