感謝の最近のブログ記事

変なブログタイトルと思いでしょうが。

今日、2年2ヶ月ぶりに電車に乗りました~(笑)

友人の宝木さんたちがやっているotoyomiコンサート があったのですが。
今回の会場は、えらく込み入っていて、ネットとかをみても「あまり、車では近寄らない方がいい」と書かれるぐらいの場所でして。
車を止めるところがあまりなさそうだし、ぐるぐると探さないとならないし、都心側に近いほど、やっぱり駐車料金がめっちゃ高いし、どうしようかと思ってました。
悶々と、いろいろと悩んだけど、ふっと、閃いた。

「そうだ、電車で行こう」

中央線側は混みそうなので、京王線側の最寄り駅まで車で行き、そこから電車に乗って行きました。

いや~、やろうと思えば、やれるもんですね~(笑)
今日は、午後からどしゃ降りの大雨で、やっぱり、それなりに、すっごく疲れてしまったけど。
でも、今、「やったー!」っていう気持ちが心の中を駆け回っています。

電車の中の雰囲気も2年2ヶ月前と変わらないですね(笑)
電車が新しくなっていたり、車内やホームの表示とか変わっていたりするけど。
あと、変わったと言えば、前は、みんなが車内でのぞき込んでいたのは携帯だったのに、今はほとんどがスマホになっていたぐらいかな(笑)
昔懐かしい光景を見ていて、「ここに、来られたこと」が嬉しくなってしまいました。

足の付け根の大腿骨頸部骨折をしてから、立ったり歩いたりするのは、まだまだ不安定な状態で。
電車の揺れとか乗り降りとか、無理だろうなって思っていたのだけど。
いざとなれば、何とか、やれてしまいました。

入院中のリハビリからそうだったのだけど、昨日出来なかったことが、次の日には出来るようになっていたり。
こうやって一つひとつ出来る事が増えていくってやっぱり嬉しいものです。

何度も言うようだけど、当たり前のように出来てきた事が、ある日、一瞬のうちに出来なくなり。
その時は、どうにもならないぐらい悔しい思いもしたのだけど。
人生を一旦ゼロリセットしたつもりになって、一つひとつ乗り越えていきました。
辛いこともあるけど、嬉しいこともあるなって思う。
そして、出来ることってほんと有り難いことなんだなって思います。

何だかね。
テレビゲームをやっているようです。
一つの面をクリヤーしたら、次の面をクリヤーするために、色々と試行錯誤して。
そして、クリヤーしたら、ほんと嬉しくて。
次の面にいくことがワクワクしてくる。
この繰り返しなのだけど、この繰り返しがまた楽しいって思う。

入院する前には、味わえなかった喜び。
今、そのことをしっかり味わえるのが、とても、嬉しく思う日々となりました。

あ、otoyomiコンサート 、よかったですよ(笑)
そっちがメインなんです(笑)

独特の幻想的な空間に浸ってきました。
前から、CDとかで聴いたりはしたのだけど。
今までにない、空間が素敵で、ファンになってしまいました(笑)
また、この世界に酔ってみたい。
そんな気持ちでいっぱいです~。

先週のライブに引き続き、今日も一緒に付き合ってくれた友人にも感謝です♪
ありがとうございました!
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40歳になりました。
既に沢山のお祝いのメッセージなど頂いております。
ありがとうございます。
後で、じっくりとお返事させて頂きますね。

20歳までは、「障がい」という言葉に振り回され、自分って誰なんだろうと悶々とする日々を送り。
20歳になった時、漠然と「こんな自分は、もうすぐこの世からいなくなるんだろうな」って思っていて。
それから既に20年近くも長く生きることが出来て。

大変なことも沢山あり、駆け抜けてきたって印象がやっぱり強く。
特に30代は、本当に何倍ものスピードで突っ走ってきた気がします。
10年が20年、30年も一気に流れ去ったようなそんな感じです。

そして、30代最後は、急転直下の出来事が起き、生きるのか死ぬのかって思う様な毎日を過ごしていました。
2年前の今日は、15日ぶりに重湯を口にした時で。
1年前の今日は、再入院、再手術だと大騒ぎしていた時で。
今年になり、やっと落ち着いて、誕生日のこの大切な日をじっくりとゆっくりと過ごすことができています。

