( インタビュー) 障害者が生きる タレント・稲川淳二さん

( インタビュー) 障害者が生きる タレント・稲川淳二さん
朝日新聞 2012.05.24 東京朝刊 15頁 オピニオン1

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 私がテレビでバカやってたころですよ。次男の由輝(ゆうき)が生まれたのは。はい、1986年です。先天性の重い病気でしてね。それからずっと障害を抱えて生きています。今度、障害者に関する法律が変わるんですって。いろいろ思うところはありますよ。障害者の父親ですから。あぁ、はい、それじゃぁ、お話ししましょうか。

 そのころはね、仕事も調子が良くてね。長男も9歳になって、すごく幸せだったんです。で、子ども1人でこんなに幸せなんだから、2人ならもっと幸せになるだろうと。
単純な考えですよね。

 でもって、次男が生まれたんですけど、クルーゾン氏症候群という先天性の重い病気だっていうじゃないですか。生命に別状はないのですが、頭の骨に異常があって、手術が遅れると手足にマヒが出る可能性がある、と言われました。私も頭真っ白ですよ。

 生後4カ月で、手術を受けることが決まって、その前のある日、病院に行ったんです。すると、次男を見ていた女房が「あんた、ちょっと見てて」と、用足しで個室を出て行った。私一人で次男に向き合うことになったんです。でも見るのが怖いんですよ。無責任だけど、あり得ない世界が起きていると思っているわけだから。おそるおそる見ると、次男は寝ていました。だれもいない、しーんと静まり返った病室に、「はぁ、はぁ」という、次男の小さな息の音が響いています。

 本当に許されないことですが、うちの子のことですから、こんな話をどうか許してください。私はね、次男に死んで欲しいという気持ちがあった。助けたい。でも怖い。そして悲しい。この子がいたら、女房も長男も将来、大変だろうな。よしんば助かって生きたとしても、いずれは面倒なことになるんだろうな。いろんなことを考えた。
 どういう病気かも当時はよく分かってなかったし、病室には私と次男しかいない。だれにも分からない。小さいから葬式も簡単だし。じゃあ今、自分で殺しちゃおうかな。その代わり、ずっとこいつに謝り続けて生きればいいんだ、と。
 「鼻をつまんだら死ぬだろうな」と思って、次男の鼻先にぐっと手を伸ばした。でも、鼻先数センチのところで、手がぶるぶる震えるんですよ。手が震えて、どうしてもできない。そこに女房が戻ってきたんです。

 ......。そんなことがありました。

 手術は朝から始まって、夜の8時半ごろにようやく終わった。エレベーターが開いて、おりみたいなベッドが出てきた。まわりに先生がたくさんいて、のぞくと次男が寝ている。頭は包帯だらけで、足とか腕にはチューブが何本も刺さっていた。苦しそうに呼吸をしている。
 もうね、たまらなかったです。小さな体を切り刻まれて、ぼろぼろになっても頑張っている。私はベッドにすがりついて、「由輝! オレはお前の父ちゃんだぞ。由輝っ!」と叫びました。
 実は、次男の名前をこのとき、初めて呼んだんです。それまでは、名前を呼べなかった。自分の中から抹消しようとしていたんです。心のどこかで拒絶していたんです。自分が望んだ子どもなのに、オレは命を否定した。最低です。本当に最低です。何て最低な父親なんだと。

......。思いました。

 こんな最低なことを考える親なんて、きっと私だけでしょうね。障害を持つ子にも、変わらぬ愛情を注ぐのが親心ですから。
 以後、人生、がらりと変わりました。テレビのお笑いの仕事もやめました。芸能人っていうのは、身内に不幸があっても笑ってなきゃならない。陰でどれだけ泣いても苦しくても、テレビでは「はいどうも~」って、笑わせなきゃならない。もう、やかましいぐらいよくしゃべって、「あんた明るいねぇ」なんて言われていましたね。

 でももうやめました。自分を殺してまで笑いの仕事をするのはやめよう、と。今は怪談のほか、バリアフリーの講演とか、街頭や駅で障害者に対する理解を訴えたり、応援したりしています。