実のところ、こうやって何も考えずに過ごせる誕生日が来るなんて、全く思っていませんでした。
この2年に起きたことを考えると、過去に、そして、今という時に「YES!」と、しっかりと抱きしめて、はっきりと言える日が来るとは思ってもいませんでした。
今のこの気持ちに不思議な感覚もしています。
でも、これも現実なんでしょうね。
先日、地元で開催した講演の時に、そのことを確信しました。
話していて、「これで、よかったんだ」と。
今が「幸せ」なんだと。
そう自分の想いを確認する事もできました。

やっぱり、こういう経験を乗り越えられたのも。
今、ここに生きていられるのも。
見えない力に引っ張られるようにサポートされて来たんだろうなってそう思う。
全ては、今のここに来られるように、導かれて来たんだろうなってそう思う。

悲しいこと、辛いこと、沢山あったのは確かで、今でも大変なことも沢山あるのだけど。でも、そのひとつひとつが、今の自分をつくったピース(欠片)となっているわけで。
そのピースの1つ1つそれぞれに意味があり、役割があり、その一つでも欠けていたら、今の自分はいなかったわけで。

私だから、出会えたこと。
私だから、体験できたこと。
私だから、感じられたこと。
私だから、出来たこと。
私だから、思えたこと。

人も物も出来事もその全てが。
その一つひとつが、大切な宝であるわけで。

その一つひとつを、大切に感じて、今を生きていきたいと、改めて強く思うのです。

これからの10年。
これからの20年。
これからの30年。

何がどうなっているかわからないのだけど。
自分自身も周りもどうなっているかわからないのだけど。

今までに感じてきた想いがあるから。
今までに歩んできた道があるから。

これからも、きっと、大丈夫なんだとそう思う。

誰でもなく。
どんな誰でもなく。

世界のどんな唯一の自分であるように。
自分が自分で有り続けるように。

この身体で。
この想いで。
少しでも、歩んで行けたらとそう思います。
誰かの想いに寄り添えるように、歩んで行けたらと思うのです。

今まで、繋がってくれた数え切れない皆様に。
そして、これから繋がってくれる数え切れない皆様に。

この生かされてきた命。
少しでも還元していきたいと思うのです。
この歩んできた小さな足跡を。
全てを明日に繋ぐために、生きていきたいと思うのです。

本当に、今という時に。
その全てに感謝しています。

本当にありがとうございます。


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10月8日。
『天から見れば』上映会+武市にぽぽ講演会。
来て頂きまして、本当にありがとうございました。

「いのち☆つながる広場 日野」としてのご報告、ご挨拶は後ほど、じっくりとさせて頂きますが、まずは、自分の講演会のことを。

本当に沢山の方が来てくれました。
80名の満員御礼でした。
来てくれた方々には、感謝の言葉しかありません。
応援してくれた方にも、感謝の言葉しかありません。
ありがとうございました。

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私の講演会としては、約二年半前でした。
それから、私としては、急転直下の大波乱を乗り越えて、やっと、舞い戻ってきました。






終わった後の打ち上げの席では、もう死人状態でしたが(笑)
実は「2年間かけてやっと乗り越えられた」という、エベレストの頂上にやっとの想いでたどり着き、頂上から景色を眺めているような、そんな想いが溢れ、泣きそうでした。000002981007.JPG
それぐらいの感覚が、今回の講演会にはありました。
講演では、「乗り越えた」とは言っていましたが、まだまだ、登っている最中で、苦しかったのです。
辛かったのです。
そして、講演後のトークセッションが終わり、会が終了したとき、やっと、頂上にたどり着きました。
そこから見えた景色・・・・本当に何もかも愛おしくて、幸せでした。

000002981023.JPG
講演内容としては、まだまだ荒削りの状態で、反省は多々あります。
時間配分を完全に間違えたこと。
終わりの方が、バタバタで尻切れトンボのようになってしまったこと。
言わなければならないことが、言えなかったこと。
実のところ、原稿の1/3が吹っ飛びました(笑)

でも、でも、それでもOKでした。
やりきったという想いでいっぱいでした。
本当に、やっとここまで来られたという想いで溢れかえっていました。

そして、今まで、支えてくれた皆さんに、感謝、感謝、大感謝でした。
本当に、ありがとうございました。
来てくれた皆様も、応援してくれた皆様も。
全ての人がいてくれたからこそ、乗り越えられた山だったと思います。

そして、私はやっぱり「障がいを生涯かけて生きていく」ことが使命なんだと、改めて、腹に落ち、改めて、伝えて行くことを辞めたりしないと誓った一日でした。

一人でも多くの人の心に「生きていく力」を伝えて行く。
全ての人の心の中にある「光」に気付くようにサポートしていく。
これが私がこの身体で産まれた意味なんだと改めて思いました。

皆さん、素晴らしいのです。
皆さん、頑張っているのです。
だからこそ、応援して、サポートしていきたいのです。

だから、私は生かされたのです。
そう改めて思います。

皆さん、本当にありがとうございました。
全ての人が、笑顔になってくれるその日まで、私は歩み続けていきたいと思います。
そして、「今」の全てに感謝いたします。

何度言っても言い切れない想い。
本当にありがとうございました。

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CIMG0466.JPG今日の戦利品。
2年ぶりの記念撮影。

17日は、KOKIAさんのライブでした。
都内某所の一角にある教会の様なホールでの会員向けのシークレットライブです。

最後にKOKIAさんのライブに行ったのは、2年前のやはりこの場所でのライブでした。
その1週間後に病院に運ばれました。

病気で倒れ、長期入院となり、なかなか動くこともままならない中、もう、こうやってライブにいったり、生歌を聴いたりすることも出来ないだろうなってずっと思っていたから、こうやってここに来られたこと自体、感無量でした。

久しぶりに生歌を聴いて、やっぱり、KOKIAさんは生歌が一番で、もう、ゾクゾクしっぱなし。
そして、退院後、長い長い病気療養中、自分を励ますために、リプレイで何度も何度もずっと聞いていた一曲「moment~今を生きる~」を、生歌で歌ってくれた。。。。
もう、全身、電気が走り、イントロですでにうるうるでした。


「失ったものがあるなら、それにも増す愛で生きよう。」
「失ったもの以上の、愛が私を輝かせた」

だから何も怖くないし、恐れることもない。
自分の中の魂がこの一節にリンクし、勇気付けさせてくれるのです。

10月8日の『天から見れば』上映会 の中で講演をさせて頂くのですが、この曲はその講演のテーマソングなんです。
だから、今日、この時に、この曲が聴けて、本当によかった。
さらに、背中を押された気がします。

 今日の日がむかえられた事。
その全てに感謝します。
そして、今日、付き合ってくれた友人にも感謝します。

過去に、今に、未来に
その全てに、本当にありがとうございます。。。。


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4月に入り、4月1日のビックイベントが終わり。
今は日常をじっくりと送っています。

4月から会社の仕事の始まりの時間と終わりの時間が通常に戻りました。
3月までは、身体の事もあって、1時間ずつ短縮されていたけど、通常時間に戻してみました。

やっぱり、疲れますわ(笑)
体力、かなり落ちています。
以前の半分も体力がないかも。
仕事が終わったら、へろへろで家に帰ってきています。

前は、仕事終わりに新宿まで行ったりしていたけど、ウソみたい。
あり得ないわ(笑)
でも、やっと、日常を過ごせる様になってきたっていう証拠でもあるし、嬉しかったり。。。。

土日は、友人ともちょくちょく逢うようにもなりました。

4月1日のスタッフとも、後日、逢って話したりもした。
イベントを通して、今の気持ちの分かち合い。

今更ながら出逢うべきして出逢った仲間たちと最高のイベントを創造るために走り抜けたんだなってそう感じた。

やってよかった。
出逢ってよかった。
繋がれてよかった。
そして生きていてよかった。

最高の一日でした。


先日は、友人と八王子駅で待ち合わせて、一緒に食事。
2年ぶりに逢いました。

入院中は勿論のこと、長期入院から退院した後も、外に出るのも辛かったから、逢いたくても逢えない日が続いていたから。
こうやって、友人とあって、友人と話して、友人と笑ったりして、友人と食事して、友人と一緒にいられる日が訪れるなんて、本当に考えられなかったけど。
そんな当たり前のことが出来なかった日々が、今、また出来る様になって。。。。幸せな気持ちと感謝の想いが溢れてきます。