 ●法律をどう作るか

 2006年にできた障害者自立支援法にも反対しましたよ。ホームヘルプなど障害福祉サービスを受けるのに、利用料の1割を障害者が負担しなければならない。

「えっ」と思った。

 だって、重症の人ほどお金がかかるんです。重症の人ほど働けないわけでしょう。おかしいじゃないですか。働ける人が働いて、重症の人をフォローしてあげるのが普通なのに。元気な人が考えたら「それだけ手間ひまかかるんだから、その分お金ちょうだい」ということなんだろうけど。でもそれは元気な人の考え方ですよ。

 私も今は元気ですが、8月で65歳になります。いずれ仕事もできなくなる。女房だって、いつまで面倒を見られるか分からない。先のことを考えると怖いんです。
 何も私は人様のお金で楽がしたいなんて思っちゃいませんよ。障害は国の責任じゃないし、国に面倒を見る義務もないことは分かってます。だれが悪いなんて言いません。でも、障害者なんか放っておいてもいいじゃないか、何で面倒を見る必要があるのか、日本の発展に関係もない、と思われているんじゃないか、と感じるんです。

 私は、子どもには「ごめんね」、周りの人には「お願いします」「ありがとうございます」しか言えずに生きている。次男も一生懸命、生きている。お金なんかなくったって、一度でも「お父さん」と呼んでくれたら、どんなにうれしいか。そればっかり考えて生きてるんですよ。そこを分かってくれているのか。日本が豊かな国なら、経済的にも精神的にも優しさを持てるんでしょうけど、財政も厳しい中で、どういう法律を作るか、ということなんですよね。

 民主党は2009年の総選挙で、障害者自立支援法を廃止して新法を作る、と公約に掲げていました。しかし政権を取ると、廃止を見送り、新法の検討会の提言も先送りしてしまいました。これまでの1割負担を実質的に「払える人は払う」という応能負担に変更していますが、障害者から「だまされた」という怒りの声が上がりました。今回は、法律の名前を「障害者総合支援法」に変える程度にとどまるようです。

 もちろん、経済的に困っている障害者や家族も少なくないので、負担が軽くなればありがたい。公的援助があれば、いちばんですよ。病院に通うのだってお金がかかるんですから。

 でもね、法律がどんなに変わったって、障害者がすべて救われるってことには、おそらくならない。私たちはね、たった5メートルでも手を引いてくれる人がいたら本当にうれしいんです。そんな温かみ、思いやりが感じられれば負担の割合うんぬんじゃなくて、法律や制度の受け止め方も少しは変わってくると思います。

 ●誰にでも起きうる

 一般の方々にも分かってほしいですね。私が街頭や駅頭で一生懸命しゃべっても、「うるせえなぁ」という顔をして無視する人がほとんどです。誰も聞いてやしない。
 私も次男のことがあるまでは、ひとごとだと思ってた。でもみんな年をとれば、どこかしら障害が出てくると思うんですよ。足が動かないから、車いすが欲しいとかね。障害者の問題は、特別なものじゃない。いつ、だれにでも起きうる問題なんです。

 私の仕事の関係とか、いろいろあって、女房と次男とは残念ながらもう何年も別居しています。別に夫婦仲が悪いわけじゃないですよ。次男は今年、26歳になるんですが、重度の知的障害者です。こないだね、次男が生活実習所で作った簀(す)の子を女房が送ってくれました。私は最低の父親ですが、そんな小さな成長の証しが心からうれしい。優しくしてくれとは言いません。せめて、嫌がらないでください。忘れないでください。

 私がね、今回、こんなみっともないことも、あえてお話ししたのは、みなさんに分かってほしいという一心、それだけなんです。ごめんなさいね。世の中に要らない人、要らない命なんてないんですよ。それだけは、分かってください。
 (聞き手・有近隆史、秋山惣一郎)
     *
 いながわじゅんじ 47年生まれ。80年代に熱湯に入るなど体を張ったリアクション芸で人気を博す。現在は、怪談だけでなく工業デザイナーとしても活躍する。

 【写真説明】
 「怪談の全国ツアーを始めて、気づいたら今年で20年になります。みなさんの心に残るようなものにしたいなぁ」=東京都中央区、麻生健撮影

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