食事後は、天気も良かったので、私の運転で近場をドライブ。
津久井湖まで足を伸ばしました。
もう、桜の時期から遅くなってしまったかなぁって思ったけど、一番の見頃で、満開状態。

こんな季節なので、道路も駐車場も大賑わい。
いくつかの駐車場を覗いてみたけど、どこも満車状態で、空き待ちで1~2時間ぐらいかかりそう。
なので、止まる事も無く、湖を一周しただけでした。
でも、車の中から見える桜満開の優しい風景に、友人と一緒に大はしゃぎ。
春らしい景色と空気を味わいました。

いや~、楽しかったです☆

一つ心残りは、桜の写真とか撮れなかったこと。
私は、ずっと、ハンドルを握っていたので・・・汗
運転手だから仕方ないんだけど・・・。
でも、目には焼き付けたので、良しとしよう(笑)

ん?
よそ見運転は危ないから辞めましょう(笑)

という春らしい日常も過ごせています。
そんな「日常」が、幸せいっぱいです。
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4月1日 いのち☆つながる広場日野イベント。
『1/4の奇跡』上映会+山元加津子講演会。
~いのちはみんなつながっている~

無事に終了しました。
山元加津子さんと小林さんは、もちろんのこと、飛び入りで来てくれた入江監督と娘さん。
そして、ハートオブミラクルの三浦さん。

そして、何よりも、足を運んできてくださった沢山のお客様。
沢山のスタッフ。
沢山の目には見えない形で関わってくれた皆様。
助けてくれた皆様。
支えてくださった皆様。

その一人ひとりに感謝の1日でした。
本当にありがとうございました。

上映会も講演会も、会場内があったかく、優しい空気に包まれていました。
涙涙で、多くの人が感動してくれました。
会場後ろから見ていて、その空気がじんじんと感じられ、感動で鳥肌が立つような想いがしました。

会場から出てくるお客様の笑顔。
そして、やりきったというスタッフの笑顔。
その一つひとつが、今でも鮮明に思い出されます。

色々と、配慮が足りないことなど、様々な反省点はあるのですが、皆さんの笑顔を見ていると、やって良かったと安堵の想いでいっぱいです。

年度初めの春うららかな1日。
全ての人にとっての新たな門出になったかなと、そんなことを思っています。

皆さま、本当にありがとうございました。
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昨日のイベント。
私自身にとっても、新たな一歩目が踏み出せました。
1年半の闘病生活から、昨日、やっと抜け出せたような気がします。

スタッフのひとりに、「入院中、お見舞いに何度か行ったけど、本当に"もうダメだな"って思ってしまったよ。でも、こうやっていつもと変わりない君を見られて嬉しかった」と言われました。
私自身も、闘病中や何度もダメかもしれないと思ってしまっていたことも多々あったけど、皆の応援のお陰で、こうやって乗り越えられました。
とても、感謝しています。

色々とあった大変な1年半だったけど、このどの瞬間も、必然だったのだろうと思うし、ここまでこられたのも、必要だったからあった大切な出来事の一つひとつに過ぎなかったと思っています。。

イベントの最後には、スタッフから花束まで頂きました。
加津子さんから手渡された時には、驚きと一緒に、「ここまでこれて良かった」と改めて思った瞬間でした。
本当にありがとうございました。

そして、昨日は、スタッフからもう1つのサプライズもありました。
今の私をつくりえるキッカケになった恩師との再会。

小学校に上がるとき、私は、普通学級に行く事に決めていました。
普通に学校にいって、普通に友人をつくり、普通に勉強をし、普通に成長していきたいと。
今では、当たり前の話になりつつある障がい者の普通学級への進学だけど、昔は、障害者は養護学校(今で言う特別支援学校)が通例で、そういう選択自体がありえない時代でもありました。

だから、門前払いは当たり前で、教育委員会やら学校からは、色々と条件を付けられて拒否されていく日々でした。

その条件の中に「何事もなく問題なく幼稚園に通うこと」、とありました。
早速、近くの幼稚園に受け入れてくれないかと、あっちこっちに頼み込んでいました。
が、やっぱり、門前払い。
聞く耳さえももってくれませんでした。

「もうだめかもしれない」と家族で途方にくれる日々を送っていました。
その時、近所に住んでいた方が、声をかけてくれたのです。
「私が勤めている幼稚園に一度、いらっしゃい。」

全ての始まりでした。

東京都日野市で一番古い由緒正しい日野台幼稚園でした。
キリスト教会が隣接されており、そこの牧師さんで、園長先生でもある方。
そして、「日野市心身障害者を守る会」の理事でもあり、「希望の家」という障がい者施設の創立者のひとりでもあり、日本中を周り障がい者、障がい児を取り巻く環境を変え、「障がいをもっていても、そのままの命こそが大切な存在。」と山元加津子さんと同じことを何十年と伝え続けていた人でもありました。

その方の尽力を借り、「希望の家」と日野台幼稚園に在籍しました。

そして、重度障害者へのリハビリテーションとして、当時、最先端をいっていた府中にある多摩療育園も同じく紹介してくれました。
週2~3回、電車で通う日々でした。
それまで、都心まで某大学病院に通っていたのですが、薬と検査だけしかなく、治療やリハビリなどとはほど遠いありさまで、"君はその病院で人間としての扱いを全く受けていない"とはじめて憤慨してくれたのもこの方でした。
歩けなかった私、歩けないと思っていた私が歩けるようになったのも、この方のおかげでした。

2つの幼稚園に通い、リハビリに通い、様々な訓練を毎日行いと、とても、大変で辛い日々でしたが、その全てがキッカケになり、教育委員会と学校が出してきていた全ての条件をクリヤー。
了承が得られ、私は、近くの市立の小学校の普通学級に入学することが出来ました。

この園長先生に出逢わなかったら、今の私は決してなかったと思う。
この方がいてくれたからこそ、今の自分は、生きてこられたのかもと思うぐらいの恩師でした。

昨日は、その園長先生の奥様と娘さん2人(この2人も障害者です)が来場してくれました。
私は、全く知りませんでした。
休憩中、同時字幕(要約筆記)のチームが心配で見に行った時、スタッフから呼ばれてロビーにいったら、その方がいました。
サプライズでした。
本当にビックリしました。

その方が目の前にいたときは、10秒ぐらい停止してしまいました。
「そうそう。元気でいてくれてよかった。」って優しく言ってくれて、とても、嬉しくて、なかなか言葉が出てきませんでした。

私は、産まれた瞬間から、愛を受け取ってきたんだってそう思う。
両親からもそうだし、私を救い上げてくれた園長先生やそのご家族からもそうだし。
今、イベントなどで一緒にやっている仲間たちからもそうだし。

この身体であっても、大変な時であっても、全て愛で、守られていたんだって改めて感じました。

この愛があったからこそ、一昨年からの激動の1年半も、くぐり抜けられる力と勇気を忘れずに持って生きてこられたのだと思う。

あの時、あの瞬間。
あの出会いがなかったら、自分はいなかった。
大変な時も、その全てで、私を良い風に導いてくれていた。
今のこの瞬間を笑いあえるように、幸せになるために。
ちゃんと準備され用意されていたんだと。

そう改めて想い


そして、この命を大切に繋ぎ、紡ぎ、この命そのものを大切に伝えて行こうと改めて思った一日でした。

本当感謝しています。
全ての日々に。
全ての時に。
全ての人に。
ありがとう。

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今日は、病院でした。
この前受けた骨折部位のボルト抜き。
その手術後の抜糸と経過観察のための検査。

X線撮影の結果は、特にヒビが入ったりといった事はなし。
抜糸も全く痛みもなく1分もかからない間に無事に終了。

「もう、問題ないでしょう。これで治療は終了ですね。」

と主治医。

ということで、めでたく骨折の治療は全て終了しました。

約一年半前。
入院が二泊三日程度で終わるぐらい簡単な手術中に医療事故。
ムリに身体を動かした為に、右足付け根、大腿骨頚部を粉砕骨折。

もう二度と歩けない。
再起不能だと宣告をうけた。

でも、今ではしっかり歩けてます。
さすがに、前みたいには動けないけど。
奇跡的です。

まだ、経過観察はあるし、腎臓や人工肛門のことは一生モノなのでまだまだですが、何とかゴールまで来られたと心底ホッとしています。

最初の頃は、どうにもならないぐらい混乱の中にいたけど、怒りや悲しみなどを全てを手放すことで道が開けました。。
昇華するように消えていくネガティブな想いと共に、拡がった感謝の思い。

これで良かったんだ。
生きていれば良いんだ。
ありがとう。

と思えた瞬間から、全てが一気に好転していくことを体験出来た。

この体験は、宝物だと思うし、自分にとっての素晴らしき人生の1ページとして、笑顔で飾れるものになったような気がします。

応援してくれた皆さん。
ありがとう。

一番大変だった時に「やってみましょう。」と、手術を引き受けてくれた整形外科の主治医や看護師さんや病院関係者の皆さん。
ありがとう。

そして、ずっと支えてくれた家族にありがとう。

自分自身の存在をしっかりと感じ、自分の生きて来た使命をしっかりと捉え。
今という時を大切に生きていたならば、宇宙と言う神様は、自分を見守ってくれるし、良い風に導いてくれるのだと思う。

だから、これからも、生かせてくれたこのいのちと身体を大事に感じながら、しっかりと歩み生き続けたいと思います。

本当にありがとうございました。
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3月10日は、東京大空襲のあった日。
そして、3月11日は、東日本大震災の日。

この土日は、命について深く考えられる大切な日になりますね。
皆様、いかがお過ごしでしょうか?

5日~8日まで、入院していました。
一昨年に入れたボルトを抜くために。
6日に手術を受けました。
この2年間で、何回目の入院と手術なんだろう。。
我ながら、すごい2年間だわ。。。

特に、痛いとかいう事はなかったので、本当は、今年の後半ぐらいにって思っていたのだけど、整形外科の先生が春から北海道の系列の病院に転勤になってしまうので、自分の事を良く知っている先生にやってもらった方が良いということで、前倒しになりました。

一昨年の10月始め。
足にボルトを埋める事になったのは、手術中の事故。
手術中の体位変更の時に、無理に動かしたため、右足付け根、大腿頸部を粉砕しました。
骨形成不全症という元々あった病気もあったので、当時の診察では、骨折部は二度と接合しないだろうと言われてしまいました。
最悪、右足が壊死、切断の可能性も有りと。
どうなるかわからないけど、やるだけやってみようと試みた接合手術。
その時に埋め込んだボルトが80mmと75mmの2本。

今回は、その手術後に入院した病棟に入りました。

いや・・・全然、覚えてない(笑)
担当になってくれる看護師さんがそろって「お久しぶりですね。覚えていますか?」って言われるんだけど、見事な程に空白状態でして。。。。汗

あの時は、何が起きたのかわからず、受け止められない現実と、事故を起こした担当医に対する恨みと、そのせいもあったのか、手術後直後から食欲がなくなり、腸閉塞のための激痛で。。。。まともな神経じゃなかったし。。。ねぇ。。。

ということで、はじめて入った病棟のようで新鮮でした(笑)

今回は、かなり元気な状態での入院だったので、暇で暇で。
こういう入院もあるんだなってそんな風に思ったり。

順調な状態で、6日の手術を迎えました。

部分麻酔でOKですよ、って言われていたけど、結局、全身麻酔になり、いつものように大変だったそうで、手術は15分で終わるような簡単なものだったのだけど、麻酔関係で2時間ぐらいかかってしまって、結局、2時間ちょっと手術室に入っていました。

全身麻酔は、寝てしまえるので、楽ではあるんだけど、導入時は何度味わっても気持ち悪いですね。
周りの人の声や存在がどんどん遠ざかっていく恐怖にも似た感覚。
覚醒時は、「すっきりした」さわやかな感じがして、良いんだけど。

ということで、何とか無事に終わって、6日の術後と7日の午前中はベット上安静。
7日の午後から歩きはじめ、夕方には病棟一週して、看護師さんをビックリさせました(笑)
前に入ったときは、寝たきり絶対安静再起不能状態だったから、看護師さんはその時の私しか知らないし。。。そのビックリする姿を見ると結構快感です(唯一の楽しみ)。

7日から始まった食事も美味しく頂けたし、手術後の痛みも薬を使わずでも過ごせるほどで特に問題なく、ちょっと微熱があったぐらいで感染症の問題もなく。
いや、、、点滴や心拍計、動脈血酸素飽和度の計測器は、元気な時は、ほんとジャマだわね。
動きづらいし、付けただけで、まるで重病人だし。
尿管ドレーン(尿を排出して袋に貯める管)は術後問題なしで、つけなくて済んだけど。
ということで8日の朝に検査して問題なし。
点滴など全て外れ、昼食後、退院となりました。
抜いたボルトはもらってきました。
思っていた以上にでかかったけど。
2年間、私の足を守ってくれたボルトですから、ある意味、大切なお守りです。

入院期間が短くて良かった。
もう、それが一番でした。

事故そのものが、1泊2日で退院出来る簡単な手術中に起きたので、また、何かあって何ヶ月も、、、なんて怖いなぁ、、、って思ってしまっていたり。。。そういう恐怖があったりし、日が近づくにつれて、胸のあたりがわさわさしていたけど。
でも、何でも無くて、ほんと、良かったです。

入院期間中に、沢山の「いいね」やコメント。
本当にありがとうございました。
入院中、そのコメントや「いいね」の数々がとても励みになりました。
退院の時のコメント。
ほんと、退院できて良かったなって反芻も出来たし、喜びも倍増でした。
皆さんのおかげです。
ありがとうございました。

これで、22日に無事に抜糸できれば、事故関係の治療は全て終了。
それまで感染症とかが怖いので、無理しないで安静でいきます。
ボルトが抜けた分、大穴が空いている状態なので、それが埋まるまで、怖いしね。
人工肛門と右足が曲がらないのは、大切に抱きしめて、一緒に生きていかないといけない話だし、
これらは、ゆっくりと付き合って、仲良くやっていきたいとそう思います。

やっと、次のステップに立てたような感じです。
生かされた命。
新たに与えられた自分への役割。
その全てをしっかり噛み締めながら、少しずつ、前に歩んで行きたいと思います。

ほんと、よかった!
ほんと、ありがとう!
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久しぶりの日記です(笑)

2月11日。
震災から11ヶ月。

そして、去年の今日。
長期入院から解放され、退院した日でもありました。
入院した当初は、どうなるかと思っていて、このまま、退院出来ないんじゃないかって思っていたし、退院出来ないかもって言われていたから、無事に退院出来たことは、奇跡的だったし、退院にこぎ着けたことが、満足というか、自分としてもやりきったという開放感がありました。

大雪の中、寒い思いをしながら、退院したのを覚えている(笑)
久しぶりの外の空気が、素敵すぎて。
こんなに外の空気が美味しいんだって、感じた瞬間でした。

あの時は、まだまだの状況で、やっとこさという状態で退院していたので、動くこともままならない状況だったけど。
こうやって1年が経って、あの頃よりもかなり元気になったし、あの頃よりも身体が軽いし。
そういう事でも、1年という時間が経ったんだなって実感出来てきます。

退院後も、腸が飛び出してその後のケアーなども色々と大変だったし、結局、去年末、悪化させて、再入院、再手術となってしまったけど。
でも、そんな怒濤の様な1年が過ぎたこと。
自分でも、誇りのようなものを感じるし、自信みたいなものを感じています。

そして、入院時も含めて、退院後も色々とサポートしてくれたり、助けてくれたりしてくれた、家族や病院関係者や友人や会社の方や、多くの人たちに囲まれてきて、本当に感謝の言葉を言っても言い切れないぐらいの想いがあります。

本当にありがとうございます。

本来なら、今年の今日ぐらいには、あっちこっちに出歩けるようになっているだろうとは思っていたけど(笑)
でも、ゆっくりゆっくりと、そんな無理ない歩幅で一年が経ったことも、神様の計らいなのかなってそう感じています。

思い通りになったこともあれば、思い通りにならないことも沢山あり。
どれもこれもその沢山の積み重ねがあるからこそ、今があるのだけど。

そんな毎日、毎時のどれもが、見たことの無いような明日の幸せに向かっていくことへの準備なんだと、明日、笑っていられるための課程なんだと、そう心から信じて、これからも、生きていきたいとそう思う。

過去も未来も、今あることも、今いることも、その全ては自分を支え、助けてくれているんだ。
そう信じて、ゆっくりゆっくり、風のような時間を、これからも生きていきます。

今まで、面倒をかけっぱなしでお返しが出来ていないけど、皆さん、本当にありがとう。
そして、これからも色々と面倒をかけるけど、どうぞ、よろしくお願いします。
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